ブログネタ:部活何してた? 参加中

私の部活動というのは、小学校の柔道からだと思います。
いわゆる部活動というのと並行して、クラブ活動、生徒会活動というのも含めてご紹介します。
ちなみに部活は、毎日練習などが放課後などにあり、ほぼ確実に大会にもでるもの部活とします。
クラブ活動は、学校の授業の一環というか、時間割の中に組み込まれて、よほどでない限りは大会には出ないがたまにでることもあるものをここでは、言いますね。
生徒会活動というのは、つまり応援団です。

私は、小学校に柔道をしていました。
地区の交番の警察官が、学校と話し合って、希望者に教えるという形式でした。
私の地元では、はじめてだったと思います。
街中には、いわゆる昔からの道場があり、そこでは剣道や柔道を教えている場所はあったのですが、地域の交番の警察官と小学校が放課後を利用して、柔道を教えてるというのは、その地域では私の通っていた小学校がはじめてだったと思います。その後となり町の小学校も同じようにやり始めましたから。ちなみにその隣町の柔道の教官は私たちの地区にいた警察官で、隣町の派出所に異動になってそうなったんだと思います。
この柔道から始まりました。

中学では、部活は、卓球部でした。地味でしょ~
でも、結構奥深くてね、私は全然弱かったけれど、楽しかったです。
クラブでは、剣道をしていました。
これも先生がどうしてもしたかったんでしょうね、無理矢理つくって無理矢理入らされたものです。
クラブなんてのは毎年変わるのですが、だいたい決まっていまして、ですが体育の先生がどうしてもしたかったんでしょうね、無理無理つくって、半ば強引に応募させられ(応募が少ないとなくなるので…)、入りました。
この剣道、大会に出たんですよ…
もちろん、あっという間に終わりましたけどね~
でも、楽しかったね~
ど素人が無理矢理・無勝手流で経験者に勝つという、それこそ幕末の人切り物語の真実み現実味も肌で体感しましたしね。。。

それと中学時代は、応援団…
これは、一度専任されたら、ほぼ決まりです。
過疎地の中学校ですからクラス替えは三年間ありませんからね、ですから、一度決まったらもうずっと応援団なんです。
壮行会と連合体育大会などの応援ですが、それでも月に一度か、大会前は毎日練習。。。
ただ、この応援団、いわゆる不良のたまり場でして、いじめが日常化していましたね。
いじめというか暴力ですけどね(-^□^-)
いろいろさせられましたし、やられましたよ~
でも、何故かそれが終わるとなにもなく、ホントにそこだけの話ですね。
普通の場所では、逆に可愛がっていただいたり、応援してくれたり、助けてくれたりしてくれましたね。

高校時代は、陸上部です。
中学時代から少しだけ短距離が早かったのですが、中学時代は陸上部自体がなく、寄せ集めで大会に出るのが普通でした。
高校に入っては、専門で練習したくって入りましたが、何せ、その高校にはインターハイチャンピオンがいてかなりレベルが高かったんですよね。
私なんかはちょっとはやいどこにでもいるような子で、全然だめなわけで、幼なじみや親友も陸上部に入りましたが、彼たちは県でも有名な成績を残しているのですが、私は、全然だめな選手でした。それでも入りました。
ほんと白い目で見られましたよ~、なんせ無名ですからね。
励ましてくれたのは同学年の友達で同じ陸上部員だけ。後は当時の部長さんだけ。。。
顧問の先生も、何も感心なしで、最初の扱いは酷かったです。
ですが、まじめに練習をするというのは良いことで、1年生の秋頃には予選を超えるようになりました。
で、二年生になるころには、準決勝や決勝にたまに出られるようになりましたよ。
私は体重が56~7kg程度で軽く、専門は200mと400mでしたが、二年生後半には駅伝メンバーに何故か入りました。結果これが、私が陸上をやめたことに繋がるのですが、、、
私は全国駅伝大会の県予選で、実は選ばれたのですが、みぞれが降るような大会当日、経験不足からかアップ不足で大ブレーキになり、せっかく選んでくれた先輩の期待に応えられずに、そればかりか、当時のメンバーがタイム的に過去最高のレベルで県予選は愚か、全国レベルでもいい線いっていたからでした。
福井県の駅伝のレベルは当時低く、ですから、かなりの期待が特に私と同じ学年の、入ったばかりの時に励ましてくれた友達の期待がとても大きかったんでした。私の同僚の友達は長距離と中距離が多く、一緒に駅伝メンバーに選ばれたのも彼たちの推薦だったと思うんです。今思うとね。
私は400mが特に専門ですから、かなりのインターバルをするんですが、そのとき駅伝メンバーの練習に入るわけですよね、そのときのガッツを推薦してくれたんだと思う。
ですが大ブレーキ!!
一番つらい、今でもつらい出来事です。
田舎に帰ると、いつも言われますからね…この時のことを…
だんだん陸上から離れていきましたね。責任みたいなの感じて。

それと応援団も高校の時していました。
これもどうしても応援団をしたかった先生がいまして、ずっと前から募集をクラブ活動の募集の時にしていたそうです。で、またまた私たちが第二志望とか第三志望とか冗談で書いたものを先生が拾い集めて、クラブ活動として興した応援団でした。ですからいわゆるクラブ活動で生徒会活動です。
応援団の腕章はですから「応援倶楽部」です。
おそらく私たちが卒業して、その顧問の先生も異動になっていますから、なくなっているんじゃないですかね~
何せ自分らの卒業予餞会では私が挨拶して演舞したほどですからね~

「本来は、私たちは後輩にエールを送られる側なのですが、何故か私たちが自分たちに送ることに…」

って口上して笑われましたものね~
私、たぶん最初で最後の応援倶楽部長でした。

この熱烈な顧問の先生、立命館大学の応援団長だった人で、今はいろいろ問題を起こしてなくなったようですが、いわゆるバンカラの社会の先生でした。
その先生から、いろいろ型とかいろは教えてもらったのですが、大学生の応援部の型だったり練習なので、結構きつくてね…
でも楽しかったですよ。

そんな感じです!!

娘が陸上に関心をもち、やはり縁を感じます。
今陸上部ですよ!!
私は、失敗談とどうしたら良かったかが解ります。
ですから、それを娘に伝えています。
細かいトレーニングは先生に任して、私はメンタルな部分です。
きっと、良くなるかなと思います。

***

さて、明日は、竹林の整備らしいんですが、どうなるのかな…
雨が続いているけど…
竹取の翁ってのはこのことでした。

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