秋の日帰りお天気旅行(4) | 片平敦オフィシャルブログ「気象予報士・片平敦の 風まかせお天気日記。」Powered by Ameba

秋の日帰りお天気旅行(4)

「気象測器参考館」には、こんな歴史的な資料もありました。


気象予報士・片平敦の 風まかせお天気日記。
明治36年(1903年)の天気図・原本です。


気象予報士・片平敦の 風まかせお天気日記。

明治34年に皇族の山階宮さまが

気象観測の重要性に気付かれ、私財を投じて、

筑波山に測候所を開設したんだそうです。


その後、気象庁に移管されましたが、

明治期の貴重な天気図が保管されていました。


気象予報士・片平敦の 風まかせお天気日記。
僕の生まれる丸78年前、

1903年3月19日の天気図を見てみました。


気象予報士・片平敦の 風まかせお天気日記。

等圧線の間隔は今より広く、本数も少ない感じ。

それもそのはず、今と単位が違っていて、

hPa(ヘクトパスカル)でもmb(ミリバール)でもなく、

mmHg(ミリメートル水銀柱)。高校の化学でやった、アレです。


当時はまだ「前線」の観念もなく、当然ながら前線もありません。

でも、不思議ですね、現代の知見を持って眺めると、

不思議と「ここに前線が引けそうだな」って、見えないものが見えてきます。


気象予報士・片平敦の 風まかせお天気日記。
天気概況は筆で書かれ、気圧配置やその変化が書かれています。


気象予報士・片平敦の 風まかせお天気日記。

そして、全国の各予報区の天気予報も。

今は全国374の区域で予報が発表されていますが(警報・注意報。来年からは市町村ごとで約1,800に。)
当時はわずか「10」の予報区で予報されていました。

警報も「暴風警報」のみで(左側)、ほかの警報はありませんでした。


技術の進歩とともに、この100年で天気予報もだいぶ進化したようですね。


気象予報士・片平敦の 風まかせお天気日記。
でも、今も昔も変わらないのが、日々の気象観測。

この地道な積み重ねがあるから、毎日の天気予報ができる、というわけです。

100年前の気象観測者の息遣いが伝わってくる資料でした。


そして、時代は下って1970年代後半(それでも40年前か)
気象予報士・片平敦の 風まかせお天気日記。

この機械が、なんと「アメダス1号機」なんだそうです。

(福島かどこかの管内のアメダスとして活躍したものらしい)

日本に技術の高さ、というか、サビも出ず、

今でも電気を入れたら動きだしそうな測器でした。


<おまけ>
気象予報士・片平敦の 風まかせお天気日記。
このトゲトゲのついた丸い球。これも風速計なんですって。

もちろん気象庁の正式なものではないですが、

風が当たって傾くときのその量を細かに測って、

いま吹いている風を観測するそうで…。


トゲトゲがついていると均質に風がぶつかって、

そのほうが正確に観測できるんだそうです。

(トゲトゲを等間隔に正確につける技術が、

 なにかの賞をもらったらしいですよ)



……オタク的な記事が続きますが、まだ終わらずすみません…。

もう1話ほど続きますので、どうぞあきれずにお付き合いをヨロシクです!



(つづく…)