そもそも由来・起源編/豆まきとは?節分とは? | ラシイ、クラシ。

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昨日は、オオラカ部のメンバーと豆撒き行事豆まきを行いました。


自分で炒った豆と買ってきた豆豆との食べ比べや豆撒き、


恵方巻き巻き寿司を自分で巻いたり、今年の運勢を調べたり。。





季節行事をちゃんとやる、というのは、


振り返ってみるとなかなかないのではないでしょうか?


小学生の記憶ももう定かではないし。。かお






・豆撒きってそもそもいつから始まった?


・節分って、新年?


・出身によって、昔から節分に巻き寿司を食べていた、いや、最近知った、など色々な声。





そこで、ちょっと調べてまとめてみました。


なるべくサラッと読めるように、箇条書きにしてますが、


ボリュームがあるので、斜め読みしたい人は、


太字部分だけ読んでもわかりやすいと思います。






童話から



むかしむかし、こわ~い鬼が、村のおばあさんの家へおしこんだとさ。


驚いたばあさん、


丁度いろりで炒っていた豆の鍋をひっくり返してしまった。


鬼は熱い豆を踏んで、とびあがったり、すべって転んだり、ほうほうのていで逃げ出したんだとサ。





豆撒きの起源



・節分の行事はもともと宮中での年中行事であった。


・宮中ではこの日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾った。


・鬼払い行事は、平安時代頃の「追儺(ついな)」(矢で鬼をはらう中国の風習)から生まれた。


室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼払いする行事となった(『続日本紀』より)


・古来からあった米をまいて悪霊を祓う習慣と、中国の大豆をまいて鬼を払う方法とが融合したという説もある。


・豆は魔を滅する=魔滅(マメ)に通じる。


・1447年に「鬼外福内」を唱えたと記されている。(『臥雲日件録(瑞渓周鳳)』より)

・近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、節分当日の夕暮れ、柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった。


・柊の鋭い葉や、鰯を焼いたときの強い匂いは、鬼を寄せ付けない意。








豆のまき方・豆撒きの作法



・使用する豆は、お祓いを行った炒った大豆 (炒り豆) で、神棚に供えてから撒く地方もある。


・炒り豆なのは、撒いた豆から芽が出ると、豆が負ってくれた旧年の厄災が払い捨てられないため。


・撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。


・年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないというならわしがあるところもある。


・初期においては豆は後ろの方にまくことが始まりだった。


・北海道・東北・北陸・南九州では 落花生をまく(殻ごと撒くため地面に落ちても食べられる等)。


・通常掛け声は、「鬼は外、福は内」であるが、鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では、「鬼も内(鬼は内)」という。


・「鬼」の付く姓(鬼塚、鬼頭など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多い。


・節分の夜、玄関からまき始め、戸のある所には全部まく。「鬼は外」と2回言い、「福は内」と2回言った後、窓や戸を閉める。



カタチ化通信

今年の豆は、私が炒りましたフライパン 

買ってきた「福豆」袋の中の豆と食べ比べ。





恵方巻き(えほうまき)の起源



・恵方巻きの起源は諸説ある。


・恵方巻きは、節分に食べると縁起が良いとされる巻き寿司で、近畿地方を中心とした風習。


・江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪の商人による商売繁盛の祈願事として始まったという説。


・豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説もある。


・具材は七福神に因み、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶ等の7種類。


・巻き寿司なのは、福を巻き込むため。


・発祥は、和歌山県(旧紀伊国)、滋賀県(旧近江国)等があるが、いずれも不確か。


・以後、恵方巻の習慣は、昭和初期の大阪の商人の間で行われていたが、戦後一旦廃れ、1973年から大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する巻き寿司販促キャンペーンとして広められた。


・「一気に丸かぶりしなければいけない」ということは、海苔の販促として恵方巻を売り出した「元祖たこ昌」代表取締役・山路昌彦の作り話とも言われる。



カタチ化通信


今年は、かんぴょう、椎茸、玉子、穴子、でんぶ、

高野豆腐、ネギの7つの具で。

ネギネギは、キュウリの代用だったが、これが大正解!

芽ネギのような味がアクセントに。ニコニコ





恵方巻きの具材と食べ方



・節分の夜にその年の


  1.恵方に向かって、


  2.目を閉じて、


  3.一言も喋らず、


  4.願い事を思い浮かべながら


  5.丸かじり



する。



こんなかんじで↓


カタチ化通信



・まるごと食べるのは、包丁で切ると、縁を切ってしまうためという説がある。


・恵方は陰陽道による、その年の干支に基づいて定められたおめでたい方角。








節分について



・節分は季節の分かれ目のこと。立春、立夏、立秋、立冬と年4回ある。


旧暦では立春から新年が始まるので、立春の前日だけを節分と言うようになった。(江戸時代以降)


・つまり、節分は第2の大晦日的な日。


  ・旧暦(天保暦)では毎月の最終日を晦日(みそか)といった。
  ・晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月(または閏12月)の晦日を大晦日といった。
  ・もともと“みそ”は“三十”であり、“みそか”は30日の意味だった。 
  ・現在は、新暦の12月31日を指す。
  ・大晦日を大つごもりともいった。「つごもり」は、晦日の別名であり、「月隠り(つきごもり)」が転じたものである。



・節分は、現在の暦では2月3日。


  ・これは1985年から2024年ごろまでだけ。
  ・2025年から(2021年からになる可能性あり)は閏年の翌年に2月2日になる。
  ・立春は太陽の動きに基づいているので(太陽黄経が315度の日)、未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。
  ・現在の暦、太陽暦は、グレゴリオ暦(れき)で、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦。

  ・日本では明治5年(1872年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。






節分に行う行事「お化け・節分お化け」とは?



・東京の浅草、京都の花街、大阪の北新地などでは、芸者(舞妓、芸妓)やホステスが、節分の前後に通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をする。これを「お化け」と呼ぶ。


・一説には当初は子供の様な格好をしたことから「お坊髪」と呼ばれ、それが「お化け」になったとも。


いつもと違う扮装をすれば、魔を追い払える、と信じられたことから始まった。


・かつては一般家庭でも行われていたが、お客への呼び物になるせいか、花街のみに残った。


・しかし近年は京都市内を中心に、一般市民の「お化け」も復活の兆しを見せている。










■今日の記事は、以下から引用しました




・wikipedia「豆撒き」「恵方巻き」「節分」

・アイアイ宮崎 http://www.iimiyazaki.com/season/setubun/


・太子堂の福豆袋の裏面







■店主犬トイプードル ラルくん★の追伸


カタチ化通信


犬なのに、鬼節分の役だなんて。。。


昔は、鬼ヶ島まで退治しに行ってたんだよ!


みんな元気かなぁ~桃太郎サルキジ