昨日は、オオラカ部のメンバーと豆撒き行事
を行いました。
自分で炒った豆と買ってきた豆
との食べ比べや豆撒き、
恵方巻き
を自分で巻いたり、今年の運勢を調べたり。。
季節行事をちゃんとやる、というのは、
振り返ってみるとなかなかないのではないでしょうか?
小学生の記憶ももう定かではないし。。![]()
・豆撒きってそもそもいつから始まった?
・節分って、新年?
・出身によって、昔から節分に巻き寿司を食べていた、いや、最近知った、など色々な声。
そこで、ちょっと調べてまとめてみました。
なるべくサラッと読めるように、箇条書きにしてますが、
ボリュームがあるので、斜め読みしたい人は、
太字部分だけ読んでもわかりやすいと思います。
■童話から
むかしむかし、こわ~い鬼が、村のおばあさんの家へおしこんだとさ。
驚いたばあさん、
丁度いろりで炒っていた豆の鍋をひっくり返してしまった。
鬼は熱い豆を踏んで、とびあがったり、すべって転んだり、ほうほうのていで逃げ出したんだとサ。
■豆撒きの起源
・節分の行事はもともと宮中での年中行事であった。
・宮中ではこの日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾った。
・鬼払い行事は、平安時代頃の「追儺(ついな)」(矢で鬼をはらう中国の風習)から生まれた。
・室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼払いする行事となった。(『続日本紀』より)
・古来からあった米をまいて悪霊を祓う習慣と、中国の大豆をまいて鬼を払う方法とが融合したという説もある。
・豆は魔を滅する=魔滅(マメ)に通じる。
・1447年に「鬼外福内」を唱えたと記されている。(『臥雲日件録(瑞渓周鳳)』より)
・近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、節分当日の夕暮れ、柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった。
・柊の鋭い葉や、鰯を焼いたときの強い匂いは、鬼を寄せ付けない意。
■豆のまき方・豆撒きの作法
・使用する豆は、お祓いを行った炒った大豆 (炒り豆) で、神棚に供えてから撒く地方もある。
・炒り豆なのは、撒いた豆から芽が出ると、豆が負ってくれた旧年の厄災が払い捨てられないため。
・撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。
・年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないというならわしがあるところもある。
・初期においては豆は後ろの方にまくことが始まりだった。
・北海道・東北・北陸・南九州では 落花生をまく(殻ごと撒くため地面に落ちても食べられる等)。
・通常掛け声は、「鬼は外、福は内」であるが、鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では、「鬼も内(鬼は内)」という。
・「鬼」の付く姓(鬼塚、鬼頭など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多い。
・節分の夜、玄関からまき始め、戸のある所には全部まく。「鬼は外」と2回言い、「福は内」と2回言った後、窓や戸を閉める。
今年の豆は、私が炒りました
買ってきた「福豆」袋の中の豆と食べ比べ。
■恵方巻き(えほうまき)の起源
・恵方巻きの起源は諸説ある。
・恵方巻きは、節分に食べると縁起が良いとされる巻き寿司で、近畿地方を中心とした風習。
・江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪の商人による商売繁盛の祈願事として始まったという説。
・豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説もある。
・具材は七福神に因み、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶ等の7種類。
・巻き寿司なのは、福を巻き込むため。
・発祥は、和歌山県(旧紀伊国)、滋賀県(旧近江国)等があるが、いずれも不確か。
・以後、恵方巻の習慣は、昭和初期の大阪の商人の間で行われていたが、戦後一旦廃れ、1973年から大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する巻き寿司販促キャンペーンとして広められた。
・「一気に丸かぶりしなければいけない」ということは、海苔の販促として恵方巻を売り出した「元祖たこ昌」代表取締役・山路昌彦の作り話とも言われる。
今年は、かんぴょう、椎茸、玉子、穴子、でんぶ、
高野豆腐、ネギの7つの具で。
ネギ
は、キュウリの代用だったが、これが大正解!
芽ネギのような味がアクセントに。
■恵方巻きの具材と食べ方
・節分の夜にその年の
1.恵方に向かって、
2.目を閉じて、
3.一言も喋らず、
4.願い事を思い浮かべながら
5.丸かじり
する。
こんなかんじで↓
・まるごと食べるのは、包丁で切ると、縁を切ってしまうためという説がある。
・恵方は陰陽道による、その年の干支に基づいて定められたおめでたい方角。
■節分について
・節分は季節の分かれ目のこと。立春、立夏、立秋、立冬と年4回ある。
・旧暦では立春から新年が始まるので、立春の前日だけを節分と言うようになった。(江戸時代以降)
・つまり、節分は第2の大晦日的な日。
・旧暦(天保暦)では毎月の最終日を晦日(みそか)といった。
・晦日のうち、年内で最後の晦日、つまり12月(または閏12月)の晦日を大晦日といった。
・もともと“みそ”は“三十”であり、“みそか”は30日の意味だった。
・現在は、新暦の12月31日を指す。
・大晦日を大つごもりともいった。「つごもり」は、晦日の別名であり、「月隠り(つきごもり)」が転じたものである。
・節分は、現在の暦では2月3日。
・これは1985年から2024年ごろまでだけ。
・2025年から(2021年からになる可能性あり)は閏年の翌年に2月2日になる。
・立春は太陽の動きに基づいているので(太陽黄経が315度の日)、未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。
・現在の暦、太陽暦は、グレゴリオ暦(れき)で、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦。
・日本では明治5年(1872年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。
■節分に行う行事「お化け・節分お化け」とは?
・東京の浅草、京都の花街、大阪の北新地などでは、芸者(舞妓、芸妓)やホステスが、節分の前後に通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をする。これを「お化け」と呼ぶ。
・一説には当初は子供の様な格好をしたことから「お坊髪」と呼ばれ、それが「お化け」になったとも。
・いつもと違う扮装をすれば、魔を追い払える、と信じられたことから始まった。
・かつては一般家庭でも行われていたが、お客への呼び物になるせいか、花街のみに残った。
・しかし近年は京都市内を中心に、一般市民の「お化け」も復活の兆しを見せている。
■今日の記事は、以下から引用しました
・wikipedia「豆撒き」「恵方巻き」「節分」
・アイアイ宮崎 http://www.iimiyazaki.com/season/setubun/
・太子堂の福豆袋の裏面
■店主犬トイプードル ラルくん★の追伸
犬なのに、鬼
の役だなんて。。。
昔は、鬼ヶ島まで退治しに行ってたんだよ!
みんな元気かなぁ~





