しあわせって何なのか、わからない。
ありがたいことに、いまの自分がとても恵まれているからだと思う。
これがもし、明日の食うに困る状況だったらそんなことは言ってられないから、だから私はとても恵まれた環境に育ったんだろうと思う。
別に、すごい大金持ちとか、すごい才能の持ち主ってわけじゃない。
起きて、朝ご飯を食べて、働ける会社があって、お弁当を持たせてもらえて、帰る家があって、そんなに遅くなるでもなく、晩ご飯があって、あったかいお風呂に入って、ちゃんと寝床があって。
これ以上のしあわせがあるんだろうかってぐらい、しあわせ。
生きられるって最高にしあわせ。
なのに、私には、眠りたくても眠れない友達、働きたくても働けない友達、働いていても苦しんでいる友達、そんないろんな苦しみに耐えながら生きている友達がたくさんいる。
だから、後ろめたい。
しあわせな気持ちを相手に伝えることが出来ない。どうすればいいのかわからない。
私はしあわせを共有したい。
でも自分のしあわせな話をすれば、相手を傷つけてしまうような気がするから嫌だ。
しあわせな話を聞くだけでしあわせだよーなんて信じない。
私のしあわせ論全体に言えるのは、あるひとつのしあわせを手に入れたら、それを出来るだけ長く持続させるということだ。
2つ、チョコレートがある。お腹がすいたから1つ食べるとする。
どれだけお腹が空いていても、もうひとつのチョコはすぐには食べない。味を忘れた頃、食べる。
そうすれば、チョコレートひとつあたりのしあわせを、より噛み締めることが出来る。
最近よくあるのは、何かを手に入れようとして、寸前まで行って、やめてしまうこと。
それを手に入れることで、多分自分はさらにしあわせになるんだろうとわくわくするけど、そんなにしあわせになっていいのか悩んでしまう。
自分の成人式も、何十万とする着物を着せてもらったときそういう感情になって、どうしようもなくなって大泣きして、両親を困らせてしまった。
もっと素直に喜べばいいのに、もっとしあわせになればいいのに、なんだか自分ではもったいない気がするんだ。
私は十分しあわせなのに、どうしてさらにしあわせにならなければいけないのか。
チョコレートは要らない。
しあわせの『バブル』なんて要らない。
もっと些細なことに、もっと手軽なところにしあわせはあるはずなのに。
少しの事でしあわせだと感じられるようになった自分だけど、それが一般的に正解なのかどうかはわからない。
自分を苦しめるしあわせについて、本当によくわからなくなってきた。
