自分の現在地を知ること。受け入れること。
なんで農業でと考えているのか。を思い出してみた。あれは3年前ぐらいだったっけ。
あるイベントで、差し入れにキュウリを持っていった。自分の畑で、採れすぎて、食べきれなかった。(キュウリは一時期に一度に出来るから)今考えてみると、全く無意識に、
「自分にあるもので、なんか持っていけるものは何かな?」って考えて、「あ、キュウリがたくさんある。これを持って行ってしまおう!」
と考えた。(キュウリも無駄にならないし、持っていけば、自分の対面もたつし)みたいな。
その時は誰かの役に立とうとか、喜ばせようとか、そんなことは考えていない。ただの発見とひらめきと思いつき。
それでキュウリをイベントに、持って行ったら、案の定渡せなかった、、
その時、発生したのが、
「こんな僕が持ってきたキュウリなんて、誰も喜んでもらえないかな。、」
という考えというか内なる声。
それで、イベントが終わるまで渡せずに、もうキュウリの存在すら忘れていた。
それでも、イベントの帰り際に、
「これもし良かったら、明日使ってください。こんなバカみたいに大きななキュウリですけど。」
って。そしたらイベント主催者の方は、快く引き取ってくれた。そのイベントは3日間のイベントだった。(僕が言ったのは、1日目)
2日目は、用事でそのイベントには行けずに、3日目にまた参加した。その時に、イベント参加者の人たちに、
「キュウリありがとう。美味しかったよ。」と言われた。
えっ?とビックリして、聞くところによると、主催者の方が、キュウリで、料理を作り、それを参加者に方に振る舞ってくれたみたいで。
それで、誰かからは、
「あなたはいなかったけれど、キュウリとして、あなたはいたよ。キュウリがあなただったよ。」
と、僕からすれば、不思議なことを言われた。その言葉は、いまだに、覚えていて。
それが、なんだか、僕の原点の一つにある。
その出来事を思い出して、今、一つ言えることは、そのキュウリ作りに僕は夢中だったということだ。
なんで夢中だったのかは、忘れてしまったんだけど、その時は、投入していた。
だから、多分本当に、その時キュウリは、僕だったんだと思う。
今年自家菜園で採れたキュウリとミニトマト
3年前のイベントで、「キュウリのお返しにともらったエノコログサ」
物々交換
キュウリとエノコログサ。

