さっき、「「男」でも「女」でもない私の物語」っていう番組がやってた。
最初から見たかったけど親に消されてしまったよ。
その後親は出かけていったから途中から見ました。
やっぱ最初から見ないとはっきり言えない部分とか分からない部分とかがある;

男でも女でもないっていうからXの方なのかなと思ったけど、多分、恐らく、MtFの方なのかな?
性器の手術をタイでして、帰国して仕事をするまでの取材だった。
大雑把に言ってしまって申し訳ないです、

彼女が一歩を踏み出したきっかけ、取材をなぜ受けようと思ったのかなど、多分最初にやっていたので、気になることが幾つかありますが、途中からでも彼女の思いが伝わってきました。(途中途中で彼女の取材に対しての思いも聞く事ができましたが、やっぱ最初から聞きたかった)
まず、取材を受ける意味も分からないだろうし、番組にする意味も分からない。
質問の内容も、多分彼女が何年もかけて悩んできて、今もずっと考えている、または考えたくないようなものをバンバンと聞かれ、とっても辛いだろうし、怒ってしまう、泣いてしまうのも理解できる。
自分は彼女ではないので「あなたの気持ち、凄く分かるよ!共感できるよ!」だなんて言えないし、実際全部分かるわけではない。
だけど、同じセクシュアルマイノリティーの当事者として、分かる部分ってやっぱりあった。
こうやって彼女のように勇気を出して(といったらおかしいかな)取材に応じ、番組にしてくれることによって、同じように悩んでいる人、自分はおかしいんだ、と思っている人が勇気や元気をもらえるんだろうなと思った。
また、今までセクシュアリティに関心がなかった人、知らなかったひとがちょっとでも目を向けてくれるきっかけになるのかな。
でも、番組中で雑誌の編集者が(彼女はモデルの仕事をするそう)彼女を取り上げることに対して、こういう企画は「面白い」とか、番組中でも「面白い」という言葉が使われていて、ちょっとショックだったな。
そうだよな、「面白い」んだよな。
確かに、面白いと思う気持ちも分かる、言葉って限られてるから他に表現できないのも分かる。
でも、彼女の目の前で言うことはないんじゃないの、個人的な意見だけど・・・
「面白い」という言葉が使われているうちはまだ世の中には珍しい存在、変わった存在という扱われ方なのかなあ。
ゆうてみれば、自分もマイノリティだと思っているし、他の人とは違うんだなと実感することもあるし、そう考えるとこういう表現に対してなんともいえない・・・
でも、番組や彼女の勇気が人々の意識を変え、当事者に勇気や元気を与えることができたんじゃないかな。
こうやって番組にされるのは嫌な気持ちもあるっちゃある。(特に今回みたいな取材という形で)
だけど、そうでもしないとこういう人もいるんだな、と思ってもらうのも難しいんだと思う。
また、テレビでやるってことは、少しでも世の中に認識してもらえたってゆう証拠。

自分もいつか、胸をはれたらいいな。と、彼女が楽しそうに仕事をしている姿を見て思った。
そして、相変わらずうまくまとまらない記事だなと思った。
結局何が言いたかったんだ?