久しぶりの投稿は久しぶりの話にしてみようかと思います。

私は精神科に2度ほど入院しました。今も本当なら入院した方がいい状態みたいですが、初めて入院した時の話をしようと思います。


初めて入院したのは高校一年生のとき。小学生の頃から不登校だった私は案の定高校も行けなくなりました。
中高一貫校だったので出席日数が足りなかろうと成績が悪かろうと高校には入れたものの、そう簡単に人間は変わらないんですよね。一学期、変わろうとした私は殆ど休むことなく毎日学校に行きました。
部活の先輩との折が悪く、いつも何かに頭を悩ませながらも難しくなった授業の楽しさや友達を作ろうと頑張る自分が好きでした。

夏休みに入るまでに充分すぎるほど頑張りました。5月の体育祭では体育委員からの伝達事項が私に伝わっておらず、怒られました。そしてクラス内に友達をちゃんと作れてないことを実感しました。

まぁ、正直そんなことはどうでもいいんですけど。

夏休みが明け。さぁ、また頑張ろう!そう思った時、体が上手く動きませんでした。起立性調節障害を持っていることもあり、薬を使って朝から動ける体を作っていたにも関わらず上手く動かない。

驚きですよ。偏頭痛も減って、一学期は学校に行けてたんですからね。


これまでのこともあり、うちの親は休む事にそれ程否定的ではありませんでした。おかげで好きなように学校に行けました。

友達は後輩が会いたがってるから放課後だけでもおいで。と言って、部活にだけでも来たらいいと迎えてくれました。先生にバレたら大変かと思いきや、担任の先生は発達障害にも理解を示してくれる人でクラスメイトにバレるとクラスに居ずらくなるから5限目辺りからでもいいから授業をしてる時間帯に来るようにと言ってくれました。授業に出なくてもいい、教室に来なくていい、保健室で時間を潰すので構わないから放課後になる前から居たと言える方が交友関係が崩れないよ。と…

それでも次第に学校に行ける日が週に1日あればいい方になっていきました。

学校に行きたかったんです。すごく。すごく行きたかった。普通の子のように行きたかった。クラス内にすごく親しい子が居なくても良かったんです。ただ、年相応に学校に行って、軽い友人関係に振り回されて笑って、泣いて、バカ騒ぎして、たまには先生に怒られていたかった。難しくなった授業を受けてドンドン知識が増えていくことが楽しかった。頑張りたかった。

自分の中のそんな気持ちが重しになっていたことに気づけなかったんです。


自分のしたいことが出来ないことに耐えられなくなった私は、死ぬ事で楽になろうとしました。

他人からの攻撃は避けられても、自分からの攻撃は避けようがありませんでした。自分自身が敵になってしまっては、自分を殺すしかない…そんな気持ちだったと思います。

小学生の頃からしたい事が出来ない自分に耐え続けていた私の限界が来ていたんだと思います。

夕方、姉が処方され飲み残した眠剤をあるだけ飲み、眠りに落ちました。目が覚めた時には夜11時を過ぎていて家族はみんな寝ていました。
目が覚めた私は眠剤の効果が残ったままでホワホワと夢見心地でした。体を動かそうにも気だるく、眠ろうにも目が覚めたばかりで寝られそうにない。そんなこんなでそれまでにもしていた火遊びをし始め、学校で貰ったプリントを燃やしまくっていました。燃やすプリントがなくなり燃え盛るプリントの山に丸めたティッシュを投げ込み始め、火のついたティッシュがカーペットの上に落ちました。
毛足の長いカーペットを愛用していた為火の燃えあがりが早く、その場に羽織っていた毛布をおいてとりあえず離れました。少し遠くから燃えるカーペットを見つめていた私は、このまま眠れば死ねてしまうことに気づきベットに潜り込んで炎を見つめ続けました。
しかし、気づいたのです。燃えているカーペットが敷いてあるのは隣室に面した壁際。姉の部屋との境だということ、そして姉の部屋の入口付近だということに。
私としては姉を巻き込むことは不本意。それどころかとんでもなく嫌なことです。私の姉はドンくさいところがあり、これは巻き込んで死にかねないな…そんな事を思った時には携帯を手に取り姉に電話をかけていました。姉は電話に出てくれましたが、まさか「隣室で焼身自殺しようとしてるから逃げておいてくれ」などと言うわけにもいかず何も言えずに切りました。
そんな私を訝しんで姉が様子を見に部屋の前まで来たのですが、すりガラスの引き戸を目張りしていたので姉の力ではドアを開けることが出来ず姉がガタガタとドアを開けようとしている音に気づいた親が来ました。
無理矢理にドアを開けた両親は火を消して私をベットから引きづり降ろしました。
そのまま私はリビングに降ろされ、意識を失うように眠りにつきました。目が覚めたのは夜中の3時。煤だらけな上に涙や鼻水で汚れたままだった私は自分の部屋に行き、お風呂に入る事を伝えました。
母が1階にある刃物の類は全て片付けていたのですが、シャワーを浴びている時に一つだけ隠されていない刃物が目に付きました。
父の使う髭剃りです。ガードのついてあるタイプのものなので通常それで致命的な傷をつけることは出来ませんが、どうしても死にたかった私はプラスチック性のガードを割って壊し、刃だけにして手首を切りました。

私が精神科に入院するに至った経緯はこんなものでした。やった事は過激なのかもしれませんが、死にたいと、心の底から自分を消したいと思うに至った理由は、誰もが持ったことのある焦燥感や不安感だったのではないかと思います。

運命的な物言いは人によっては受け入れ難いかもしれませんが、死のうとした死ねなかった私だから言えることとして
神様の決めた年数を生きないと人間死なせてもらえない。だから無理して生きようとしなくても命は誰かが繋げてくれる。精一杯気楽に息して寝て起きてご飯食べよう。
人様に生かしてもらおうなんて考えが甘いって思う人もいらっしゃると思います。けど、それって何がいけないんですか?
子は親に生かされます。親も子に生かされます。夫婦も恋人も友達も、何かしらの形でお互いが生きることに関わっています。
ヒモ?ニート?何が悪い。生かしたくないならどうぞほっといてください。偽善でもなんでも貰えるもんは貰いましょうよ。
私は1人で立って歩く元気がない時は人様の服の裾を掴んで引きづられるように歩きます。それでも歩いてるんです。歩いてるうちにどこかで走りたくなる日が来たらそれまで休んだ分、人におんぶされてた分、全力疾走したいんですよ。
どうせ死ねないんでね、それなら屍のように生きようかと私は開き直れました。
苦しい人は開き直ってみてもいいと思いますよ。