体重も増えて、糖尿病になってしまった生前の夫は、時々ウォーキングを する様になった。



夫は一人で歩くのは、寂しいのか 私を誘った。


夫「お母さんも 歩いた方がいいよ。一緒に歩こう。」


私「うん、そうだね 一緒に歩くわ。」



散歩コースは、たくさんある。

今日は、こっちの道を行こうか と飽きないようにコースを、変えた。



夫が散歩の時に、着ているジャージは ゴムが伸びきった古いものだ。

これでは やる気も起きない。

私は買ってあげる事にした。



私「はい、お父さん 新しいジャージだよ。 これは、早めのお誕生日プレゼント 」とニコニコして渡した。


夫「え~もうかぁ まだまだ先だぞ。」


私「うん、アハハハ」



私は、夫の物を買って来たら、渡す時には 早めのお誕生日だよと言って渡す。

だから一年に何回も早めのお誕生日があるのだ。


なぜって、何回も嬉しそうな顔を見られて楽しいからだ。



夫は新しいジャージを着て、私と週三回ウォーキングした。

何年か続いていた。



ある日娘から電話が来た。

娘「妊娠したわ。双子だって」


私「え~ほんとに 双子なの? でも大丈夫だよ 手伝いに行ってあげるからね。」



そして、双子が産まれて 私は娘の所へ泊まりがけで行くようになった。



夫のウォーキングに、付き合えなくなった。

夫は一人でも、今までどおり ウォーキングをしているだろうか。 

心配だ。



私は娘の所から電話で同じ事を何度も言った。

私「お父さん、健康で居てくれないと困るよ。 双子の世話に来れなくなるからね。」と言うと


夫「うん、分かってるよ。」と答えた



それから、しばらくして 夫に貧血がある事が分かって、病院で色々検査を受けるようになった。

そして、すい臓がんと分かり 闘病生活となった。


私は、娘の所へ手伝いには行かないで、夫の介護に専念した。



それから、夫はだんだん歩くのも大変になり 歩かなくなった。


家の窓から見える景色だけを見るようになった。


一緒にウォーキングした道の景色は、二度と見る事が 出来無くなった。


そして、旅立っていった。



夫が亡くなってから、私に現れて来た 脊柱管狭窄症の症状は、あれから シビレや痛みも、全く無くなっている。



心地よい季節になった。

今日は、夫と歩いた道を歩いて見よう。



外の景色は、前と同じ 何にも変わっていない。


だけど、何とも言えない 空気感を、感じる。


肌に、サワサワと揺れ動く風が心にしみる。溢れるブルーな雫が 私の心を、空しくさせた。



行く先々で、誰かが植えてくれた花が、右に左に咲きほこっている。

私の目を、楽しませてくれた。

花畑を立ち止まり見つめていると 二人で歩いていた時を、思い出す。



夫は歩くのが早い。

私は、小走りでついて行った。

私は、いつも話しかけながら歩いていた。

歩きつかれると、途中にあるベンチに二人で座った。



夫が立ち上がり、歩き出すと 私も小走りで後をついて行った。



あの頃にもう、戻らないと思うと 懐かしさと寂しさが、沸き上がって来る。


私の心を、道に咲いている たくさんのお花が、慰め癒してくれた。





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