アラフォーのkasumiです。
『因果応報』という言葉がある。
自分のした事は後々自分に返ってくる、という意味だ。
これについては常々納得するところがある。
自分に返ってこなくても自分の子どもや子孫に返って来る事がある。
親のした事と子どもは関係ない、と言われるかも知れないがそうはいかない場面が多い。
良い事も悪い事も全ての行いは自身に降りかかる幸運や不幸に形を変えて現れてくるのだ。
そこで、『徳を積む』という言葉から考えることがある。
お金を運用する際に金利が関わってくるが、
この積み上げた徳は時に複利式に大きく膨らむ事がある。
目先の損得で一見身銭を切って損を被ったようになっても、周りに与えた徳がその何倍も大きな報酬としてのちに自身に返ってくる。またはその子孫に返ってくる。
人生の好転機に足を引っ張られるのは、過去の自身の行いが倍増になって戻ってきただけだ。
今回の五輪の主要ディレクターの辞任騒動も見ていてまさにそう思う事があった。
祝福されるべき時に非難されるというのは簡単な理由ではなく遡った複雑な経緯にあると思う。