職場で目の前で行われている、大人同士の会話や社交辞令。
これらが苦手で、カオルはゾワゾワする。
自分だって、お客様との接客はスイッチを入れてそれなりにやっているくせに。
お客様に対しては、サービスの一環だと思うからまだ許せる。
しかし身内同士のやりとりで、上辺だけの会話をしている場所にいると、身の置き場がなくなってしまうのだ。
明らかにワントーン高めの声で、社交的に話すその人達の輪に入れないのだ。
本音と建前の声色が違うからだろう。
数年前の別の仕事では、カオルもかなり気を遣って、その大人のやりとりに染まっていた。
郷にいれば郷に従え、をやっていた。
そうしなければ、仕事がやり難くなるから。
自分を生きる、を実践しだして、本音と建前がチグハグな事が辛くなってきた。
自分の感受性により繊細になり、自分を誤魔化せなくなってきた。
昔から親戚付き合いや大人との会話は苦手だった。
自分が大人になれば、社交辞令など自然に言えるようになっていくのだと思っていたら、どうやら違ったらしい。
未だに、親戚の集まりで何を話せばいいか分からないし、上辺だけの付き合いならいらないと思ってしまう。
出会い系で色んな男性と出会うけど、大人の対応をしてくる人は苦手だ。
社交術を発揮して、それなりにその場を楽しくすることはできるが、自分は楽しめていない。
建前や条件だけで話してくる男性とは、打ち解けられない。
きっと一般的には、良い婚外恋愛の相手なのかもしれないけど、カオルには惹かれるものがない。
それはカオルが、大人になりきれないからかもしれない。
本当の自分を生きるとは、自分に嘘がつけなくなるということだ。
思考でねじ伏せようとしても、体が反抗する。
そんな体の反応をひしひしと感じているカオルだった。