また恩師が旅立ってしまいました。
確かに、私もそんな歳なのかな。
昨日、同級生から連絡をもらった時は、本当に冗談じゃないかと思ってしまいました。
だって、若すぎるし、元気だったし、まさか。
まだ、お通夜やお葬式がいつになるか知りません。
今年、平尾昌晃先生や、他にもとてもお世話になった会社の社長が亡くなられました。
兵庫に在住しているので、お別れの会のご連絡を静岡にいただいてて、気付かずに行けなかった事も残念でなりません。
しかし、親の時もそうでしたが、何故もっと生きてる内にご恩返しが出来なかったかと。
悔やみます。
うちは、あまり裕福ではなかったので、ソフトボールで大学に進むのを諦めて、実業団に入ろうとした時に、お金がかからないようにしてあげるから。。
と、強く入学(入部)を希望してもらった事は忘れません。
奨学金もですが、ソフトボールの遠征前になると教官室に呼ばれて、
『藤井、お金ないでしょ。』って言って、お小遣いをいただいた事は、一生忘れません。。
食べ盛りだった私は、お米も1日5合食べてましたから。
あとは田舎から送ってきた野菜や缶詰食べて
東京の立川市にある四畳半のアパートで。
トイレ共同、お風呂なし。
家賃は15,000円。
真冬でも、大学のシャワーを浴びて帰ってました
だって、仕送りは月に5万円。。
銭湯行くと、当時でも400円くらいしましたから
それを大事な食費に回す事しか頭になかった。。
洋服?そんなの買う余裕なんてあるわけないし
それを知ってて、いつも優しく(いや、そんな事はなかったな)私を気遣ってくれた事は忘れられません。
たまたまこうして東京に仕事でいる時で、良かったとは言いませんが、違う場所で仕事の日じゃなくて良かったです。
本当に、もっと遊びに行くべきでした。
今年のインカレも、観に行く事にしてたのに仕事が入って行くのをやめた。。
悔やまれます。。
1つだけ。。
一昨年?東京女子体育大学とビックカメラのチームが練習試合をするという前日に、立川で、先生とビックカメラの方達と一緒に食事出来た事だけが良い思い出です。