好きなひとに好かれない恐怖と、好きじゃないひとに好かれる恐怖は、表裏一体?と思ったけど、女性の場合はちょっとちがうかな。

好きじゃないひとに好かれる場合。

女としての痛み、性暴力などで踏みにじられてきた歴史からくるような、それこそ集合無意識レベルに刻み込まれている恐れがある気がするから。

俺に振り向いてくれない→美しく魅惑的にふるまい気をもたせたくせに→欲情させる女が悪い→暴力で奪う

みたいな歴史。

それは、女性が美しく自分を表現することに対する恐れにつながる。目立ったらやばい。
犯されて殺されるかも、な無意識に組み込まれた恐れ。

それから解放されたなら、もっとシンプルになりそう。

好きなひとに好かれない恐れは、、
自分の価値を認めてもらえない、自分が無価値なように感じてしまう。

好き=価値がある
になってて、価値あるなしを相手にゆだねてしまうとそりゃ恐いよね。

美しくないから?若くないから?あなたの言う通りにできないから?
わたしを愛してくれないのね?
あなたに愛されないわたしは無価値なのね、、

って、ちがーう!!!!

けど、わたしはずーっとそうやって悲しんで、自分を責めて。いまでもあやうくそのワナにはまりそうになるくらい親しみのある思考( ̄∇ ̄*)ゞ

やりなれてるから回路がつながりやすいのねー、やだわ(笑)

話ずれた。

大いなる誤解が解けたらいいんだ。
男性が、てか男性性が自分の中の魔を認め、
正しく力を使う。奪うためじゃなく守るため。

女性、女性性は守られ安心して、自分のちからをのびやかに使う。
自分がどれだけすばらしいか、そのすばらしさを発揮させてくれる男に感謝して、楽しむ。

エネルギーが循環する。

結局は、自分のすばらしさにつながったらいいだけのことなのよね。なんて簡単にまとめるなて話ですが。
集中とぎれたんで、このへんで(笑)