こんばんは。
夏至の昨日、関東も遅い梅雨入りをしました☔️
今年も半分が過ぎようとしています。
さて、冬眠していた「1年半」・・
・・・昔、『一年半待て』というドラマを観たのを思い出します。
主役が、市原悦子版(1976年・昭和51年)と、
浅野ゆう子版(2002年・平成14年)、
菊川怜が弁護士役版(2016年・平成28年)。
原作は松本清張の短編小説で、展開が面白いのですが、
(誰に肩入れして観るかにもよりますが)
結末で裏切られた感がありました。
🐌 閑話休題 🐌
冬眠していた1年半の大まかな備忘録です。
思い出しながら💦
義母の巻 👵
2022年11月と12月 義母の眼瞼下垂手術
先生は、眉の下に沿って切開して瞼のたるみを取る方法を提案。
でも、眉のところに傷が残るのが嫌だった義母が、
二重まぶたにする方法に変更してもらったのだそうです。
元々は一重なので、”数年後には再手術になるかもしれない”と言われたけど
それでも良いから、とお願いしたのだそう。
最初の左瞼手術後は、ガーゼで覆われた眼を毎日手鏡で見て、
「本当に腫れが引くかしら」とオロオロ💦
その心配の仕方が尋常ではなく、手術を後悔しているような様子も。
1週間後に眼科に抜糸に行くと、同じ手術を1ヶ月前に受けたという女性と
待合室で隣同士になり、いろいろ話を聞いたり、腫れが引いているその人の
手術した眼を見て、やっと安心したようでした。
腫れと赤みは徐々に取れてゆき、ぼってり一重が、ぱっちり二重に👁️✨
「私は腫れが引くのが彼女より早いわ!」と満足そう😮💨
翌月に、右眼も同じように手術しました。
消毒も薬の塗布も、もう手慣れたもの。
瞼が下がって下半分しか見えなかったという視界も、
「よく見えるようになった!」と、大満足の結果でした。
コロナ禍でずっと人に会わなかったのも良かったようです。
久しぶりにお友達と会っても、「誰も気づかないわ」と。
でも、毎日会っている私たちからは、大きな変化。
一重だった細めの目が、ぱっちりして、
義父は「いまだに慣れないよ」と、ボソッと
2023年
急に歩けなくなって、治って、また歩けなくなって・・・
前年から整形外科とリハビリに定期的に通っていましたが、
先生との相性も良くないようで、「痛い」「ちっとも良くならない」💢
と、以前のように普通に歩けないことがとても不満そうです。
少し痛みがないと、「よーし、歩いてみよう」と、医院まで歩いてしまい
数日後に痛みが出る、「また痛くなった」と受診すると、先生からは、
そんなに急に歩いてはいけない、と注意され、治すには手術しかない、と。
「だって、歩かないと、歩けなくなるじゃない!」
「手術なんてしたくない」
「先生は若いから、痛みなんて他人事なのよ」と、不満そうな義母。
それでも、他の整形外科は遠いし、湿布薬や痛み止めは欲しいし、
リハビリのお兄さん先生は、イケメンで優しいからリハビリは行きたいし、
”仕方なく”先生のご機嫌を損ねないように、診察に通っていました。
2週間ごとの診察と、週3回のリハビリの送迎は、夫と手分けしても
けっこう忙しい💦
夏くらいから、診察が3週間ごとになり、リハビリも週2回になりました。
11月の整形外科診察の送迎記録が最後で、その後はメモがありません。
この頃、義母はコラーゲンを飲み始めて、そのためかどうかは不明ですが、
痛みが急に無くなりました🫢
同じ頃、知人から良い整骨院があるとの話を聞き、ついに整形外科通いを
「もうやめるわ!」宣言をしました。
今年2月から、噂の整骨院に通い始めた義母。
よく話を聴いてくれて、手術なんてしなくて大丈夫ですよ、と言ってくれて、
電気治療が多いみたいですが、丁寧で、親切で、義母には合っているよう、
「とても良いわ!」と、だいぶ気に入ったようです。
家から徒歩5分程度なので、お天気が良ければ、自分でゆっくり歩いて行かれるのも
義母の気に入っているポイント。
そして、一番変わったのは、もう無理して歩かなくなりました。
今の身体の状態を、半ば諦めながら、受け容れられたのだと思います。
最近の送迎は、雨の日の整骨院、月に1度の美容院、その他、不定期に歯医者さん、
眼科、補聴器屋さんなど。
そして、月に1〜2回イトーヨーカドーやララガーデンの買い物。
毎日の買い物をしなくなったので、
「時々、買い物に行かないと、カードやアプリの使い方を忘れちゃうわ」と。
買い物は、日々のストレス解消にもなるのでしょう、あれもこれも、と
行けばいつも食料品1万円前後の爆買いをします
家計を管理している夫は渋い顔ですが、これもリハビリの一環。
でも、まあ、今は落ち着いているので、良い状態といえます。
同居して6年目。
2年ごとくらいに何かがあって、その度にステージが次に移ります。
大人の階段を登るというか・・