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慶應義塾大学に半年で合格した勉強法

偏差値40の高校から半年間で慶応sfcに合格した勉強法を掲載

私が3年の最後の総体で陸上部がおわり、そこからどのように合格したか体験記を書いています。


3年6月 陸上部最後の大会が終わり、最悪の受験期を迎える!

 私は2年の2学期から筑波大学を目指すために陸上部を半ば休んだ状態であったが、
それでも最後の大会を出ることになったので、いやいやながら出場した。私が専門とし
ていた種目は800Mと1500Mだ。1500Mは4分30秒で走れた体力も、ほとんど半年
間陸部に姿をだしていなかったので、悲惨なタイムで終わってしまった。しかし、すでに我すでに心ここにあらずという状態であまり気にしていなかった。

この時期、私の頭の中は大学受験のことを考えることだけで精一杯だった。

この期に及んで、本当に行きたい大学は筑波大学ではなく、東京大学ではないかと思う
葛藤に苦しんでいたのである。

大会が終わる夕方、タイムランキング表を見ていると誰かがポンと肩をたたいた。
後ろを見ると、去年別の高校に転任してしまった元陸上部顧問I先生がいた。

「久しぶりだね。」と言われ、久々の雑談を楽しんだ。
会話の中で、I先生が「志望校は決めたかね?」と唐突に言われ

「東大です!」
と私は返答してしまった。

その先生は「おぉ、すごいね。そしたら歴代初だ」と言って去った。
なにを言っているんだ俺はと思ったが、やはり東大を目指さずに受験期を終えたくはないという気持ちがあった。

あぁ、やっぱ俺って筑波じゃなくて東大行きたいだなぁ

と痛感した。こう先生の前で返答した以上、東大目指す!とその日決意した。
そして、次の日から東大受験に向けて奮闘する日々が始まったのである

担任B先生との対決!

 3年の6月、当時私の平均偏差値は英語:60 地理:60 地学:55 数学:50 国語:48
政経:58ぐらいであった。これでも模試で校内総合得点1位を取ることがしばしばあった。

まぁ、それぐらいの高校であったとうわけで・・・(なんせ蛍光灯切れても交換する金がねぇ(;´▽`lllA“
当然ながら、筑波大学すら十分な判定結果が出ていなかった。慶應大学に関しては堂々のE判定である。
こりゃあ・・浪人決定かなぁ ハハ
と心中で言いながら笑うしかなかった
それでも一度東大を目指し出したらもう誰も止められなかった
私の暴走は止まらなかった(笑
私は部活の大会を終えて1週間ぐらい経ったころ、一人で職員室に入り、私のクラス担任であるB先生の前に立ってこう言った
「先生、やっぱ俺東大目指します」
それを聞いたB先生は驚いて何も言わなかった。
しかし隣にいたD先生は即座にこう言い返した。
「お前、親は浪人を許したのか。予備校は決めたのか。」
俺の浪人は決定ですか?(^。^;
まぁ実際そう思われてもしゃあないよなぁ・・と心中で思い
とりあえず私は「はい。」と返答してその場を去った。

しかし、そうは言ったもの
やはり私のこの偏差値では絶望的である。

それでも漠然と勉強を続けるのであった。
7月に入り、6月中にセンター模試や記述模試が返却されたが慶應大学はE判定。東大はもちろんE判定・・
B先生からは「慶應を目指してるんだったらセンター試験で9割取ってる人のグループに入らないとねぇ」
と嫌みったらしく何度も説教された。
正直いろんな意味で腹が立ったが、何も実績をあげていないため何も言い返すことはできなかった。
周りのクラスメイトも応援してくれる人が多くいたが、嫌味を言ってくる人も少なくはなかった。

この時期はかなり精神的に追い詰められていた。

進路指導室には早慶の赤本すら置いてなく、今まで私の高校で慶應大学に入った人はいなかった。東大などもってのほかである。
難関大に合格するための情報がなかった。孤独感に押しつぶされて死にそうだった。

無気力に押し潰され、何もしたくない日もあった。
いや、実際何もしない日もあった。

7月の中旬に入り、とにかく情報収集せねばと思いインターネットで様々なサイトを見て回った。
受験生用の掲示板や合格者の戦略などを掲載している多くのすばらしいサイトに出会えた。東大3類のgenさんのサイトはかなり参考になった。(現代は閉鎖されたけど
田舎で情報がない私はとにかくこういったサイトから情報を得るしかなかったのである。
しかし、少し孤独な受験勉強でなくなった。私には大きな支えとなった。
それらのサイトや人を通して情報収集し、自分なりに得意分野を生かした戦略を数十日かけて練った。
(もちろんこの期間勉強も怠ったわけでないが

私は7月の終わりごろ、ようやく志望校を決めた。

第1志望は東大文科3類 
第2志望は慶應大学環境情報学部 
第3は慶應大学総合政策学部 
第4は慶應大学経済学部 
第5は早稲田大学商学部

はっきりいって、高校の志望校調査の時上記の大学を書いても先生方は中々納得しなかった。
(当時の私の偏差値から見れば当たり前だが・・
たが、大きな野心を持ちこれからB先生を見返すために私の勉強は本格始動するのである。

モチベーション低下。法政大学にしようかな 東大しかみていなかった私は文科3類の後期にすべきか、文科2類にするのか決めかねていた。すぐに志望先を絞って
対策しなければならないのだが、どうも優柔不断な感じであった。この時期、そう刺激があるわけでなく、住んでいる場所が
田舎で情報もなかなか入って来ないため、徐々にモチベーションが下がっていった。
そんな中、N先生と雑談していたとき、その先生に「東大って絞ってるから、先が見えてこないんだよ。お前は大学に入って
なにがやりたいんだ。」と言わた。
確かにその通りだ。私は大学に入って都市計画を専攻したかったのだ。どうも学歴ばかりにこだわり過ぎていたと思い少し東大熱
が冷めた。そんな中、AO入試が増えてきていることがわかり、様々な大学の推薦入試を調べた。
その中でも法政大学文学部地理学の推薦入試は地理1科目で基礎教科が済むことがわかり、もうここでいいんじゃないかと思うようになった。率直に言って、もう受験という束縛から1秒も早く逃れたかった。

そこで担任のB先生に法政の推薦入試を受けたいと相談したのだが、その先生から驚くべき言葉が返ってきた。

「このAO入試は公募制じゃないよね?あなた特進クラスだから私立専願はできないことになってるんだけど」

すでに私のクラスから私立の推薦入試は公募制でないと受けれないのはわかっていたが、まさかこうもきっぱり言われるとは思わなかった。
本当にはらわたが煮えくり返る思いであった。
偏差値が低くとも一応は進学校なので、出来り限り国公立の実績を上げたかったのだろう。
だが、あまりにも冷酷ではないか。私の考えなど先生方は何も考えていないんじゃないか。

こんな高校やめたほうがいいや・・・

そんな気持ちが次第に高まっていった。

もう中退する。こんな高校にいても自分の夢がかなうわけがない。
 もう私は特進クラスのわけのわからない制度や融通のきかない先生に嫌になった。
中退が経歴についてもいいから、もうここから抜け出そうと思った。
親にもその日の夜にそう告げた。妙に素直に考えを認めれくれた。
そしたら次の日の朝、母親は私の前で泣き、「絶対にやめたらだめや」と懇願してきた。
しかし当時の私は頭に血が昇っていた状態で中退する意志を曲げようとしなかった。
父親も私の考えには半場賛成であったが、実際中退するとなると猛反対し私に怒声を発した。

B先生にも「中退したい。」と自分の意志を告げると

「それは極端じゃないかなぁー」と返答した。
「なにが極端だ。どこの大学に入学するかでこれからの人生が左右されるってのに、それを高校に邪魔されたんじゃあやめたくなるのも当たり
前だ」と言いたいのも山々であったが、もうこの先生には何言っても無駄だと思い何も言い返さなかった。
他の先生も私が言ったことを聞いたが、B先生と同じような意見であった。

やり場のない怒りがこみ上げてきた。

数日経ち、ようやく冷静になることができた。親の猛反対に負け、私は高校を中退することを断念した。
こうなったら、東大文科3類後期に受かって先生を見返すしかねぇ!
私は今一度、東大を目指すことを決心した。

夏休みは完全英語漬け!

 私は8月の上旬、TOEFLゼミナール出版の慶應SFCの英語という本の合格体験記を見ていた。
そこで1日4,000語読むようにしたという言葉に目に留まった。
とにかく悩んでいても仕方がない!量をこなせばいいんだ!と決心し
1日5000語読むことを目標に単語の例文や長文問題に取り組んだ。(もちろん5000語計画は後に中止せざるをえなくなったが

正直1日5,000語なんてむちゃくちゃな計画である。英語1科目だけやるにしてもかなりの労力
を要すものである。
それでもとにかく読んだ。
自分のレベルに合った長文や例文を読みまくった。
高校の夏季補習は強制参加であったので、しかたなく数学や地学の補習に出たが、内職ばかり
していた。しかし、ひたすら書く読むの作業の繰り返しでは中々頭の中に入らなかった。
そこで私は単語の暗記法をはじめ多くの工夫をし、うまく勉強を進めていくことができたのである。

この時期に勉強法を見直していったことが後々多くの場面で私の窮地を救っていくことになった。

*英語を勉強をする際、工夫したことは英語の学習法に載せたので参考にしてほしい。

この勉強法によって、9月の河合記述模試では私は驚くほど偏差値が伸び、英語の偏差値は60後半
でいった。地理も70までいった。

だが、国語がほとんど手つかずの状態で偏差値は相変わらず低迷していた。
それだけでなく、小論文がほとんど手が付いていない状態。
私は基礎教科をするだけで精一杯であった。

ついに出た!慶應義塾大学E判定脱出

 夏休み英語の勉強法を改善したおかげか、夏休み明けの模試で慶応義塾大学環境情報学部C判定が出た。
この学部の試験科目は英語と小論文なので、英語の偏差値が60後半までいけばかなりいい判定が出る。
些細なことであるが、私にとってはとても喜ばしいことであった。しかし喜んでいたのもつかの間、B先生をはじめ
多くの先生はこの判定を見てもなかなか私の考えを納得してくれなかった。周りの友人は「すごいね」と言ってくれたが
千葉大学を目指すライバルK君には「どうせ慶應なんて無理だろー」といわれた。
それでも私は気落ちすることなく、絶対に俺をバカにした奴ら見返してやるという気持ちが高まっていった。

偏差値が高く出たといって・・ 

さて、偏差値が大幅にUPしたのは大いに喜ばしいことであったが、慶應大学をはじめ東大など難関大の赤本の問題は高得点を取ることができなかった。SFCの超長文はあまりに難解な単語が多く、全国模試では問題の難易度が優しすぎて正しい指標をなってくれないことを実感した。私はまた大きな壁にぶち当たり、偏差値も低迷した。

中退しなくてよかった。I先生との出会い。
 B先生との対立や他の今までの先生方の対応で、すっかり私はアンチ母校精神を持っていた。慶應経済などを併願先としていたため、B先生に英作
文の添削などを迫ったが、「さすがに私もやることあるから毎日は無理ねぇ」と言われ他の先生にも当たることにした。
そこで久しぶりにI先生に会うことにした。この先生は本当に優しく接してくれた。私の奇抜な考えも素直に受け止めてくれ、慶應の英語長文をどのよう
に解くかさまざまな方法を教えてくださった。通称;電話帳(全国の国公立や私大入試の問題が載っている白本)に掲載されているマーチや同志社など様々な大学の過去問をやった。
9月下旬で中央大学の長文問題なら満点取れる実力が備わっていることがわかった。
調子に乗って環境情報学部2005年の英語に挑戦した。

結果はほぼ5割・・・

やはり慶應大学は難しいなぁを再び実感

志望校の過去問のできは悲惨であったが、サポートしてくれる先生ができたことで私は自信に満ちあふれていた。日々実力が向上していることを実感し
た。勉強など苦痛ではなかった。放課後職員室に行けばI先生はさまざまなアドヴァイスをしてくれ、私を全面的にサポートしてくれる。
孤独感がなくなった。ただ単にそれがうれしかった。

英語はほぼ完成・・慶應義塾大学B判定、東大文科3類後期D判定。
 10月の全国模試では確かな実力の向上を実感した。もしかしたら慶應A判定じゃないか?俺英語満点じゃねぇか?と思うほど模試のできがよかった。
センター模試でも英語9割、地理8割と確かな実力の向上を実感した。しかし、やはり国語が足をひっぱり早稲田と東大の判定は相変わらず悪かった。
しかし慶應義塾大学B判定を出せたのは大きかった。SFCはこれでいける!と思い込んでいた。周りのクラスメイトの次第に私の考えを認めるようになった。一部まだまだ私に厭味を言ってくる人もいたが、以前よりもだいぶましになった。

小論文がやば!
 さて、今までの文面から見ての通り私は11月においても重要なことをしていなかった。それは小論文である。B先生にも「SFCは小論文あるんでしょ?
英語でB判定取れてもねぇ・・」と言われ確かにその通りだと痛感していた。
そこでI先生添削のもと、市販の小論文問題集に取り掛かった。
しかし、どうも抽象的なことばかり書いてしまい具体性のない小論文となってしまった。

*抽象的なことばかり書いてしまうのは知識のない受験生に見られることである。知識がないので具体例の要素が著しく欠け、読み手が見ても面白くない
幼稚な文となってしまう。

そう、いくら市販の参考書で小論文の型を会得しても具体例を書く要素が自分にないのである。知識なんてすぐ身につくものじゃない。しかしこうしているうちに
12月になりつつある。東大後期、慶応入試で重要な科目に苦手意識を持ってしまった。
小論文という科目を甘く見ていた自分に後悔するのであった・・・

慶應模試で堂々のA判定!

 12月の終わりごろには英語・地理の偏差値は80までいった。代々木の記述模試では全国順位で上から5本指に入るまで伸びた。
ここまで伸びたのも、I先生のサポートでモチベーション維持できたことと、自分なりに工夫した勉強のおかげである。
大晦日の慶應模試では堂々のA判定。この2教科は完全に完成したと自負できた。
ここまできたらもはやB先生は何も口出ししなくなった。
どうだ、思い知ったか!とその先生の前で言いたかった。

SFC過去問でも英語は8割超えが当たり前になった。一橋大後期の超長文も難なく解けるまでになった。
あとは、小論文 (汗。
センター試験も間近である。ハイペースでこの科目を進めなければならなかった。

K先生との出会い。小論文は、スケッチだ!

 ようやく冬休みが明け、私の高校でも小論文指導が始まった。
K先生は私を担当することになった。
この先生は小論文において熟練した方で、他の先生よりも指導がとてもうまかった。
そこで環境情報学部2005年の小論文を添削してもらうことにした。
しかし、課題文の意味もわからずチンピンカンプンな文を書いてしまうこともしばしば

K先生になんどもダメ押しされた。

同じ高校の中で慶應志願者は私だけじゃなかった!
 K先生から聞いたのだが、私の他に理系でT君がSFCを志願していたらしい。数学が得意なので数学選択でSFCを受験するつもりであったようだ。
一度も会っていない人であったのでどんな人かわからなかったが、K先生にダメ押しされるともう高校の小論文添削講座に来なくなった。
せっかく仲間ができたと思ったが、非常に残念であった。
特に小論文の場合、同じ志を持つものが互いの小論文を添削し合って情報交換することが非常に有効なので楽しみにしていたのだが・・

私には、誰にも負けない得意分野があった!
 どうも具体例に欠け、抽象的なことばかり書き綴る癖が私にあったが、なんとかこの状況を脱却することができた。私には、誰にも負けない都市にかんする知識が備わっていることがわかったのだ。そう、私は小学校の時から都市の構造に関しては興味があり、本やWEBページでそれに関するものを読んでいた。
そのネタに持ち込める論題はすべて都市に関することを書いた。それで小論文の具体例に私なりの特徴をアピールできた。
総合政策外部のほうでこの知識はなかなか生かしづらい面もあったが、環境情報学部のほうではこの知識を活用することでかなりユニーク性の備わった小論文を書くことができた。
K先生からも環境情報学部はお前の得意分野の知識を生かせば大丈夫だと言われ自信がわいてきた。

東大後期に挑戦できるか!?センター試験突入
 国語の対策がほとんどできないままセンター試験に突入した。理系の科目は必要なかったので初日だけ出てればよかったのだが、これも高校特進クラスの決まりで全科目受けなければならない決まりになっていた。最初は政経である。あまりこの科目は勉強していなかったが、予想以上にできた。次が国語であるが、これは何とも言えない状況。時間が足りずかなり焦ったが・・
センター英語、地理に関しては怖いものなしであった。

そして2日後、自己採点・・・
結果は

英語は9割5分

地理は満点

政経は8割5分と順調な得点を獲得したが

国語の現代文で人生最大の大失点。

4科目合計得点は540点に及ばなかった・・

2006年はセンター試験がありえないぐらい簡単だった。540点を越えなければ東大後期は足切り決定だろう。

この後、B先生をはじめ多くの先生にこの弱みをつけ込まれるのであった。

「やっぱ国語の授業内職ばかりしてたから・・」
と何度も先生に言われた。
私大入試に集中をしたかったのに、正直もう勘弁してほしかった。

さて、センター試験は死んでしまったが、実はこの時期にもかかわらず英検も申し込んでいた。
私は高校のうちにどうしても英検準1級を取りたかった。
だが準1級のリスニングは速度があまりにはやい!
ほとんど聞き取れず、結果は不合格Aであった。
しかし、この結果にもかかわらず私のモチベーションは上がった。
なぜならリスニング分野を抜かせば9割7分ぐらい得点が取れていたからだ。(逆を言えばリスニングがよほど悲惨な結果だたというわけで・・
これぐらいの得点が取れているのだから、もはや早慶入試を恐れる必要はないと確信した。

いよいよ早慶入試!
私が出願したのは慶應環境・総合・経済、早稲田商である。
慶応入試に関してはもう落ちる気がしなかった。
試験前日、母親同行で渋谷駅前の高級ホテルに泊まった。(なぜなら安いとこがもう埋まっていたので
ホテルから新宿副都心の展望が最高によかった。
「やっぱ、俺はこの都市の大学で都市計画勉強したいんだー」
そう実感した。
このホテルから見える景色は何度見てもすばらしかった。試験直前の緊張などぶっとんだ。

翌朝、母と東横線に乗って日吉キャンパスに着いた。
朝7時というありえない早さで着いたので、慶應大付属高校やグランドなど見て回った。
母はいきなり「これは浪人覚悟やね」と言ったため緊張が高まったりした。

試験初日、まずは経済学部であった。
英語はSFC式の長文になっていた。はじめはびっくりしたが、SFC対策を十分にしたのであまり動じず、落ち着いてできた。
しかし、時間が足りない!
英作文をなんとか終えると、すぐ時間切れ。
すべて回答を記入することがきできたが、確認する時間など皆無であった。

周りの人々も時間がなかったと騒いでいた。
次は地理である。
過去問演習ができず焦っていたが、実際問題はかなり優しいものとなっていた。
センター試験を思わせるぐらい簡単な問題も多かった。

最後に小論文。
これ例年の問題に見られる統計データなどを参照して書くものではなく、生物化学の進展と保険制度について課題文を踏まえて書けというものになっていた。
私はあまりいいネタが思いつかず、論文を頭の中でしっかり理解せずに小論文を書いてしまった。
あえなく時間切れ。
一応すべてかけたが、正直やばいと思った。

小論文がいやな感じに終わったが、英語と地理ができたのでこれでいけただろうと思った。

翌日、この日は試験がなかったので早稲田の見学に行くことにした。
高田馬場駅から早稲田大学までの距離の長さに驚いたが、気持ちよく見学できた。アメフト部の人たちが受験生に握手してくるのは嫌みに思ったが(;´▽`lllA“
午後は汐留・お台場へ
ほんとに試験受けにきたのかなぁ・・と少し気が抜けた

夕方ごろホテルに戻り、東京見物に疲れて爆睡していた。

起きると夜になっていて、風呂に入り夜飯を食べてまた寝た。
あっという間に総合政策学部の試験当日になった。

はじめは英語である。
待ちに待った超長文のおでましだ。

量は例年通り、英作文も出題されていない。
今年の超長文は例年よりも優しいのではないかと思った。
それでも途中で意味がわからない部分があり挫折にしそうになったりもしたが、
決してあきらめたりしなかった。
私にはK先生、I先生のサポートがあった。誰よりも実力を伸ばせたと自負できる。
豪語すれば、たとえ相手が灘生、麻布生など一流校出身者でも、この試験だけは負ける気がしなかった。模試の結果、先生のサポートは絶対的だと信じた。
英語のできは最高に思えた。
次は小論文で有利な話題がでることを祈るのみであった。

昼休みが終わりすぐ試験。
内容は世論の動向、Webと新聞社の対決だ。
後者の問題は新聞社が有利とし、無難な内容を書いて簡潔に終えた。(ここでWebを有利にすればSFCよりの小論文を書けたかもしれないとのちに後悔(;´▽`lllA“
前者の問題はどう書くか迷った。
結局、世論の動向で都市構造が変化するみたいなことを書いた。
明らかに環境情報系の小論文だなぁと自分で思ったが、これでいいかなと思った。

総合政策の試験がようやく終わった。

明日は、いよいよ環境情報学部。東大が消えた今、第一本命はここにある。
一段と気が引き締まった。

そして、環境情報試験当日。
体調も悪い感じではなかった。
昨日の入試でSFC入試の感じをつかんだので、落ちついて試験を迎えることができた。
まずは英語。
初めの英文はとても相性がよかった。内容がわかりやすく、30分ほどで終わった。
次の英文は少々難解であったが、時間がたっぷりあったのでじっくり問題に挑めた。

確かなできを自覚し、英語の試験が終わった。
このままならいける!と確信できた。昼休みもおいしく御飯を食べることができた。

これで最後の小論文だ!

小論文の試験が始まり、内容を見ると新たなものを発明しなさいといったものであった。
課題文が例年に比べ抽象的なものになっていたのでとまどったが、自分の知識をフル活用して書くことができた。
小論文の内容は、交通レイヤーをスムーズにするための新たなリニアモーターカーの技術を兼ね合わせた路面電車を開発し、これを実用化すれば都市部の環境が改善されるといった内容であった。

小論文に関してあまり自信がなかったが、無事SFC入試がおわった。

翌日の早稲田入試は、散々であった。
元々商学部に入りたいわけでもなく、ただ日が余ったので申し込んだのでやる気がでなかった。。
国語は意味不明。

こうして私の早慶私大入試は終わり

母校では早慶しか受けないことが話題になってた。
こんな荒業をよくもやってくれなぁ・・と試験後何度も先生に言われた。

この後、高校の強制で横浜私立大学前期を受けさせられた。
問題はかなり容易だったが、ここも自分が希望する大学でなかったので問題を解く気がしなかった。
問題は書かなかったも同然である。
これで私の大学受験は終えた。

あとは結果を待つのみである。

27日・・
この日は午前2時に目がさめた。
試験日以上に緊張した。
午前11時・・そのとき俺のこれからの人生が決まる!

PCで結果を見ることにした。
自己採点した結果、総合政策学部は英語9割だったのでまずこの学部の合否を確認することにした。
結果は

「残念ですが・・」

えっ!?

落ちた!?
英語9割で落ちた!????

目の前がまっくらになった。とはまさにこの状態のことである。

隣にいた母からは

「まぁ一浪ぐらい許してあげる」
と同情にもならない言葉をかけられた。

おいおいおい!
気が動転した。

その後
意を決して
環境情報の

合否を
確認・・
指がかなり震えた
英語9割でダメだったかぁ・・・ここの学部は英語8割だしなぁ(;´▽`lllA“

母はもう駄目なことを確信し台所の掃除に取り掛かっている。

「おめでとうございま・・」

オォォォォォ!

「かあちゃん、受かったぞー!」

「えっ!?だってあんた塾も予備校も行ってないやろ!」

この後、一目散に母校へ
職員室に入ると先生たちが一斉に私を見た。
B先生は私を見てこう言った。
「あら、慶応どうでしたか?」

「けいおう・・受かりましたァ!」

「エェェェーーーーーー」
先生たちは一斉に声をあげた。

「こんな高校からでも、一流大に行けることを証明したんやねぇ・・」
B先生はこんなことばを口にした。
その後すぐに校長室に呼び出しされた。
校長先生は大喜びであった。
K先生と握手し
I先生と喜びを分かち合った

これが、私の高校にとって歴代初の快挙であった!

とにかくこれで私の受験は終わった。

慶應義塾大学環境情報学部 合格。

それを聞くと誰もが驚いた。
「あの高校から慶應義塾大学か・・・お前すごいな。」
と地元で最も優秀な高校にいる人に言われた。

ただ

それでも1つ気がかりなものがあった。
それは、東大。
やはり東大へのこだわりは捨てきれなかった。
しかし、そう学歴に固執する必要もないだろうと思った。
いや、言い換えれば再度大学受験をやり抜くほどの気力はもう私に残されていなかった。
先生との対立や難関大受験により、予想以上に私の精神力は削られていた。
「高校歴代初の慶應合格だ。もういいじゃねぇか。こうして家族も友達も、先生方もみんな喜んでいる。こんな状況で、進路を悩んでいるなんて言えない。俺はここで腰を据えよう。そして、慶應義塾大学で活躍していこう。」
そう思った。
もはや東大熱など完全に消えてしまった。

東大には及ばなかった。
それでも
東大をめざして
何度も戦略を練り
反対する先生を押し退け
数多くの人々に支えられ
私は自分のやりたいことができる学部にいけた。

高校のランクなど・・くそくらえ!
最近はハイパーハイスクールなどの認定校が飛躍的に実績を伸ばしているが、その高校生に負けてはいけない。
やる気さえあれば、動機づけさえあれば・・

蛍光灯すらまともに変えてもらえない環境でも難関大にいける!(笑

~あとがき~
 さて、「偏差値40代の高校から慶應義塾大学へ」の豪華う体験記はいかがだったでしょうか。本格的に
受験勉強に入ったのは3年の6月からです。多くの人がもう見切りをつけてしまう時期です。私の周りでも多くの人が高3年の前半・中盤であきらめ、1浪して国公立大・難関私大を目指すと言い出す人もいます。。そう言った人々はその言葉通り現在浪人しててしまいました。しかも時間の余裕に甘んじてかその人々の多くは精一杯勉強していません。最大限の努力で受からなかったらそれこそ仕方ありませんが、受験の厳しさを痛感せずに浪人してもいい結果はでないと思います。
 大学受験とはとても大変なものです。言葉じゃ言い表せないくらい。
少なくとも私にとってはそうだっでした。
しかしこの受験を経て、教養力を身につけただけでなく「仲間」の大切さを実感できました。
さまざまな人の助けがほんとうにありがたいものだと思いました。
そして受験期に得たこれらものは、現在大学で非常に役立っています。
学問を探求するものとして、この苦しい時期は必須だったのでしょう。

 現在、私は東大に合格することをあきらめたのに後悔していません。
今在学しているキャンパスにはモチベーションが非常に高い人が多くいます。
中には「東大落ちてよかった!」と一瞬思わせるほど私にとって魅力的な人もいます(笑
教授もとても優秀。語学などの授業の質もとても優秀です。
私はこの環境で満足です。

高校のランクなど関係ありません。(極端な言い方しちゃうと(^_^;)
自由に行きたい大学を目指せばいいのです。
まずは志望校を書いてE判定を取るところから始まります。

大学受験で成功する秘訣。

あきらめずに、ねばりさえすればいい。

周りの人々に何を言われようと、がんばることだけつづければいいのです。

もちろん、現状の自分ではどうにもならないこともあります。
その対処法は簡単です。
その「どうにもならないこと」ができるようになるまでの距離を常に意識することです。偏差値の差であったり点数の差であったり。

何にしても負けない熱意を持ってください。

そしたら周りの反対する人々もあなたの熱意に押されてなにもしなくなります。

受験戦争は、もがいた者勝ちです。

足掻いたもの勝ちです。

予備校などの言葉にまとわされないでください。

独学で難関大に受かることは、決して珍しいことではないのですから。

おしまい!
小論文のネタ集めですが、専門家に会うことは書物じゃ得られないリアルタイムな情報が聞けるので、最高ですよ。


って言っても、知り合いでそんな人がいないと中々できないですよね。


じゃあ、どうするか?




大学の研究発表会に行きましょう!


慶應大学ではSFC OPEN RESEARCH FORUMなどを六本木ヒルズで開催し、一般人に研究会の成果を発表しています。他の大学でも調べれば、ゼミや研究会の成果を一般人に発表しているところが結構ありますよ!

そこに出向いてください!そしていろんな講演や話を聞いて知識を蓄えてください^^


数回行っただけで変わらないだろ~と考えるあなた!

それは完全に間違っていますよ^^
小論文を書くコツは、基本的な文章が書ける文章構成力と、独自性のある具体例を出せる知識の2点が必要です。


なぜなら、小論文は「主張」と「その主張を裏付ける理由」、「理由の説得力を増すための具体例」を書く必要があるからです。

例えば、主張:タバコは体に悪い
    理由:ニコチンやタールが含まれているから
    理由の説得力を増すための具体例:ニコチンやタールには発ガン物質が含まれているとの報告が医学会からあがっている。


こんな具合です。


主張で独走的なことなんて誰でも言える訳です。

私は日本の借金は5年で0にできる!とか(笑)
じゃあ、理由は?具体的には?って問いつめられると中々答えられないじゃないですか。


そこで、知識が必要となるわけです。

で、知識を蓄えるためにみんなどうするかと言うと

2012年時事とか書かれた書物を読んだり、新聞を読み出したりするわけですよ(笑

もちろん、何もしないよりいいのですが

私が受けた慶應の環境情報学部だと、毎回こんなものを発明しなさい。新しい発想で問題を解決してくださいって言われる訳です。

そんな問題に時事だけの知識があっても対処できないです。


だから!


好きなジャンルの本を読むんです!(漫画など知識が身に付かない、絵を楽しむ本はだめですが)

私は街が好きなので、時事や新聞よりも都市計画に関する専門書や、実際に街にあるいて「このデザイン考えられるな-」「あーここは問題だなー」と考えるようにしました。

そんなことを3ヶ月やっていただけでも、見る見るうちに説得力のある理由と具体例がかけるようになりましたよ。

好きこそ物の上手なれ

ですね!



好きな分野の本読んだり、その分野に詳しい人に会ったりなど、いろいろ短期間に経験するだけでも、本番で生きてきますよ。