ある方の思い出のために
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
台風一過のお盆に合わせるように、わたしの親しい方が亡くなりました。
その方は、漢方・針灸の勉強会の先輩ではあるのですが、ご本人は今治市の普通の薬屋さんで、何十年も勉強会に通っているのに、漢方をやるどころか、勉強する気さえいっさいありませんでした。
それは、漢方の先生と、漢方・針灸の勉強会に集まっくる連中が好きだったからです。
本人は、「漢方陰陽会」夜間部の塾頭、と名乗っていました。
昼間の先生の指導も厳しくて、いい加減な人格から叩き直されるのだ、という覚悟がないと続けられない勉強会でした。
それに輪をかけて、夜間部の塾頭の追求は鋭くかつしつこい。
土曜の夜は、時間は無制限だから、新入りの若造どもは、いい加減なヤツは許さないと、朝まで絡まれますからまれます。
薬剤師さんですから、店から無水エタノール=100%のアルコールと蒸留水の瓶を持ってきて、メスシリンダーとフラスコで適量に希釈して、人に飲ませたり。
2人ほど、病院に運ばれました。
塾頭が求めるのは、「面白い」ことです。
正しいこと、便利なこと、役に立つことなんか、話しをすると、お前は「面白くない」とこき下ろされます。
塾頭のしてくれた「面白い」話しをいくつかやってみましょう。
まず、塾頭は、中高一貫の私立進学校に入ったけど、そこの校風とはさっぱり合わない。
アパートの天井の蛍光管に青いセロファンを巻き付けて、部屋全体を青暗くしていた。
それが、当時の心境だったのでしょう。
朝起きて、電車の駅まで行くけど、つい学校とは反対の電車に乗ってしまう。
港町の小汚い映画館。当時、3本立てで300円、くらい?
6年間で、100本くらい見たかな? あれが今のオレを作ったのよ。
数学がさっぱり出来なかったけど、先生がいい加減に単位をくれて、卒業させてもらった。
浪人して、北海道大学の薬学部に入りますが、この時のアパートには、ポップコンに出始めたころの中島みゆきが通っていた。
彼女のライブの裏方をしたことがある。
そのアパートの友人、「虫くん」の話しをよくしました。
「虫くん」は、無類の昆虫コレクターで、プッチンプリンのカップのトラップを森の中にたくさん仕掛けて、「オサムシ」を集めるのを手伝ったそうです。
「オサムシ」は飛べない甲虫で、地域変異が多いので、コレクターに人気なんだとか。
「虫くん」は、昆虫好きですが、理学部で虫の研究をしようとは思わない。
コレクターと研究者は違う、ということでしょう。
農学部を卒業して、化粧品の卸会社に就職。支店の経理などをしました。
それが70年代半ば、風向きが変わって、道路でもトンネルでも工場でも、なにか開発しようとすると、事前の「環境アセスメント」というのが必要になりました。
アセスメント会社が求めるのは、植物・動物・地質などのそれなりの知識と、もう一つ、経理ができる、という人材。
この条件にぴったりの「虫くん」は、趣味と実益を兼ねた仕事に就くことができました。
ずっと後、「虫くん」は、その会社の勤続25年のご褒美に、大好きな日本産「ゲンゴロウ」、550種? をコンプリートした図鑑を出版させてもらいました。
私らも、塾頭に贈られた5千円の図鑑を見せてもらいました。
「虫くん」の話しでは、日本産のゲンゴロウ全種をコンプリートするのに、最後の数種は、地下水系に住んでいるやつら。
それを井戸にポンプをつけて、水を汲み上げつづけて、ザルに入るのを何日も待つのだそうです。
この採集には、電気代と根気がかかる、と。
こういうのが、塾頭の好みの、「面白い」ということです。
塾頭は、虫は集めなかったけど、小話を集めていました。
「世界小話選集」とか「ユダヤジョーク 200選」なんていう本が出ると買っていました。しかし、1冊に100,200の小話しが出ていても、使えるのは、まず1つ、ということでした。
教わった小話のいくつかを。
まず、短いところで、
イブがアダムに言いました。
「ねーえ、愛してる?」
「もちろんさ! お前しかいないからな」
モスクワの赤の広場で、スターリン(今ならプーチン)の馬鹿野郎! と叫んだ男に対する判決。
強制労働、20年と7日
国家元首を侮辱した罪で、7日
国家機密を漏洩した罪で、20年
パリ万博でできたエッフェル塔の展望レストランに、作家のビクトル・ユーゴーがほぼ、毎日、ランチに訪れる。
「ここがお気に入りなんですね」
「そう。 ここにいるとアレ(エッフェル塔)が目に入らないからね」
このエッフェル塔ギャグは、ポーランドに行ったとき、ワルシャワ一番の絶景スポットは? という形で、スターリンが建てた醜悪な高層ビル「文化芸術宮殿」に、応用されていました。
塾頭は若いころは、毎日、飲み歩いていましたが、彼が好んで通うようになると、そのスナックは、つぶれる、と言われていました。
ある店に行ったら、マスターが店の机の上で寝ている。
「しんどいの?」 「近ごろ、ちょっとな」
「あー、起きないでいいよ」
カウンターの中に入って、飲み物と簡単なつまみをつくって、勝手に飲んでお金を置いて帰った。
あのおいさんも、そう長くは無かったなあ。
オカマバー? のうわさのある店で、なんとなく帰りそびれて、オーナーのチャコちゃんと二人だけになった。
急に、チャコちゃんに抱きすくめられたけど、ゆっくりとチャコちゃんの顔を押し返して、「帰るわ」、と。
それからも、何事もなかったように、その店には通ったそうです。
チャコちゃん、けっこう、力が強いんだわ。 男だからね。
足元がフラフラになるまで飲んでも、絶対、パトカーに合わないルートがあるのだと言って、自分で運転して帰っていましたが、10数年前でしょうか、急性膵炎を患ったら、絶対禁酒を言い渡されて、それからは飲まれませんでした。
16日のお葬式に参列して、お棺に、飾ってあった花なんかを参列者が入れていくというのがありますね。
花はいいとして、ご家族が、オレオとか揚げ煎とか、お菓子をいろいろ入れてました。
晩年、甘党に宗旨代えしたのかも知れませんが、家族は、親父のことをどう思ってたんでしょう。
瓶や缶を、お棺に入れるわけにはいきませんから、大吟醸でも振り注いでやるべきじゃなかったかと、下戸の私でも思いました。
最後に、塾頭に教えてもらった、井伏鱒二訳の漢詩。
題も、「勧酒」、サケをすすめる。 作は于武陵
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
こんな、どうでもいいような、無駄知識ばかり教えてくれた先輩。
わたしも、立派な無駄知識の伝道者になりたいものです。