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架空のとある私立中学B校とC校の関係の話だけど、読まなくても多分影響はありません。
今回私が「イメージ間違っていたな」と思うのは、A校とB校を比べたパターンです。
偏差値55のA校
難関国立2割
早慶まで5割
MARCHまで8割
残りはそれ以外
偏差値50のB校
難関国立1割未満
早慶まで3割
MARCHまで5割
残りはそれ以外
偏差値45のC校
難関国立若干名
早慶まで2割
MARCHまで4割
残りはそれ以外
全部架空なので、イメージです。
ぱっと見、Aの進学実績はBをかなり上回っております。
入ってくる生徒さんの質が違うので、当然と言えば当然なのですが。
なんか急に進学実績が良くなるラインありますよね。
なんにせよ
「A校の8割の生徒はMARCH以上の大学に進学するんだな」
ここまでは合っていると思います。
私はそこからいつのまにか、
「A校に行くとMARCH以上に行ける可能性が高くなる」と思っておりました。
そう思っている方いませんか?
だから偏差値高い学校に行っておいた方がいいんじゃないかなって。
これ、違いますよね。
頭の中でいつの間にか、
「A校にいけばMARCHに行ける確率80%。B校にいくと50%」と同じ感覚になってしまっていたのですが、
「80%の確率でMARCH以上にいける」のではなく
「上位80%の生徒がMARCH以上にいける」のです。
上位80%と確率80%は、全然違う話なのですが、私はそこが途中から曖昧になっておりまして。
どの学校に入ったとしても、お子さんは同じお子さんです。
そりゃ受ける教育は変わるし、そもそも入学時の偏差値がそのまま卒業時まで続くわけではありません。
ですが、単純に考えたら「A校に行ったら進学が有利になる」なんてことはないはずです。
以前、通っていた塾から、学校ごとの合格者の偏差値分布と平均偏差値が記載された一覧をもらったことがありまして、それを元に表を作成いたしましたのでご覧ください。
◎が合格者の平均偏差値です。
学校の80%偏差値とほぼ一致しています。
数字を丸めちゃったので予想通りっちゃ予想通りなんですけど。
80%偏差値から概ね+10くらいまでの合格者がいて、−5より下だと合格することはほぼないことが分かります。
偏差値55の学校の合格者に65のお子さんはおらず、62止まりでしたが、それはおそらくそもそもの母数が少ないからと思われます。
また、これは合格者の分布なので、実際に通っている数で言うと、合格者平均偏差値をピークに、偏差値が上がるほど薄くなってくるはずです。
逆に、合格者平均偏差値の下は-5までしかいませんが、せっかく合格したのに、通わないお子さんは少ないと思いますので、厚めになるでしょう。
なので、進学した生徒の偏差値ごとの分布はこんな感じかな。
ここに偏差値52の太郎くんがいたとしましょう。
立ち位置としてはこの辺ですね。
どうでしょう。
A校に通うのはしんどそうだ、というのは多くの方が感じていると思います。
だから、本命のB校に進学しようかしら、というお悩みがあるわけですよね。
では、B校だとどうでしょう?
上位5割がMARCH以上ですけど、思ったより余裕はなさそうです。
以前「進学先の偏差値を下げればトップになれるという発想は思い上がりだ」って話をしましたが、これくらい下げたくらいでは、そんなにラクにはなりそうにありません。
まして、偏差値50の学校に偏差値50の子が入ったら、実は結構大変ということも分かります。
C校だとどうですか?
C校の上位4割なら、この中では一番可能性がありそうです。
ただトップを取ろうと思うなら、やはり余裕というわけにはいかなそうです。(難関校の指定校推薦を狙うならラクじゃない)
そして、持ち偏差値−10近い学校に行くわけですので、子供のプライド的にも配慮は必要かなと思います。
MARCHで例えをだしてしまったので、まるで「中学受験で偏差値52だとMARCH進学ギリギリ」というような話になってしまいましたが、そこはすごくテキトーです。
私が言いたかったのは「進学先の中学によって、いける大学が変わるわけじゃないよな」ということです。
でも、なんか忘れません?
あと「じゃあC校に進学した方がいいのか?」というと、それもご家庭次第ですが、入学時は上位3割にいたはずなのに、油断して気づいたら下位3割になるかもしれません。
先ほどとは逆の意味で、入学時の偏差値がそのまま卒業時まで続くとは限りません。
サボれば下がっていきます。
一方で、勉強の素養というものもあるといまして、下位2割で入学したけど頑張ってトップ層になった、っていうのはちょっと考えにくいような気がします。
少なくとも、それを期待するのはやめた方がいいです。
「だから第一志望に執着することはない」とは思うんですが「本人が行きたい学校なら、苦労が予想されてもいくべき」という考えに変わりはありません。





