1月に最愛の父が他界した。
秋までは元気に畑仕事をしていたのに。
私の祖母は104歳まで生きた。だから父も当然のように長生きするものだと思っていた。
とはいえ、祖母は晩年、鬱気味になり、その後認知症が進んだ。
周りはかなり大変だったと思う。寝たきりになってからの方が、むしろ落ち着いていたかもしれない。
もっとも、一緒に暮らしていなかった私は、ほとんど世話をしていなかったのだけれど。
元気で働き者だった父も、年末に会ったときには「さすがに年を取ったな」と感じていた。
それでも、こんなにもあっけなく逝ってしまうなんて思いもしなかった。
生まれ育った家には時々帰っていたし、父が作った野菜もたくさん持たせてもらっていた。
それなのに、家がどんな状態なのか、庭や畑がどうなっているのか、私はほとんど知らなかった。
父がいなくなった今、その家には弟が一人で住んでいる。
すべてを任せきりにするのも申し訳なくて、週末ごとに手伝いに帰るようになった。
すると、どこを見ても父が残した愛情でいっぱいだった。
庭も畑も、管理するのは確かに大変だ。
でも、やってみると不思議となかなか面白い。
父が残した庭は決して整然としているわけではない。それでも毎週帰るたびに、何かが咲き、何かが散っている。
畑仕事をするようになってから、太陽のありがたさや雨の恵みを以前よりずっと感じるようになった。
人も動物も虫も植物も、そして目に見えない細菌までもが、それぞれの役割を果たしながら生態系を巡らせている。
自然の中には、最初から誰かだけが得をするのではなく、互いに支え合う「Win-Win」の仕組みがあったのだ。
そんな当たり前のことに、今さら気づいている。
今まで幸せが足りないと思っていた。
もっと何かが必要だと思っていた。
けれど、本当はたくさんの幸せに囲まれていたのかもしれない。
それに気づけなかったのは、私自身の視野が狭くなっていただけだった。
父が残してくれた庭と畑は、野菜だけでなく、そんな大切なことまで教えてくれている。