先日、岡崎市美術博物館で開催されている展覧会
『茶の湯の文明開化 ―茶人玄々斎の生涯と奥殿藩松平家―』を観てきた。

三河国奥殿藩の子として生まれ10歳で裏千家の養子となり裏千家11代家元となった玄々斎ゆかりの品々と玄々斎の出身である奥殿藩松平家ゆかりの品々が展示されており、お茶を嗜んでいる人のみならず歴史好きにもなかなか楽しめる展覧会だった。
目玉はポスターにも写っている玄々斎好みの「五器」の1つ羽衣棗で、富士山の松を使っているとかで松の皮目を残しているのが特徴的である。この展覧会では「五器」のうち茶杓、香合も展示され3つが一度に見られるとのことで知り合いでお茶をやっている人はそれだけでも十分観る価値があると言っていた。
他にも明治維新後に外国人でもお茶がたしなめるように玄々斎が考案した立礼式で使われる点茶盤と呼ばれるテーブルのようなものも展示されており、お茶の世界伝統的なものだけではなく、いろいろあるものだと感心した。
お茶の展示の後は三河奥殿藩ゆかりの展示である。
岡崎にある奥殿陣屋が奥殿藩の拠点であることは知っていたが、幕末に奥殿藩は藩庁を信濃佐久に移し龍岡藩となっていることは知らなかった。
その拠点である龍岡城は幕末に建設されており設計図などが展示されていたが、驚いたのはその形が北海道函館にある五稜郭にそっくりだったことである。
現在の城跡は小学校となっているらしく航空写真も展示されていいたがまさに五稜郭。
奥殿藩がこんなものを作っていたのだなぁとあらためて感心した。

『茶の湯の文明開化 ―茶人玄々斎の生涯と奥殿藩松平家―』を観てきた。

三河国奥殿藩の子として生まれ10歳で裏千家の養子となり裏千家11代家元となった玄々斎ゆかりの品々と玄々斎の出身である奥殿藩松平家ゆかりの品々が展示されており、お茶を嗜んでいる人のみならず歴史好きにもなかなか楽しめる展覧会だった。
目玉はポスターにも写っている玄々斎好みの「五器」の1つ羽衣棗で、富士山の松を使っているとかで松の皮目を残しているのが特徴的である。この展覧会では「五器」のうち茶杓、香合も展示され3つが一度に見られるとのことで知り合いでお茶をやっている人はそれだけでも十分観る価値があると言っていた。
他にも明治維新後に外国人でもお茶がたしなめるように玄々斎が考案した立礼式で使われる点茶盤と呼ばれるテーブルのようなものも展示されており、お茶の世界伝統的なものだけではなく、いろいろあるものだと感心した。
お茶の展示の後は三河奥殿藩ゆかりの展示である。
岡崎にある奥殿陣屋が奥殿藩の拠点であることは知っていたが、幕末に奥殿藩は藩庁を信濃佐久に移し龍岡藩となっていることは知らなかった。
その拠点である龍岡城は幕末に建設されており設計図などが展示されていたが、驚いたのはその形が北海道函館にある五稜郭にそっくりだったことである。
現在の城跡は小学校となっているらしく航空写真も展示されていいたがまさに五稜郭。
奥殿藩がこんなものを作っていたのだなぁとあらためて感心した。



