私と音楽(2)・・・瀬尾一三 | 出石そば「輝山・きざん」の応援隊長ブログ~新しい出発

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大阪に出て12年、故郷出石に帰って、2012年3月、そば屋「輝山・きざん」を始めた息子の親父の応援日記。2015年12月、47年勤務した建設会社を定年退職し、顧問として再雇用され、2020年12月完全退職し、輝山に就職。

第2話は、音楽界では知る人ぞ知るという「瀬尾一三」の話です。


表舞台には出ませんから、一般の人には知られていません。
現在、中島みゆきのプロデューサーとして活躍中の瀬尾一三は、私の従兄弟で3つ上。
小学高学年の頃、父親の転勤で出石町の小坂小学校から転校しました。
前述のフーク・クルセダーズとは同世代ですが、接点があったかどうかはわかりません。
関西大学時代に音楽活動を始めました。
卒業してプロの道に入り、長渕剛、吉田拓郎、南こうせつ、伊勢正三など多くの編曲を手掛けました。
「3年B組金八先生」の劇中音楽を担当したり、1990((平成2)年、徳永英明の「壊れかけのRadio」で第32回レコード大賞編曲賞を受賞しました。
1990年代は、特に中島みゆき、長渕剛のプロデュースに力を注ぎ、現在でも中島みゆきのプロデューサーを務めています。

↓2年ほど前、中島みゆきコンサーで指揮を執るTV映像から

2年前の法事で
 
1973(昭和48)年、シンガーソングライターとして最初に出したシングルレコード「獏」

彼が大学生の頃、私の家に泊まりに来たことがありました。
私は高校生の頃でした。
彼はギターを弾いて、自分で作った曲を歌っていました。
前回、私の音楽の原点はフォーク・クルセダーズと書きましたが、よく考えると私はこの時からギターを弾き始めたので、音楽の原点は、瀬尾一三かも知れません。
叔父、叔母の法事にしか会うことはありませんが、私も、妹も、弟も彼の音楽に大きく影響を受けました。(敬称略)