夏目漱石【彼岸過迄】の鎌倉周辺 | 手造りソーセージ屋[カセローレ]社長のタワゴトブログ

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社名『Kasserolle』の中にも、『Kasse"roll"e』という具合に、そのスピリットが生きてます。。

最近また漱石をひっくり返して読んでます。。


今読んでるのは、もう何度目だか分からない『彼岸過迄』。
この作品については過去に書いていますので、お暇な方はこちらをご覧ください。

でも、今回は別のお話。

小説の中盤過ぎに、明治時代の鎌倉と逗子を描写した部分があるのですが、とても興味深いんです。

親戚の田口一家に誘われた須永親子が鎌倉の別荘で過ごす二日間に、小坪で蛸を釣る下りがあります。

この別荘につては、確か鎌倉文学館に詳しい記述があった気がしますが、すみません。あんまり憶えてませんf^_^;
でも、漱石が何度か避暑に鎌倉を訪れたのは史実で、漱石の知人の別荘があったのは材木座だったと思いますが、定かではあませんよ。

小説はフィクションですが、描写は漱石の実体験を基にしてると思われます。

作中では
そうしてそのまま小坪へ這入る入口の岬の所まで来た。其所は海へ出張った山の裾を、人の通れるだけの狭い幅に削って、ぐるりと向う側へ廻り込まれる様にした坂道であった。
と描写してます。

なんだか、江ノ島の裏側の岩屋へ行く道を彷彿とさせますが、描写はあくまでも明治の小坪です。

これは現在の小坪です。
海へ出っ張った山」はありませんね。


明治の古地図を見てみると、
明治時代には逗子マリーナと小坪海浜公園は海の中です。
大崎という岬が、現在の大崎公園の地形と似ています。漱石が歩いたのは、たぶんその辺りだったのではないでしょうか?

一同がぞろぞろ揃って道幅の六尺(180cm)ばかりな汚苦しい(むさくるしい)漁村に這入ると
とあるので、この辺りは漁村だったのでしょうね。
今となっては想像するしかありません。

ここで登場人物たちは船に乗り、蛸釣り(と言っても本人たちが釣るのではなく、漁師がモリで突くだけ)に興じるんですが、これも漱石の実体験かも?
と思います。

なにせ細部の描写がリアル過ぎるので、人からのまた聞きではない気がします。


さてさて、この小説の真髄はこの部分ではなく、須永だだっ子みたいに東京に帰った後に描かれる部分だと、僕は思ってます。

なので、今まで「さらっと」読んでしまってたんですが、鎌倉にはちょくちょく行くので、今回こうして細部を調べてみました。

こんな酔狂も新しい発見があって面白いものですね(^^)








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