旅って言うほどでも無いのですが、日帰りプチ旅行に行って来ました。
世界遺産に一時期ハマりました。
全然回りきれないので途中で諦めましたが、近くに行くタイミングがあると、薄っすら意識してます。
奈良(法隆寺)
姫路城
白神山地
京都
白川郷
原爆ドーム
沖縄(首里城)
平泉
富士山
国立西洋美術館
長崎(潜伏キリシタン)
☝️この位まで観てきました。
厳島神社は2回逃してます。石見銀山も。
と言う事で、韮山反射炉。
鉄腕DASHを見ていたので、構造は説明が無くてもわかりました。(笑)
元は下田に建設する予定だったのが、ペリーが下田に来航した時、建設予定地にペリーが入って来たので、急遽場所を移したのだそう。
あ、今日は本当は下田に行く予定だったのですが、鎌倉で疲労困憊したので場所を変更しました。
反射炉を造ったのは江川英龍という代官さん。
この人はペリーが来航する前から海防の必要性を訴え、オランダの書物などを取り寄せて自分で翻訳し、反射炉についても研究していたそうです。
幕府に進言しても全く動いてくれなかったけれど、ペリーの来航によって幕府も慌てたのか、反射炉の建設、そして台場(大砲を備え付ける台になる場所という意味)の建設を、この方がリーダーとなって進める事になったそうです。
結局反射炉が完成する前にこの英龍さんは亡くなってしまったのですが、息子さんが引き継いで完成。
右側が息子さんと、左側がお孫さん。
二人とも超カッコいいから、拡大して見てみて!
身長も、英龍さんも息子さん達も180センチ以上あったんですって。
左側のお孫さんは、岩倉使節団と一緒に留学したそうですが、学ぶのが楽しくてそのまま向こうの大学に入学し、8年間帰ってこなかったそうです。
帰って来てからは内務省や大蔵省に入ったけれど、その後自分の屋敷の近くに私立の学校を作って、それが今の韮山高校なんだって。
去年?150周年だったとか、ボランティアのお姉さんが色々と教えてくれました。
江川邸は、一度も火災に遭ってないので、当時のままの姿で残っています。
☝️この一番上に箱があって、その中に日蓮聖人の書いてくれたお札が入っていたんだそう。
そのおかげで火災に遭わなかったのでは?と言うのだから、すごいご利益ですね。
当時の姿のまま残っているので、篤姫や西郷どんのロケにも使われたそうです。(謀らずしもどちらも島津家という)
江川家は西は現在の静岡市(清水区)辺りから東は東京都の23区以外辺りまでの広い土地を治めていたので、韮山の家だけでは治めきれず、東京にも家があり、それが現在の北斎美術館の所と聞いてこれまたビックリ。
私、5年前に行ってるんですよね。
👇すみだ北斎美術館。
「美術館の前に広い公園があって、そこに江川邸が」なんてボランティアさんの話に「うんうん、ありましたありました」なんて、ちゃんと話が繋がっちゃうのが凄い。
江川英龍さんは絵もお上手で、微細な絵も上手だけど、漫画ちっくな絵も描いたと言うので
これはもしかしたら北斎漫画と関係があるのでは?
なんて聞いてしまったけれど、特に関係は無かったみたい。
江川英龍さんは、日本で最初にパンを作った「パン祖」とも呼ばれていて、そう言う意味でも気になる存在だったので(一時期パン作りにハマってた)色々知ることができて満足しました。
☝️カンパンみたいな堅いパンらしい。
と言う事で、楽しく誕生日を過ごしてきました♪
ミドフィフという言葉を覚えたので、50代→ミドフィフに改めます。😁