#だれかに教えたいこと/"さかな"の語源 | 風合瀬のブログ

風合瀬のブログ

ブログの説明を入力します。

"さかな"の語源は"酒菜"


江戸時代に入るまでは"うお"

と呼んでいた。


"うお"の語源を辿ると

いを→うを→うお


それが"酒菜"になったのは

酒場で出される食べ物全般を

野菜も魚も菜と呼んだ。


菜の語源の方を辿ると

采=収穫や選ぶを意味し

そこに植物を意味する草冠が付いて

野菜全般を意味する言葉になった。


要するに、酒場で食べ物を選ぶ行為

そのものを"酒菜"と呼び

それが転じて魚となった。



また、日本では古来から食糧のことを

"け"と呼んでいて

古来からの口語が比較的生きている

と言われる東北地方では

食べ物を"け"

食事をすることも"け"

と表現するなまりも残っている。



日本語の発音は

正直よく分かっておらず

例えば

"ハ"行ーは、ひ、ふ、へ、ほ

ば、び、ぶ、べ、ぼ

と発音されていたり

ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、ぽ

と発音されていたり

なんと!

ま、み、む、め、も

と発音されていたりする。


青森県の"ねぶた祭り"も

"ねぷた祭り"と言ったり

"ねむた"

とも言われていた。


それが時代が経ち

"ねむた"表現は消え

"ねぶた祭り"と"ねぷた祭り"は

別物へと進化した。



よく関西の方々が

標準語を"東京弁"というが

これは大きな間違いである。


標準語がかつて江戸で

話されていた口語を基にしている?

と勘違いしている方々も多いが

標準語は

明治時代につくられた"新語"で

標準語がつくられるまでには

紆余曲折があった。



明治政府が樹立すると

東京にあらゆる地方から

人が集まったのだが

同じ日本なのに

言葉がまるで通じない。


特に問題だったのが

関東から北と

関西から南で

言葉が聞き取れないことであった。

実は言語学的に関東と関西には

その言語の成り立ちに大きな違いがあり


関東から北は

元々あった縄文語に

"中国系言語"が交ざり


関西から南は

元々あった縄文語に

"朝鮮半島系言語"が交ざり


それぞれに発展した。


そのため、明治政府ははじめ

英語を公用語にしようとしたが

それに"外国人"がもう反対する。


当時日本を訪れていた

海外からの学者らは

「日本語の文化的価値は非常に高く

これを残さなければならない」

と、明治政府に忠告。


これにより明治政府は困った。


そもそも明治政府は薩長同盟が

中心であったのだから

鹿児島なり山口県なりの言葉を

国の言葉として使えばよい

という考え方もあったが


それでは、関東から北の人々との

争いの種になり

せっかく日本の統一化が出来たのに

関東・関西を境に分裂しかねない。



そこで生まれたのが"標準語"である。


標準語はすべての日本語から

イントネーションの強弱を取り去り

一音一音をハッキリ発音させることで

北も南もなるべく分かりやすく

つくった。



この標準語を伝えるため

まず、発音をカタカナでフリをした

教科書を作製し

ラジオで新しい言葉"標準語"を流す。


それを教師が聞き

子供たちに伝えた。

当時はまだラジオは

高級品であったため。


その後、テレビの普及により

アナウンサーにより

標準語が伝えられるが


標準語が日本中に完全に浸透したのは

なんと2000年を過ぎた頃であった。


なぜなら、地方では(特に東北地方)

NHK以外民放は1局しかなく

元々話されていた土地の言葉に

テレビを観ながら標準語を学ぶためには

とても時間がかかった。

だから、2000年頃までの

地方の老人たちにとっては

関西弁などは

外国語くらいのわからない言葉であった。



最近やっと日本の言語学が

大きな一歩を歩みはじめ

織田信長時代の口語が

明らかになってきた。


それは、ルイス・フロイスなどの

外国人宣教師らが残した文書に

かつての発音が

ローマ字表記で残っており

これから、かつてどのような発音を

していたか?が分かって来るだろう。


ただ、日本は地方によるなまりが

あまりにも多種多様で

研究は難航が見込まれる。



ちとした、雑学でした。








だれかに教えたいこと

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する