#だれかに教えたいこと/京アニ事件 | 風合瀬のブログ

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ここまでのインバウンドのキッカケは

アニメであった。


1980年頃か?90年に入ってからか?

ヨーロッパのあるアニヲタの女性が

日本のアニメに出てくるお菓子を

動画の中で紹介する。

YouTubeのハシりだろう。


すると、これに日本のアニヲタが反応し

「これもどうぞ」

と、日本からお菓子やカップ麺を送り

それがヨーロッパで

ゆっくり拡がって行く。


2000年以降日本の入国が

規制緩和されると

そんなヨーロッパのアニヲタらが

まず秋葉原に押し寄せる。


そこでラーメン屋に入り

ヨーロッパの人たちにカップ麺以外の

ラーメンが認知されるのだが

どういうわけか?秋葉原には

九州豚骨系ラーメン屋が多く

そこからヨーロッパで

まず出店したラーメン屋が

九州系であった。



中国に関しても

アニメが大きく関わってくる。


ポッキーを中国で売りたい!

とグリコが2000年頃に

中国進出をするのだが失敗する。

その頃の中国の文化があったのだが

それも、アニメが一変させる。

アニメで観たポッキーの爆買い

からはじまり

アニメに出てきた

他のお菓子も爆売れした。

そこから化粧品や薬なども爆売れする。



そんな日本のアニメなのだが

1980年代に一度危機をむかえる。

セル画を描くアニメーターに

適正な給料が支払われる仕組みがなく

プロのアニメーターらによる

若手への継承が行われなかった。

20年働いて来たベテランの給料が

休みもなく夜中まで働いても

大学の初任給より少し多いくらい。

だから彼らは若者が

アニメーターになることを反対した。


これは今もあまり変わらず

2010年頃から韓国や中国に

アニメーター仕事を安くするため

外注していたのだが

韓国も中国も物価が上がった上

自国でアニメーション作りをはじめたため

日本アニメの仕事を

外注に出せなくなった。


そこで登場したのが

京都アニメーションであった。


京アニでは、原作から

アニメーションに至るすべての業務

そしてDVDやフィギュアの制作まで

あらゆるアニメに関わるものを

一括するシステムを構築出来たため

京アニ全体で出た収益を

分配することが可能となった。


ジブリの宮崎駿さんも

ガンダムの富野由悠季さんも

こういったシステムを作ろうともせず

日本の新しいアニメの作り方の指針は

京都アニメーションから

新時代に入るはずであった。


が!あの事件である。


京都アニメーションが完全復活し

アニメーションがこれからも

発展して行くことを願い

被害にあわれた

京都アニメーションのスタッフの方々に

お悔やみを。







だれかに教えたいこと

 

 

 

 

 

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