土砂災害と原敬と南方熊楠 | 風合瀬のブログ

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南方熊楠(みなかたくまぐす)という天才がいた。明治から昭和の人物で、博物学者・生物学者・民俗学者である。フランス語・イタリア語・ドイツ語・ラテン語・英語・スペイン語などを習得し漢文の読解力にも長けていたという。アメリカやイギリスなどに渡り、イギリス大英博物館には毎日通い、多言語で筆写したノートが今も記念館に残る。科学誌ネーチャーをはじめ論文を国内外に多数残す。


そんな彼が現自民党の祖を作ったとされる原敬(はらたかし)が出した"神仏合祀(しんぶつごうし)令"に対し、反対の手紙を出した。神仏合祀とは一市町村に一社を標準とし、それ以外の神社仏閣を潰して工場など近代国家造りに活用しよう。というもの。それに対し南方熊楠は「神社神林を全滅させて私腹を肥やすことが大いに行われ国体をひどく害する」と批判した。民俗学や生物学に成通していた南方は神社仏閣が地域生活においての拠点であり、森林伐採により土砂災害などが起こることを予見していた。日本のような山の多い土地では、無計画に森林伐採をしてしまうと、その山だけではなくそこから海まで続く土地すべてが被害を被ることを知っていた。


しかし、神仏合祀は行われてしまう。これが日本の近代化に大きく貢献したことには違いないが、昨今起こる土砂災害は単なる自然災害ではなく、原敬政権時に行われた神仏合祀による神社仏閣の取り壊しと繋がる。日本での神社仏閣の建立は政治的なこともあるが、神社を建てることでその近辺を神格化させ、森林伐採を止める効果があったから、それを理解出来た賢者は被害が拡大するような森林伐採をさせないために神社建立を行っていた。例えば宮崎県の天孫降臨の高千穂など。これらの考え方は1万年続いた縄文時代から続き、縄文時代の巨石文化の跡に天皇家の印として神社が建立された。


映像で土砂災害のあった場を調べると、かつて神社仏閣があった場所が多い。少し前だが広島の土砂災害の場もかつて神社であり、そこは人が暮らしてよい場ではなかった。


なので、原敬政権が破壊した神社仏閣の場と現在の地図を見比べて対策をし直すべきだと私は考えるが…無理だろうね。昨今市町村合併が行われてきた理由は"地名に残るその土地の因果"を隠したい地主や不動産企業によるもので、例えば「水」を意味する地名や氵(さんずい)の付く土地は土地値を上げることが難しい。そういう地は他より低い土地であり、地盤も弱いためだ。こんなことを政治家や官僚が裏から手を回し隠蔽してしまうのだから。


人の暮らしと生活を護るより、目先の得を取る。今も昔もそんなものなのだろう。南方熊楠の忠告をきかなかった政治が今の自然災害と言い訳した人災を引き起こしている。