†Marriage end blue 12
クルッ・・・・
クルッ・・・・
指の上でペンを回すたび、模型のイルカが水の中をゆらゆらと動いて愛らしい動作に思わず笑みがこぼれる。
が、キョーコはそれを無理矢理捻じ曲げて難しい顔をして見せた。
「少し休憩したら?」
水族館を出て、夕食を済ませ戻ってきた途端、部屋にこもって勉強し始めたキョーコの元にコーヒーを持ってきてくれたクオンに睨みを返すためだ。
「・・・大丈夫で・・」
「ああ、使ってくれてるんだ?・・・楽しかった?デートは」
キョーコの言葉を無視して、部屋に入ってくるとコーヒーを置きキョーコの手から買ってあげたペンを取り上げた。
「デートなんかじゃないです!」
「でも、楽しかったでしょう?」
『敦賀 蓮』スタイルである黒髪に戻っているクオンだが、瞳は青に近い緑のままでじっとキョーコを見下ろしてきた。
吸い込まれてしまいそうな綺麗な瞳から、必死に視線を逸らすとキョーコはクオンが持って行ったペンを取り返した。
「イルカやアザラシには罪がないので、可愛かったし楽しかったです!・・・あなたが一緒じゃなければ」
「・・・・・・・ふぅ~ん・・・でも、これを買ってあげたのは俺だよね?」
いたずらっ子のようにシャープペンを突くと、キョーコはそれを庇った。
「もう私のモノです!」
「・・・また素直じゃなくなってる・・・・」
「何か言いました?!」
「・・・・・いいえ、別に?」
まだ腹の虫がおさまらないキョーコだったが、すぐに机に並べてある英語のノートに中断していた書き込みを始めた。
「・・・まだ何か?」
『私はあなたに構う気はありません』オーラを出しているのに、全く部屋から出ようとしないクオンを少しだけ振り返り棘のある言葉を投げた。
「ん・・・ここ、間違ってるよ?」
しかし、クオンはキョーコの椅子の背もたれに片手をもう一方はノートの方に・・まるでキョーコを後ろから囲うように指示してきた。
(!!?)
急に背後が暖かくなり、キョーコの心臓が飛び上がっているのにも構わずあの水族館のペンを握ったキョーコの手の上から自分も手を重ねてサラサラと英文を書いていった。
「ほら、こうすれば・・・」
「は、離して!!」
ブン!っとキョーコが手を払うと、ペンがカシャンと小さな音を立てて机から転がり落ちた。
クオンはその衝撃に一瞬怯んだが、すぐにいつもの態度に戻った。
「・・・・ああ・・・ごめん、お子ちゃまのキョーコちゃんには刺激が強すぎたかな?・・・勉強もほどほどにね?もう集中力もなさそうだし今夜はもうお風呂にでも入って休んだら?・・・俺はもう入ったから先に寝るよ?おやすみ」
真っ赤になったまま固まっているキョーコの代わりに、ペンを拾い上げると机に置きクオンはスタスタと部屋を出て行った。
「なっ・・・なんなのよ~・・・」
急に引いていくクオンの態度に、キョーコは心臓をドクバクと鳴らしながらも重なった感触の残る手をぎゅっと握りしめた。
しかし、扉の外にいるクオンは眉間に皺を寄せたまましばしその場に立ち尽くした。
*************
「最上さん、これ手伝ってもらっていいかな?」
結局あの後、今朝学校についてからもロクに目も合わさなければクオンが話しかけると逃げるキョーコに痺れを切らした蓮が授業後に大量のプリントをキョーコに落ち着けてきた。
「授業の資料作り、手伝って?」
「・・・・・敦賀先生なら、喜んで引き受ける子いると思うんですが?」
「・・・みんな忙しいんだって」
「・・・じゃあ、私も忙しいです」
「手伝ってくれたら、あのペンのことはもう言わな・・」
「行きましょう!先生!!」
誰が聞いているかわからない教室でそう言われると、キョーコは慌てて蓮を引っ張り教室を飛びだした。
「急ぐとプリント落ちちゃうよ?」
「さっさと終わらせたいんです!!」
山盛りのプリントを持って、スタスタと準備室に行くキョーコを蓮は苦笑いしながら後を付いていった。
その途中、不破がキョーコを見つけ何か言いたそうにしていたのだがキョーコはプリントのせいで見えなかったらしく気付かないまま通り過ぎて行った。
冊子にするために並べて、ホチキスで止める作業を黙々とこなすキョーコと二人きりで準備室にいる蓮は丸付けを終えた生徒たちのノートを一纏めにすると大きく伸びをした。
「コーヒー飲む?」
「結構です、さっさと終わらせて帰ります」
「俺と本当の二人きりになれる家に?」
ぎゃ!?と蓮の言葉で小さな悲鳴を上げるキョーコに、蓮はクスクスと笑みを漏らした。
しかしまた沈黙が二人の間に漂った。
蓮は一呼吸を置いて口を開いた。
「・・・そんなに『ショーちゃん』が好きなの?」
カタン・・・と、キョーコの向かい側にあるパイプ椅子に蓮はコーヒー片手に腰を下ろした。
「なんですか急に・・・・あ、こぼして汚さないでくださいよ!?そこ完成したの置いてるんですから」
「・・・はいはい・・・で?『ショーちゃん』・・・そんなに好きなの?」
責めるようなものでも、怒った声でもなく訪ねてくる蓮に、キョーコは素直に口を開いた。
「・・・・ショーちゃんは・・・小さい頃私を助けてくれたんです・・・・大きな犬に追いかけられて、木に登って逃げたのはいいけど降りられなくなって・・・・」
その話を聞くと、蓮は脳裏に幼い日のキョーコと自分がすぐに思い浮かんだ。
ドーベルマンに追いかけられたキョーコは、木に登り降りられなくなっているのをクオンにより助け出されたはずだった。
「ショーちゃんが犬を追い払ってくれて、木から飛び降りた私を受け止めてくれたんです」
(・・・・記憶喪失の一環なのか?・・・記憶が混同している?)
それとも、彼は本当にキョーコを助けたのだろうか?自分の時と全く同じシチュエーションで?
キョーコが嬉しそうに離している間、蓮の胸の中ではグルグルとそんな思いが渦巻いていた。
だが、真実を話すことなどできなかった。
もし何かのきっかけで記憶が戻ったとしたら・・・・
そのせいでキョーコが壊れてしまったら・・・・
周りがあれだけ必死にキョーコに記憶を戻さないようにしているのは、あの話以上の蓮の知らないナニカがあったからだ。
(じゃなければ・・・この徹底した過去に触れさせない動きは不自然だ・・・)
そこに何も知らないまま、過去の約束を盾にここに来た自分こそ本当はキョーコにとって良くない存在なのではないか?
そんなことをチラリと思い始めていた。
もし、心からキョーコが不破を好きならば・・・
契約は続行していても、自分は身を引いた方がいいのではないのか?
そう考え始めていた。
過去のことを思い出さなければ、記憶を混同したまま幸せに過ごせるなら。
あの・・・水族館で見たような笑顔をしてくれるなら。
自分が側にいない方がいいのではないのか?
拒否ばかりされ続けている蓮は、少しずつそう思い始めていた。
「・・・・『守ってあげられなくてごめん』って・・・言ってたんです」
「!・・・・え?!・・・」
押し黙った蓮に、キョーコは不信がりながらもそう言うと目を見開いた蓮が顔を上げた。
それはかつて自分が言った言葉だったからだ。
「木から降りた時、少し手を怪我して・・・その時『守るって言ったのに、守ってあげられなくてごめん』って・・・・言ってくれたんです・・・・・・・・・そう・・・言ってくれたんです・・・・だから、その時の表情が忘れられなくて・・・私は・・・・・・・・ショ・・・ちゃん・・・・だった?」
「え?」
先ほどまでホクホクと笑みを作って語っていたキョーコだったが、急に語尾が弱弱しくなりどこか違うところを見始めたキョーコに蓮は眉間に皺を寄せた。
「・・・・ちが・・・ショー・・・ちゃ・・・ない・・・・・だれ?・・・たすけて・・・くれた・・・男の子・・・・・・」
急に手を震わせ、持っていたホチキスも落とし目を見開いて浅い呼吸を繰り返し始めたキョーコの様子に蓮は直感的に危険だと悟った。
「ごめん!もう聞かない!!忘れて!キョーコちゃん!!」
蓮にそう叫ばれ、キョーコはビクン!!と体を一際大きく震わせたあとピタリと動きを止めた。
そして、じっと蓮を見つめた後小さな声を口から出した。
「・・・・・コー・・・ン?・・・」
「え・・・?!」
キョーコの言葉に驚きつつも、覚えているのかと問いただそうとしたが蓮にはできなかった。
キョーコがそのまま気を失ってしまったからだ。
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