§心の天秤 10
家の前まで来ていた飛鷹を追い返した奏江は、部屋で一人ため息をついた。
飛鷹は帰り際何か言いたそうだったが、奏江にこれ以上話を聞く元気はなかった。
もう一度、蓮の携帯にコールしてみるが無機質な呼び出し音しかならず心の中で疑惑という黒い花が育っていく手助けにしかならなかった。
「ダメダメ!きっと小崎主任にも事情があるのよ!仕事とか・・・」
しかし、同じ部署の上直属の上司。
今抱えている仕事の内容は、奏江も把握している。
今のところ、休日を返上してまで詰め込まなければならない仕事はないはずだ。
「・・・もしかして・・・クライアントから緊急の連絡があったとか・・・」
それならば、なぜ携帯に出ないのか・・・。
疑惑が疑惑を呼び、小さく抵抗するように逃げ道の言葉を探すが結局行き着くのは飛鷹の言葉。
『兄貴が会ってる女性は、有理さんといつもカフェに来ていた社員の人だよ?有理さんと仲がいい・・』
「・・・美沙・・・本当に?」
いつも側で応援してくれていたキョーコと会っているなんて、奏江は考えたくなかった。
「あ~!もう!!こんな考えするなんて私、どうかしてる!・・・仕事しよっ」
奏江は持ち帰ってきていた仕事をするために、カバンを漁った。
「・・・あれ?・・・書類がない・・・」
確かに入れたと思ったが・・・デート前で浮かれていたのか会社に忘れてきたようだ。
「あれが無いと・・・」
奏江は部屋の時計を確認した。
「この時間なら守衛さんに言えば開けてもらえるわね・・」
奏江は、社員章と財布と携帯だけを持って急いで会社に向かうことにしたのだった。
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「はい!オッケイ!!・・じゃあ、次のセットに移して」
監督の掛け声で、スタッフたちが返事をしてスタジオ内は慌しくなった。
「じゃあ、最上さんさっきの打ち合わせ通りでよろしくね?」
蓮はスタンバイ位置に向かいながら、後ろから付いてきていたキョーコを振り返った。
「あ・・あの・・・本当に・・・するんですか?」
「そのほうが見栄えもよくなるって監督のお墨付きじゃないか」
先ほど奏江が見ていた相談の結果を監督に話したところ、大喜びで採用されたらしくキョーコは頬を赤らめ視線をウロウロと彷徨わせていた。
(・・・大したことじゃなさそうなのに・・・そんなんでちゃんとできるのかしら・・)
キョーコの様子に、奏江が心配そうに見守っているのを飛鷹は離れたところで見つめていた。
(・・あの様子じゃ、俺が何を言いたかったか全然気が付いてないな・・・・・・・・・ほっとするより落ち込むよな・・・)
マネージャーの松田さんが持ってきてくれたコーヒーを啜りながら、心の中で盛大にため息をついたがその時ピクリと眉を動かした。
「こらあ!松田ぁ!!また、俺のコーヒーの中にスキムミルク混ぜただろ!!」
「だってえ~早く身長伸ばしたいっていってらしたから~」
「余計なことするなああ!!」
ピコピコハンマーでいつものコントのような掛け合いをしている飛鷹の姿を奏江は確認して、安堵のため息をついた。
(やっぱり・・気のせいよね・・・気のせい・・・・・・)
そう考えた途端、冬の空気とは違う冷たい風が心の中に吹いた。
熱くなりかけていた心が急速に元の温度に戻ったいくだけなのに酷く冷え切った感覚に陥いった。
(あ~っもう!なによこれ・・・・・私は・・・)
きゅうっと目を瞑ると奏江は、両頬をぱしんっと勢い良く自分で叩いた。
その音に、スタジオ中の者達が振り返った。
もちろん、キョーコと蓮・・それに飛鷹も。
それでも、奏江は自分の気持ちに振り回されないように気合を入れるだけで精一杯だった。
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「なんとか間に合いそうだな・・・」
蓮は、集まった書類の束を見て安堵のため息をついた。
「すみません・・・小崎主任、お休みのところを・・」
キョーコは恐縮しながら頭を下げると、蓮は頭を振った。
「いいよ・・・それより・・・・ゆ・・峰山君には話したの?」
「・・・・・・・いえ・・・」
目を伏せがちに蓮からの質問に頭を振るキョーコは、泣いているように見えた。
「あ・・・さだ・・くん?」
蓮は心配そうにその顔を覗き込もうと、体をかがめると思いの他顔を上げたキョーコが間近にあった。
「浅田・・・くん・・」
「・・・主任・・・」
熱を帯びているかのような瞳で、視線を絡ませるキョーコに蓮は不意打ちを食らったかのように身動きが出来なかった。
そんな蓮に、キョーコはゆっくりと頬を寄せてきているように感じた。
後僅かで、鼻先が触れ合いそうな距離に二人が近づいた時ガチャっと扉が勢い良く開いた。
入ってきた人物を二人は慌てて確認すると、そこには警備員さんが息を切らして立っていた。
「小崎さん!あなたの部署の峰山 有理さんが事故にあったって今、病院から!!」
「え!?」
蓮はそう言われて、慌てて携帯を探した。
ジャケットの中で、マナーモードのまま放置していたが奏江から何度か着信がきていた。
その事実に蓮は舌打ちをした。
「小崎主任!急ぎましょう!!」
キョーコは、警備員さんから聞いた病院へ行く準備を大急ぎでまとめ呆然としている蓮を促した。
そのキョーコに急かされるように、蓮は茫然自失のまま病院へ向かうのだった。
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「オッケイ!!京子ちゃん、さっきの表情最高だったよ!」
「あ・・・ありがとう・・ございます」
監督からの賛辞にキョーコは複雑な笑顔を返した。
「ね?上手くいくって言っただろ?」
監督が去った後に現われた蓮に笑顔で言われ、キョーコは素直に笑顔を返すことが出来なかった。
(なんだか・・・敦賀さんの手の平の上で弄ばれているような気がしてならない・・・それに・・・このドラマが終わったらもしかしたら・・私への気持ちは間違いだったって思うかもしれないし・・・)
キョーコが素直に蓮の気持ちを受け入れられないのは、過去のことだけではなく今まで見てきた『敦賀 蓮』の共演者キラーという面もあった。
無意識でも意識的にでも共演者が蓮に惚れる役だったら、惚れるように仕向ける。
今回、キョーコの役は蓮に惚れてしまうがその気持ちを隠して親友との恋を応援する役だ。
もしかしたら、役が終わってしまったらキョーコを惚れさせる必要など無くなりやはり勘違いだったと言われてしまうかもしれない。
またこの感情を置き去りにされてしまったら・・。
また裏切られたりしたら・・・。
もう、立ち直ることも。
怨霊を操って恨みを晴らすことも。
全て出来なくなるぐらい、心が壊れてしまうだろう。
今、キョーコの中にある天秤は既にヒビだらけの状態であることを蓮は知らないのであった。
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