『三井探偵事務所記録簿』 File:7
「あ!うららちゃん・・さっきまであのバカいたんだけど・・・」
ハルを迎えに来たうららに、芽衣子がそう伝えるとうららは、入りかけた動物病院を飛び出し道路を右左と慌てて確認した。
しかし、三井の姿はもう何処にもなかった。
あの電話が切られてから既に2週間が経とうとしていた。
その間に事態は日に日に変化していった。
事情を聞くためだけに警察へ赴いた池谷は、留置されていた。
理由は、殺.人の疑い。
愛莉の首を吊った時についていた縄とは別に、手で絞められたような痕が見つかったからだった。
そして動機は、三井の調べ上げた浮気相手が以前会社を陥れた溝内と知って離婚を言い渡したものの愛莉が離婚届を提出していないことを知り殺害した・・・というものだった。
そして、捜査の手は離婚の原因となった浮気調査をした三井の元にも伸びていた。
事務所に家宅捜査が入り、池谷のことについて根堀葉堀聞かれているらしい。
芽衣子から伝え聞いているだけのうららは、蚊帳の外にいる気分だった。
「うららちゃん・・・あいつはバカなりにあなたを守ろうとしているんだと思う・・・だから・・」
「・・・わかってます・・・」
肩を落としながら戻ってきたうららの様子、芽衣子が優しく声をかけたがうららはハルをそっと抱えるとその胸に抱きしめた。
「私がいると余計話がややこしくなったりするかも知れないし・・・」
自分に言い聞かせるように呟くうららは、芽衣子の目から見ても元気を無くしていた。
「・・ねえ?たまには気晴らししない?」
「へ?」
企みを含んだ笑顔の芽衣子に、うららは小首を傾げるのだった。
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「池谷社長には会えないんですか?」
三井は、毅然とした態度で目の前の刑事の男にそう切り出した。
しかし、その刑事が答える前に割って入ってきた年配の刑事が三井に答えた。
「・・・・会えないよ・・ただ、拘置期限が明日までだからな・・・今のところ証拠も上がらないし・・明後日には会えるだろうよ」
「そうですか・・・」
三井は年配の刑事を見知っているのか、ピリリとした気を張っていたのを緩ませた。
「・・・久しぶりだな?池尻の妹さんと最近一緒にいると他の捜査員が言っていたが・・本当か?翔真」
三井の名をそう呼ぶ刑事に三井は顔を強張らせた。
「彼女は今回のことには無関係です!」
「わかっているよ・・・あの子は何も知らなさそうだったしな・・・」
刑事はプカリとタバコを燻らせた。
それを三井はじっと見つめた。
「あの事件・・・もう、新しい情報は無いんですか?」
「・・・・・・・ああ・・・犯人も死亡しちまっているしな・・・」
刑事にそう返されて、三井はため息と共にゆっくりと足を進めた。
「そうだ、その妹さんは・・・元気か?」
「・・・ええ、すごく」
三井は振り返りながら笑顔を見せ頷いた。
それを見て刑事は嬉しそうに頷いた。
「そうか・・・守ってやれよ?『約束』したんだろ?」
「ええ・・もちろんです」
力強く頷いた三井を、刑事はそれ以上呼び止めることもなく警察を後にした三井はゆっくりとした足取りで事務所に向かった。
その道すがらで三井は昔のことを思い返した。
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「三井君!三井君ってば!!」
柔らかそうなロングヘアーを靡かせながら走り寄ってきた女性は、息を切らして三井を睨みあげた。
「待ってって言ってるのに!」
目鼻立ちの華やかな女性は、睨んできても美しさのほうが目立つ程で三井を他の男たちは羨ましそうにチラチラと見やっては通り過ぎて行った。
「・・・・春先輩・・アノ話ならお断りします」
「そんなこといわないでよ~」
頭一つ飛び出すほど背の高い三井に負けず劣らずのスラリとした体形をくにゃリと曲げて、両手を合わせて懇願の表情をする春は誰が見ても可愛らしかった。
しかし、三井はそんな攻撃を諸共せず断りの文言を続けた。
「あの探偵事務所は祖父さんの代で閉めたんです・・・父が許してくれるとは思えませんし、しかも素人の俺が春先輩の手助けが出来るとは思えません」
「そんなこといわないでっ・・・・・もう調べつくして・・・一般人にはこれ以上進めることが出来ないの・・・でも、もしかしたら探偵事務所の名前があれば調べられることが出来るかもしれないの!!お願いします!!」
ベコン!!と体が真っ二つになりそうなほど勢いよく頭を下げる春の姿に、三井は心底驚いた。
なぜなら、春は大学内でも堂々としていていつも颯爽と歩いているからだ。
華やかな容姿に、大学内一の成績を有しいつも何かに向かって邁進している姿しか見たことの無い三井はその姿にとうとう折れた。
「・・・・・わかりました・・・出来る範囲でいいなら『三井探偵事務所』を再開させてお手伝いしますよ・・・お父さんの死の真相を知りたいんですよね?」
三井の言葉に、頭を深々と下げていた春は頭を上げて目に涙をいっぱいためて何度もお礼を言った。
「ありがとうっありがとう三井君!!!本当にありがとう!!」
その時は、少しぐらいなら憧れていた祖父のような探偵業で春が救われるかも知れないと思った。
しかし、現実はそんなに甘くは無かった。
学生がてらのにわか探偵には、必死な春とは違い調べられることなどとっくに春が調べ上げていることばかりだった。
祖父の代で休業した探偵事務所の名前の効力などほぼ無く、核心に近いと思われるところまで近づこうとするだけで門前払いを食らうのだった。
「・・そんなに落ち込まないで?私が無理にお願いしたんだし・・・」
「春さん・・・本当にすみません・・・」
「もう、私たち相棒みたいな感じなんだし春でいいわよ」
バシバシと背中を叩いて笑顔を見せる春に、三井は苦笑いを溢した。
「おねえちゃ~ん!」
「うらら!」
春の家の近くに差し掛かった時、セーラー服を着た少女が大きく手を振っていた。
「あれ、家の妹・・・可愛いでしょう?」
「は?・・・ああ・・・まあ・・・」
三井には遠めにしか見えない上に子供過ぎてなんともいえなかったが、春が嬉しそうに顔をほころばせているのに気づいて頷いて返した。
すると、途端にキッと睨まれた。
「手、出すんじゃないわよ?!」
「わ、わかってますよ・・・」
三井がいつも微笑を湛え大学内を颯爽と歩く春が実はコロコロ表情が変わる女性だと知ったのは、共に探偵事務所で過ごすようになってからだった。
何にでも前向きに取り組む春の姿は、ただ親の言いなりで大学に通っていた三井には衝撃に近いものがあった。
ただ見目の良さだけでだけで惹かれたわけじゃない。
春の気さくな態度や表情が徐々に三井の胸の中を侵食して行っているのはほぼ間違いなかった。
「じゃあ、私帰るね?明日は妹の誕生日なんだ・・・だから調べものは明後日からで・・」
「はい、わかりました・・じゃあ、明後日・・・おやすみ・・・ 春・・」
「!・・・おやすみ、三井君!」
にこっと笑った笑顔に胸の中が熱く感じた三井は、明後日会ったらこの気持ちを取り合えず春に打ち明けようと妹の元に嬉しそうに駆け寄る春を見送りながら思った。
しかしそれが、笑顔の春を見る最後の日になるとはこの時全く予想すらしなかったのだった。
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『ピリリリリリ・・・』
携帯の着信音に三井は現実に引き戻された。
「はい、三井です・・・・・!・・・それは・・本当ですか?」
電話の相手は先程の刑事で、内容は犯人が見つかったというものだった。
奇しくもその犯人も、春を殺.害した通り魔のように自.殺というあっけない幕切れで発見されたのだった。
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