§ああ・・・・
・・・・・・・っは!?
最上 キョーコは意識を浮上させて自分を呪った。
(ああ・・・また・・・見ちゃってた・・・)
力ないため息と共にもう一度眺める視線の先には、尊敬して止まない先輩・・敦賀 蓮の姿があった。
端役の自分とは違い主役の蓮は相手役の女性とセット内に留まってなにやら話しこんでいた。
(・・・・・・っは!?違う違うっうらやましいとかそんなんじゃなくて・・・演技のために敦賀さんを見ていただけであって・・・そうよ!!私はただひたすらに何事を置いても全てを役者しての肥やしにっ・・・)
心の中でそう叫んでいたキョーコだったが、相手役の女優がふわりと爪先立ちになって少し乱れた蓮の髪に触れたのを見た瞬間また思考の全てが止まった。
(ああ・・・・・その髪には・・触れないで・・・)
きゅうっと絞まる胸の内が苦しくなって眉間に皺を寄せてしまう。
(っは!?だからっ違う違う!!)
フルフルと頭を振って考えを飛ばすのを何回しただろうか。
気がついたころには撮影再開の合図がかかっていた。
(はわわわっっ急がなくちゃっ)
パタパタと走ってセットの中に飛び込むと、長い腕に支えられた。
「クス・・今日も元気がいいね?最上さん」
「っつ!す、すみません!!あ、ありがとうございますっ・・あ、おはようございます」
「うん・・・おはよう・・・今日もよろしくね?」
「はいっ!こちらこ」「敦賀さん!このシーンはこうしたほうがいいんじゃないですか?!」
キョーコと蓮が笑顔で会話しているのを、先程の女優が台本片手に割って入ってきた。
蓮は苦笑しながらもその意見に賛成らしく何度も頷いていた。
(・・・・・・っは!?ああ・・・ダメダメっこんな感情はいらないっ)
自分の中に渦巻くどす黒い感情を制御するためキョーコは少しずつ二人から距離を取った。
撮影は順調に進み、今日の最大の山場が来てしまった。
(ああ・・・もう・・・やだなあ・・・・)
あの女優と、蓮とのキスシーンがあるのだ。
「敦賀さん、よろしくお願いしますぅ」
すっかり彼女気取りの女優に蓮は苦笑いをしながら、絡まれた腕をやんわり解いていたがキョーコはそれさえも見ていたくなくて二人に背を向けた。
いつもなら穴の開くほど蓮の演技を自分の目に焼き付けるのだが、これだけは音すら聞きたくなかった。
キョーコはスタジオの隅に行って耳を塞ぎ、蹲った。
(早く終わってっ・・・早くっ)
キョーコは心の中で呪文のようにそう唱えていると、スタジオがざわめいた。
(?・・)
キョーコはスタジオの空気が変わったのを感じ、耳から手をそっと離し目を開くと振り返った先に男物の靴とズボンが飛び込んできた。
「そんなところで蹲って・・・何してるの?最上さん」
蓮の低い声にキョーコは、振り仰ぐことが出来ずに固まった。
「す・・すみませ・・」
「こっちにおいで」
蓮はキョーコの腕を掴むと、無理やり立たせてセットに引っ張ってきた。
「あ、あの敦賀さん!?」
「監督、さっきの話しどうですか?」
蓮はキョーコの事を気にも留めないで、監督に話しかけると監督はしばらくセットに上がった女優とキョーコを見比べて頷いた。
「うん、京子さんも入れてこのシーンを撮ろう!」
「え!?」
「じゃあ、そういう事でよろしくね?最上さん」
「へ!?」
状況が全くの見込めてないのに進む現状にキョーコはパニックのまま周りを見渡した。
すると、先程まで蓮を独占していた女優がものすごい表情でキョーコを睨みつけていた。
(な、なに!?)
「はい!ではいきます!!シーン135・・・よーい・・・スタート!!」
(ええええ!?な、なんなの!!?)
一切の説明もされずに動揺を隠せないままキョーコは蓮を見上げていた。
そんなキョーコを蓮も見下ろしていた。
『どういうことなの!?別れるって!!』
先程キョーコを睨みつけていた女優は、予定通りの台詞を口にした。
(ええ!?始まっちゃった!?)
おろおろと演技なんかできない状態でキョーコは必死に頭を働かせる。
(確か・・・このシーンは・・・)
嫌だったが頭に入っているシーンのト書きを思い出す。
別れ話を切り出した男に恋人役の女性が叫び、無理やりキスをするシーンだった。
キョーコは単なる男の同僚役。
しかし、少しだけ仲が良く相談にもしょっちゅう乗っているという役だった。
そのためレギュラーではあるが、毎週5分以下のワンシーンで助言をしていくというものなだけのはずが・・・。
(私・・・なんで修羅場に立ってるの?)
呆然とするキョーコの目の前で、別れを決意した男の表情を作っている蓮とそれに縋り付く女優のやり取りが進んでいた。
(待ってキョーコ!!敦賀さんが無駄なことをするわけがないわっ何か考えがあるのよ!・・・考えてっ)
必死に展開を呼んで状況を確認する。
いつも男が、相談場所として使っているバーに現われてしまった別れたいと思っている彼女。
キョーコの役は助言をしつつも、実は心の中で別れてくれたら・・・なんて考えている役で。
そんなキョーコの目の前で別れを撤回しない男に彼女が逆上して、無理やりキスをする。
という流れだったはず・・・。
つまり・・・巻き込まれたままでいいんだ。
キョーコは答えをはじき出し、素のまま呆然と二人の激しいやり取りを見つめた。
(・・・・ああ・・・でも・・・・スタジオの隅っこで見ないことも出来たのに・・・この状況は・・・敦賀さんがキスされる姿をしっかり見なきゃいけないんだわ・・・)
キョーコは今すぐ引き籠りたい気分になりつつ、頬を打たれたり水をかけられたりする蓮を救い出そうとオロオロしながら考えている同僚役を素のまま演じていた。
しかし、その時は訪れた。
何をされても表情一つ変えない男に、彼女は苦し紛れのようにキョーコをチラリと睨みつけると爪先立ちになり男の両頬を手で挟み無理やり唇を押し付けた。
しかし、それさえもまるで何事もなかったかのように突き飛ばすことも罵倒することもなくただ冷たい表情で男は立っていた。
その様子に彼女はよろめきながら男から離れた。
『・・・もう・・・なにも・・言ってくれないの?』
『・・・・・ごめん・・・』
その一言がスタジオに響き渡り、彼女は涙を堪えてバーを出て行った。
そこでカットがかかると思いきや、何かを感じ取った蓮が先程まで冷たく彼女を見下ろしていた表情に力を取り戻し気になった方を振り返った。
そしてその様子に驚いた表情をした。
「・・・・・え?・・・」
蓮の驚いた表情と静まり返ったスタジオの反応に、キョーコは何が起きているかわからなかった。
しかし、頬に何かが触れていると感じそれを指で拭った。
「え?・・・あれ?・・・私・・・泣いて?・・」
一筋の涙がキョーコの頬を伝い落ちていたのだ。
キョーコはそれを慌てて掌で拭ったのだが、一度泣いていると自覚すると涙が決壊したように次から次に零れ落ちた。
「ち、違うの・・・・これはっ」
完全なるアドリブ。
ここに台詞はない。
しかし、この役ならきっとこう言って誤魔化すだろう・・・。
この役はあまりにも自分ににているから・・・・。
キョーコは頭に浮かんだ言葉を、役の口調で必死に繋いだ。
『び、びっくりしたというかっ・・・そのっ・・ほ、本当に藤居さんって罪作りな人・・」
キョーコが蓮の役名を口にして、薄く笑いながらその場から後ずさり逃げ出そうとしたのだがそれは蓮によって阻まれた。
たった一歩でキョーコの側まで来てその腕の中にキョーコを閉じ込めたのだ。
『・・・・ごめん・・・君が・・好きになってたんだ・・』
胸から響いてくる蓮の言葉にキョーコは目を見開いた。
そんな展開知らないのだ。
予定では、先程の彼女とよりを戻すのだが海外赴任の話が持ち上がるという流れのはずだった。
「なっ!?」
『ごめんっ・・・急にこんなこと言って・・しかも・・こんな彼女と別れ話をした直後になんて・・俺もどうかしていると思う・・・それでも・・・君が泣いているのを放っておけないし・・・俺の側から離れて欲しくないんだっ』
力いっぱい蓮に抱きしめられて、その温もりと香りを肌に感じてキョーコは目眩を覚えた。
(ああ・・・もうっ・・・今だけ・・今だけ・・・役の立場を使わせてください・・)
キョーコはしばらくダラリと降ろしていた手を、ソロソロと上げて蓮のスーツの背に小さく縋りついた。
『・・・本当は・・・私・・・藤居さんが別れてくれたらって思っていたの・・・』
『知ってる』
『・・・好きです・・・』
『うん・・・俺も・・・』
「カット!!最高だよ!!」
監督の声でキョーコは体をビクリと跳ねさせ、慌てて蓮から離れた。
それを蓮が名残惜しそうにしているとは知らずにキョーコは、監督に詰め寄った。
「あのっ」
「ごめんごめん」
キョーコの言いたいことがわかっていたのか、キョーコが向かってきた途端監督は頭を下げた。
「実は京子ちゃんに伝えていた流れは嘘なんだ」
「へ?!」
「藤居はカナと付き合うことになるんだよ」
カナとはキョーコが今さっきまでなりきっていた役の名前だった。
「ええ!?あ・・あの!?」
「この展開は出来るだけ素の感じの方がいいだろうということになって・・・敦賀君に相談したところ京子ちゃんにはアドリブで対応できるだろうとお墨付きをもらったからね・・・騙まし討ちみたいになっちゃってごめん!!でも良い画が撮れたよ!!」
監督の言葉でキョーコは後ろにいる蓮を勢い良く振り返った。
「ごめん・・・・最上さんなら大丈夫だと思ったから・・」
「そ・・そんなあ・・・」
キョーコはガックリと項垂れた。
「本当にごめん!でも、すごくよかったよ?」
フォローする蓮の側に、先程出て行った女優がまた戻ってきてキョーコを見下ろした。
「そうですよ・・・敦賀さんがそうしたのは仕方なかったんですよ・・・タレントさんなんですもの、全然恥じることじゃないわよ?京子さん・・・本当の役者でも驚く演技は難しいんですし・・・」
フォローなのか責めているのかわからない賛辞を受けつつ、キョーコが顔を上げようとした瞬間蓮の声が飛び込んできた。
「それは違うよ・・・最上さんはもうタレントという域を超えて演技が出来るからこそ俺はあえてアドリブの演技で対峙してみたいと思ったんだ」
キョーコは驚きで目を見開き蓮をマジマジと見つめると、蓮も優しい眼差しで見つめ返してくれた。
「君はいつも俺が考えている以上の演技で返してくれるから、とても楽しかったよ・・・泣かれたのはさすがにびっくりしたけど」
「ああっ!?す、すみませんっ」
「いや・・・あれでよかった・・・俺もさらに役に感情を込められたよ」
蓮のその言葉で、女優は口惜しそうにその場を離れていくと監督が興奮冷めあらない表情でちゃんとした台本をキョーコに渡してくれた。
台本を確認したキョーコは頬が熱くなっていくのを止められなかった。
流れは元カノのところが、キョーコの役名になっているだけでまだ人波乱も二波乱もある流れだったがこのままラストまで恋人同士でいられることにキョーコは湧き上がる感情を抑えるので必死になったのだった。
(ああっ・・・・もうっ・・・・今だけ・・・今だけですから・・・どうか・・・・敦賀さんの恋人の気分を味合わせてくださいね?)
心なしか先程よりも距離が近くなった気がする蓮の側で、キョーコはそう独りこぼすのだった。
end