今さら 誰にも聞けません。

誠に恥ずかしい限りですが、


自分の事としてよく理解できていません。

感謝する  ということ


辞書やネットでは


確か ありがとうの気持ちを持つ


とかそれを表現する

的な事書いてあったりします。


ありがとう  かー


でも、感謝されるのは

あまり好きではないのです。


個人的にえー

お礼とか言われた時隣に言われていない人がいるとなんか申し訳ない。


やった事が結果的に

誰かのためになったりしただけです。


自分でやりたくて、体が言葉が自然に動いて何かをしただけで


特別な事のように扱われて、自分の理解が追い付かない。


本当に何かくれる人もいます。


助かったーー  とか  よかった


とか とびきりの笑顔とか


そういう自分本位の言動なら

ちょっと嬉しいかも。素直によかったって思える。


私にねぎらいはいりません。有難い存在だって言われたくも思われたくもありません。


たぶん

かなりひねくれているんだろうけど


ありがた迷惑な事されて

ありがとう とも言わないって


職場で噂になった事ありました。

若い頃


そちらはそちらで気を使ってくれたのでしょう。

本当はそうしてもらわない方がずいぶんよかったのです。


今なら 同じ状況なら一応

ありがとうございました。

って言うでしょうがニヤリ


ねぎらって欲しい人がいるのもわかります。

その言葉でスムーズに進み

いい関係が築けやすい事もわかります。


でも


その道具としての言葉より

もっと深い意味と心が伴わなければ


使ってはいけないような気もするのです。


どうしてみんなそんなに自分は有難い存在として周りから認められたいのか? この辺はよくわかりません。


人間の基本欲求な気もしますが、それが少ない私は誰なんだ?


他の人よりは少ないでしょうが

ありがとう と言うことも ありますよ。


この辺からひねくれてきてるのかもですが。

深く考え過ぎてしまうのかも。


こういう時はこういうんだよね


と言う 感じで使ってます。


感謝の心はとても大切だそうです。


私の中の感謝は


生まれて来て、世界があって、物があって、人がいて、何かを認知したり感じたりすることができる。


これすべてに感謝でしょ。


当たり前にある感謝してる事をわざわざ口にだしにくい。


でも


それでも何とか誰かを不快にしないように生きています。


感謝されたい人と出会った事にも感謝していつでもそれを伝える事ができていればいいのですが。