「今の自分に出来ること」なんて多分ない。
こんばんは~
それなりに色々考える日々を過ごしております。
誰かに何か伝える、って、やっぱり簡単ではないですね~
イメージするものはあっても、
相手にとってもそのイメージが ぴったり合致するような言葉を選ぶのって結構難しいときがあったり。
まあ、そういうの簡単だと思ってしまったり、
気にしなさすぎても
おなじ話をしても最終的に思い描くものが全然ズレていたり、ってことにもなるのだろうから
悩んだり考えたりしても損はなくて 先に進めたりするんだろうけれど。
通常、普通に人と接してコミュニケーションとるには
言葉だけで伝えるわけではないから 言葉が適切でなくても伝わってくれることは沢山ありますけれど。
言葉のみで何か伝えなくてはいけないとき・・・
こういう文章も同じですが、
本当に言いたいことがちゃんと伝わるのかなあ、って心配になって
何回も同じことを繰り返し念押ししてしまうということが・・・
今の私です
ある種の本をたくさん読むと よく出てくる単語やカタカナ語、
一般的に皆が知っているとは思えないような言葉で埋め尽くしても
その分野の本が好きな人向けに話は通じるでしょうが、
「ものを伝える」という目的の本当のところは達成できないと思うので
自分はそうでないやり方を目指したいんです。
(実際、何冊も本を読みあさることや
難しい専門的単語類ってあまり好きではないので・・・
ここで言うべきではないかもしれませんが)
こんな自分でいいのだろうか?と緊張する部分と、
こんな自分だから出来ることがあるってことなんだろうな、と楽観視する部分が共存しています。
でも、後者を信じるしかないんですよね
今もこの形で結局ここにいるという事実を信じるというか・・・。
正直、自分に出来ることがあるかなんてわからないし
だいたい出来ることってなんなんだ?というくらい、
出来ることなんて誰にもなんにも多分ない。
だから、これでいいんだと自分で勝手に思ってやっていく何かを
なんとなくうまく使ってくれる相手とのやりとりから
何か学んだり考えたりして先に進もうと思うしかない。
結局その程度のこと、って捉えるのがいいのかもなあ、と思います。
仕事にしろ、なんにしろ。
だからこそ、勝手に「これはうまくいく」って思いこんで
どんどん行動して分析してを繰り返していった人のところに
運が行くように出来てるんだろう、って。
動こうとした人のところに何かが行く、という考え方じゃなくて、
動かそうと思っている人のところに そのチカラに乗じたいものが集まる
のかな。
知識や資格があるから仕事も何もうまくいくわけじゃないっていうのはこういうことなんでしょう。
人間関係もそうですよね。
何か情報だったり仲間だったりを紹介してくれたり引き合わせようと動いてくれる人のところにみんな集まるもの。
あたりまえですよね。
楽しめることを分けようとしてくれる人とそうでない人と、同じだけの貴重な自分の時間を預けるとしたら・・・?