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現状

相当なお久しぶりになります、
こんにちは黄色い花


東京にいますが、地震以来、仕事でも生活上でも色々な部分での見直しをしなければいけない状況です。
生活は出来ていますが、落ち着いて前と同じことを同じようにするというわけにはなかなかいきません。



今後、世の中に関しては
放っておいて明るい方向に自然に行くという風には思っていないので
何かしら、携わっていることひとつひとつ 改めて見なおしたりやり方を工夫したりしながら、以前よりも良い世の中を目指して行動していかなければ、と思います。


自分の環境でしか物事を言えないので、
東京に住んだり働いて籍をおいている方達に対してしか言えないですが、

今後は 如何に無駄に感情を振りかざさないで物事を判断するか


ということが行動の鍵になるかも、と思っています。


不安や怒りなどに振り回されてしまうと、
的確な判断がしにくくなり、
良かれと思った先に人を混乱させてしまうという悪循環につながってしまいやすいです。


そういった感情の先にある、世間の人達の意見、
それにすら耳を貸さずに 今の自分にとって必要なことならばする、という形を自分自身でしっかりできるようにすることが一番大事です。


どんなふうに自分が揺さぶられても、
「何度考えても、やはりこうすることしか考えつかないからそうする」と言える状態に自分を持っていく。


そういうことが「落ち着く」ということなのだと思います。



こういった時には
コミュニケーション能力よりも 個人個人の強さの方が先に必要になってくると思います。

「だからコミュニケーションは大事だ」とか「人とのつながりが大事だ」などと簡単に言える状況でもないように思います。


半端な人とのつながりの中では、先に述べたように、
耳を貸さなくていい意見まで 考慮して行動しなければいけないような気になってしまいやすいからです。


もちろんそれは、関係性が半端だから、ということには他ならないのですが、
混同してしまうと本来守れたはずのものまで守れなくなってしまうと思うので、そこは各個人できっちり分けて考える必要があると思います。




あえていうとすれば、


どんなに苦しくても助けてもらえないかもしれない


ということを最終的に我々みんな覚悟しなければいけない、と考えています。


世の中の意見には逆行します。
でも、今だけではなく、少し先の未来を考えるとそう思っておく方が突然絶望はしなくてすむと思っています。



自分の経験上言えることですが、
どんなに苦しかったとしても、助けてもらえないときには助けてもらえないものです。
こんな状況下なのだから一般的には憂慮してもらえるだろう、ということも、憂慮してもらえないことはもらえません。
どんなに大変でも責任を負わなければいけない、と周りから促され、時に断罪され、それができなければ「カットアウト」されるだけ、ということは往々にしてあります。自分の人生ではそうでした。


ですが、
それがあたりまえ、と自分が思っている時は絶望しないんです。
本当に当然、と思ってその上で行動しているから大丈夫なんです。

本当にがっかりして何かを恨みたくなってしまうのは、
憂慮してもらえることもある、ということを知ってしまった時なんです。


恨みたくなる気持ち、人と自分の幸不幸を比べる気持ちが
今後世の中が立ち直ってくるにつれて妨げになる、ということがはっきりしてくる日があるでしょう。


なので自分は

こんな緊急な状況でも、最終的には自分で自分の行動は責任とれるようになるべく考えていかなければ、ということを自分の支えにしています。


助けてもらえないこともある、ということを飲み込んで行動した時には、
何故か追い風も倍になる、ということがあります。

スピリチュアル的な事に関しての知識はなく、わりと懐疑的ですが、
そのように考えて行動している時の方が、物事の進展度がまったく違います。

見聞きしている事象から、自分の行動に反映できる知恵を抽出できる、その精度が高まります。





私は、
物事が復興していく原動力に
怒りや恨みという感情を根源にするべきではない、と考えています。


過去の歴史においては
怒りや恨みを力に変えた、ということが多くあると思いますが
今この時代でそれをすれば また同じような問題が山積するだけだと思います。


天災や人災への恨みはものすごいパワーにもなるけれど、
それを都合よく利用しようとするものに 簡単に結びついてしまう危うさも持っています。


そうやって結びついたものに対して、
今「よくないのではないか」という議論がなされているのが
今現在のこの国のいる時間軸のその場所、だと思うので


過去と同じ答えで同じ行動をすれば
目先のことは変わって リードするもの自体が変わっても
数十年後にはまた同じことで皆が悩んで困る結果になってしまう、
と思います。



悩むときが定期的にあることが避けられないなら、
前回と同じ課題を残さないようにしたいですよね。


意見は意見として言って、
感情の勢いにまかせて行動はしないようにしたいです。



本来は、感情ってそれほど長くは続かないものなので、
怒りや恨みという感情の火を 消さないように煽る者がいる、という構図だと思います。


それで得する人がいればそうなる。

経済上の理由でなくても、
自分の意見は正しいはずだ ということを誇示したいだけで
無意識に怒りや恨みの火を消すまいと言動する人もいるでしょう。


悪気がない、というところが最大の問題であり、ひろまってしまう原因でもある。



世の中で物事をリードしている、先見性があり行動力がある方々は、そこのところを少し混ぜて未来を考えて、私たちにその未来を貸してください。


悪気なく負の感情を煽られて行動して断罪される立場になってしまったときに
振り返っても誰もいないんです。


煽った側の人たちは、自分は関係なく、お前の判断だろう、と当然言うでしょう。
そして負うべきものが自分に残るだけなんです。


大したことない自分の人生経験で今精一杯言えることはそれくらいです。


これはまた別の負の感情のループを新たに生み出します。
そういうことに苦しむ人がどれくらい過去にいて、新たに生まれてしまうところにいるか・・・。



今だったら、こういうループを生み出さずにすむボーダーラインにいると思います。

歴史は繰り返すとはいうけれど、
本当にこれは解消できないこと・・・とは思えないんですよね。


今だったらなんとかなる。


たぶん今はそういうボーダーラインにあることが、たくさんあるんだろうな。




今どんな状況の人も、
あと一日、
あなたの今直面しているボーダーラインを超える工夫をしてみてください。


それは本当に、この国の知恵のひとかけらに必ずなるから。










「ついてない」って果たしてほんと?

なんだか寒いですね~、東京は・・・。雨



寒いと思うと寒いから、

寒いと思うまい・・・星


ってわざと鈍感にしてると逆に体調崩したりしてしまう。




よくありますよね、

気持ちの上でも。




つらいと思うとつらいから、

つらいと思わないようにしようひらめき電球



と、思って、

本当に本当にツライと思うことがなければ大成功、なんですけど



つらいなー ってどこかで感じ取っていながら

わざと無視する、というか対処しないでいると・・・




どこかに影響出てしまいますよね。




まあ、

つらいつらいとよく口に出す人は、

その内容がどんなに事実で大変なことであっても


正直、好かれない ので



だからこそ、

「つらいつらい言うな、つらいと思わないようにしよう」っていう回避方法があるわけですけど・・・



体感が寒いと感じてるのに

勝手に「寒くない」って思いこませようとするだけでは

無防備すぎて風邪を引くのは時間の問題、っていうのと同じです。



明らかにオーバーワークだなあ・・・って思ったら

「今は無理!!って自分の頭の中で、音声にして意識してみてください。


無理」じゃなくて「今は」のところが重要です。



だって、いつも無理とは限らないじゃないですか。

到底無理なことでも一年後の自分には簡単かもしれないし・・・







それとは似ているようで全く違うのが



「ついてない」



というやつ。




ついてないと思うと本当についてないようになるから

ついてないなんて思うなビックリマーク




これはその通り。



でも、

「ついてる」と思え、ってことじゃないんです。



そう思え、そうすれば状況はよくなるって良く聞くけど、

私としてはそれは中途半端な方法だなと思ってます。



これは結果的にマイナスの方に行きやすい方法です。

人間、いつでも同じ調子で強く物事を信じられる心境でいられるわけがない。




これにひとつ付け加えるとすると・・・




ついてる、ついてないっていう観念そのものを捨てたらいいのだと思います。




「ついてる」っていうのは、今の自分にラッキーでプラスになる要素のことを指すわけで・・・


要するに、あってもなくても良い部分なんです。


自分の努力とかやったことに対しての成果というよりは、

何か思いがけない嬉しいことないかなあ、って願う感じに近い。



もともと「無い」はずの要素に対して

無いということを憂いているのと同じ事なので、


ついてることがあって喜んだとしても、

ついてないと思ってショック受ける衝撃の方が大きくなってしまうんですよね。


もともと無くて当たり前のものに対して「あってくれ」と願ってるわけだから、

なくてがっかりすることの方が多くなるのは当然・・・ですよね。




自分の今に対してのオーバーワークを感知することは

自分のリズムやバランスを崩さないための、

長期的に見て必要な機能ですけれど、



ついてるついてないを細かく感知することは

プラスアルファで入ってくる要素について気を割いているだけなので

「入ってこない日が多いな~」っていう風に捉えやすい、

マイナスの方に結局気持ちがいきやすい要素、っていうことなんです。



両者は全然違うでしょう?



もともと入ってこないことの多い性質のものなので、

だからこそ「ついてるなあークラッカー」って言ってる人のことをうらやましく感じてしまいやすいんです。


それによって、更に自分と周りとを比べる気持ちになって落ち込んでしまったり・・・。





もし、食べ物が全てものすごく高価で、

普通にこのまま食事してたら間違いなく破産するかも、ってなったら

それは悩みますが、



街頭で配っているティッシュを

今日もらえたかもらえなかったかで

人と比べて「自分はなんてついてないんだ!!!!」なんて

人生の未来が暗くなるほどに激しく落ち込んだりしてます?




そういうことなんですよね。



オーバーワークかもしれないからそれは意識しないと、



っていうことと、



ついてるついてないの観念、って。




「人と比べてついてない」って抽象的なことを悩むのは

街頭でティッシュがもらえたかもらえなかったか程度のコトを

本気で悩むことに時間使っているようなものなんですよ。


そう思っちゃえば

「ついてない」なんてこと、どうでもよくないですか?




それだったら、

欲しいと思うものを絞って

それを確実に手に入れる方法を考えていった方が

はるかに現実が思うようになるはず。




つらいと思うようなことを

あまり意識するな、っていうのはよく聞くことだけれど、



その内容、その意味をちゃんと考えないで

同じように「考えない」という方向にもっていっちゃうと

結果が全然変わってしまいますよね。


同じようでも正反対なことって結構ありますよ。



何かうまくいかない、って思うことがあるのなら、

閉じて放ったものの「意味」をもう一度見直してみたら

過去気付かなかったことに

気付くことができるかもしれません。



そしたらチャンス、なのかも。



思い当たることがあったら、ぜひそれを見直してみてくださいひらめき電球


いいことありますよ~星

それは誠意ではありません。

連休も終わりですね~

気温がどうも定まらない感じの東京…

半袖の服をしまうタイミングがわかりませんあせる



カレンダーとそれほどリンクしない生活なので、
連休中もこれといってレジャーらしいことはなかったのですが、


先日友人と行ったお店のお話…



ショッピング中におなかがすいたので食事をしようと入ったカフェレストランでのことでした。




注文後しばらく経っても前菜もなにも出てこない。


随分遅いなあ…

と思っていると
店員さんがやって来て


「先程のご注文なんですが、
もう一度お願いしたいのですが。」



とおっしゃる。





あー
これは…
言ってはいけないコトを…




予想通りに(汗)
友人は怒りましたね~


どの部分にかと言うと、




なにもなかったようにもう一度聞き出そうとする態度、です。
あわよくば謝らなくて済む感じに話が進む可能性もありますよね。



こういう場合、
こう聞かれると、ほぼ全員が聞き返すと思います。


「それはどうしてですか?」



って。



どういう理由で、を知ってるのは向こうなので
どうしてですかという当たり前にするであろう質問を
待たせている客にわざわざさせる、というのは
客に対しては失礼な事なのだ、と。


こう言ったらなんだけど、
どのみち申し訳ありませんを言わなければいけないわけだから
最初に言う方が余計な怒りを買わずに済むと思うのですが…

説明によると、
システムトラブルで注文データが消えたということでした。


最初に怒っちゃったせいで、
こんなにすいてるのに何十分も待たせて気付かないもんかね、
と意地悪な気持ちにもなってしまう悪循環なんですけど、


私的に

それはいかん!


と思ってしまったのはこのあと。



友人がハッキリと不快だという意思表示をしたからなのか
最初に注文を取りに来た若い女性の店員さんがいらしてくれて

私のミスで…ってわざわざ言ってくれたのですが…


お店のシステムについてはわからないし、
そもそもこの店員さんに責任があるとは限らないので
この方に対してどう、とは思ってなかったのですけど


大変申し訳ありませんでした、とおっしゃってる時の表情が、


泣き顔っぽい、泣いてない顔。




ごめんなさーい!
これは大アウトです!!


人って、本当にマズイなと思って
最初に謝るときって
わりと真顔で蒼ざめたような感じになっていることが多いんです。

許されるとは限らない、と思って話すとき、
どうにかわかってもらえなきゃと思うから
結構真剣な余裕のない目をするものです。

偽泣き顔だと目をつぶってるに近い感じになるのでこちらの目を見て話していないんですね。



しかも、
怒った友人にじゃなくて
最初になにも言っていない私の方ばかり向いてそういう表情をするもんで


情状酌量に持ち込めると思ったのかなあ、
これだけ待たされて甘えられても…


と思って



そのまま無反応+無表情で相手の目を見ていました。



彼女の思う、
そろそろ許し文句が客から出るだろうな、っていうタイミングでも
私が目をそらさずに無言でいたので
一瞬彼女の顔がこわばりました。


やっと本心で接してくれたか~



注文間違いとかシステムトラブルなんかはあることなので
そこは仕方ないと割り切れて特に怒ったり反論はしないですけど、

謝らずにお客にマイナスの部分を持たせる形にするのとか
申し訳ありませんを言う自分に酔ってるのかなと思うような顔されても



自分が一番大切で
自分が一番大好きなんです


って複数の店員さんにわざわざ見せに来られたみたいでなんとも楽しめない気持ち…




食事はとても美味しかったから、
また行きたいって素直に言う気になれないのも残念です。


自分大好き、って本来いいことだと思うんですけどね。

他の人の時間や気持ちを割いてでも
その価値観を共有せよ、という態度ほど
受け容れる気持ちをなくさせるものなんだと
勉強になりました。


相手が怒った理由に関して対処しようと行動するのは誠意ですが、
誠意を見せるフリしてます!って気付かれる状態を押し通すのは誠意にはならないですよね。



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