イスラエルを罪に落とすのは自らの高慢だ。

イスラエルとエフライムは

不義によってつまずき

ユダも共につまずく。

           ホセア書 5-5

 

 

 

一九一二年の夏のこと、土曜日の朝になるとバーナード・バルークがウッドロー・ウィルソンを引き連れて民主党本部に入って行ったとき、「まるでプードル犬を紐につないで連れ歩くみだいだった」そうだ。ウィルソンはトレントンからニューヨークに着いたばかりで、黒い礼服を着てひどく厳粛な顔つきだった。

           カーチス・B・ドール著「操られたルーズベルト」P253

 

 

第一次大戦前、「バーニー」・バルークは一〇〇万ドル以上の財産があると言われたものだ。第一次大戦後は、その財産は二億ドルにもなったとされる。まさに巨人と呼ぶにふさわしい。

           同著P180

 

 

 

 

前回の投稿で僕は、ノストラダムスの預言集の第一章の七番の詩に触れ、そこにある「14人の陰謀」について少し書きましたが、そして、その陰謀との関連として、アメリカ元大統領のフランクリン・ルーズベルトの義理の息子のカーチス・B・ドールの

著書「操られたルーズベルト」にある文章を最後に引用して、その投稿を終えましたが、今回はその続きです。

 

今、何故、カーチス・B・ドール氏なのか、と申しますと、それは彼が、善良なる人類の共通の敵を倒すために、「ゴリアテの石」を残してくれたからでありまして、それは具体的には彼の言葉であって、彼の著書であるわけですが、それらは彼がルーズベルト元大統領の長女アンナの夫としての立場から見た、大統領を始めとする、その親族、側近、支援者、実力者等々の、目撃情報もしくは人物評なのですが、その中で自分が最も重要と考えている彼の証言は、上に引用したドール氏の、アメリカの実力者バーナード・バルーク氏に関連する証言でありまして、つまり彼は、ウィルソンを大統領にしたのはバルークだ、と言っているのですが、その他にも、この「操られたルーズベルト」の中には、彼が実際にルーズベルトを訪ねて来たバルークと会って話をした時の思い出なども書かれており、その箇所なども非常に興味深いので、以下にその一部を引用したいと思います。

 

 

少し沈黙があって彼が静かに言った。

「ドールさん、私は銀が好きなんだ」

私はポカンとした。不意打ちだった。ようやく気を取り直して、「そうなんですか」と言った。

「そう、実際、私は世界の市場に出回っている銀の一六分の五を持っていますよ」彼は答えた。

何とか話についていこうとあがいた末、出てきた言葉は、「それは大変な量ですね、バルークさん」だった。

彼は力強く、断定的な調子で、「もちろん、大変な量ですよ」と答えた。

「銀」について考えがまとまらないうちに、レイノルズが部屋に入ってきて、「バルーク様、ご主人が二階でお待ちです。カクテルを何か作っておられます」と告げた。

そこで私たちは立ち上がり、丁寧に握手を交わした。レイノルズがドアを押さえたエレベーターにバルークは乗り、二階のルーズベルトに会いに行った。二階では、あの小さなおなじみのシェーカーで、この傑物のために素晴らしいマティーニが用意されていたと思う。

           カーチス・B・ドール著「操られたルーズベルト」P183

 

 

このバルーク氏とドール氏との出会いの場面は、1933年1月初めのことですが、この数か月後、ドール氏は、米国議会が公開市場での銀購入価格を倍に値上げする許可を合衆国財務省に与えた、という新聞報道を、週末の市場が閉鎖した後に知ることになるのですが、これを単なる偶然と捉えるか、それともバルーク氏が議会を動かしたのか、と捉えるかで、陰謀論者となるかどうかの境目だ、と言う人もおられるでしょうが、ドール氏自身は、これを当然バルークの力と思われたようで、これはバルークが自分に与えてくれた「政治教育」で、それは大きなヒントだった、と回想しています。

 

ところで、自分が何故、バーナード・バルークという人物に注目するかについてですが、例えば、アメリカの自動車王のヘンリー・フォードは、この人物について、自著「国際ユダヤ人」の中で、「アメリカにおけるユダヤの総督」と評していましたが、それが何を意味するのか、非常に重要だと考えまして、まさしくドール氏が評するような傑物を、どう調査すればいいのか、これが随分前からの自分の宿題となっているのですが、特にこの怪物が主催していたとされる「ラファイエット・パーク・クラブ」の存在は、実に見逃せないものでありまして、ここを外しては本当の近現代史は完成しないのではないか、とさえ考えているのですが、そのクラブのメンバーは、伝えられているところによると、バーナード・バルークを筆頭に、ヘンリー・モーゲンソー、フレデリック・デラノ、アヴェレル・ハリマン、マンデル・ハウス等だそうで、この出所不確かな情報を、何か意味あるものにするには、他の様々な情報とすり合わせなければならないことは言うまでもありませんが、その結果として、どうやらここで、さらに別のゴリアテの石をご紹介しなければならないようです。

 

例えば、浮世絵の版画は、何枚もの桜の木の板に彫った線や色を重ねていくことによって、最終的に一枚の華麗な絵を仕上げていきますが、それと同じように、陰謀論の正否を問うにあたっては、この世に残っているバーナード・バルークに関連する情報をすべてすり合わせる必要があり、そうして初めて見えてくるものがあると思うのですが、そのすり合わせ作業のためのもう一つのゴリアテの石として自分が選んだ著作は、ネルソン・W・アルドリッジJr.著の「アメリカ上流階級はこうして作られる-オールド・マネーの肖像」です。

 

以下に自分が撮影したその本の表紙と、前述のカーチス・B・ドール氏の「操られたルーズベルト」の中のドール氏のご尊顔が拝めるカットをお見せします。

 

 

カーチス・B・ドール

 

 

何故、このアルドリッジJr.の著作を取り上げるかと言いますと、このJr.の曽祖父の初代ネルソン・アルドリッジ(この著者のネルソンは四世)が、連邦準備制度の原案の起草者であると共に、この家から石油王ジョン・ロックフェラー二世に嫁いだアビー・アルドリッジが生まれており、つまりそれはディヴィッド・ロックフェラーの母なのですが、ドール氏は連邦準備制度に触れて、これこそが「ゴリアテの石」を投げつけるべき対象の一つだ、としましたが、この「マネーを生み出す怪物の制度」についての正しい見解を得るには、まず初めに読むべき本は、前述のドール氏の著作と、この本の二冊だと思いますので、なので今回自分は、新品のシーツを広げて、愛機のSONY-RX100で撮影した写真をお届けしてみた次第です。

 

この二冊の本を、陰謀論本と捉えるかどうかは、その人次第だと思いますが、どちらの本も、一種の伝記のような、証言集のようなものですので、この二人の著者の人生を自分に取り込んで、その後、世界を眺めてみるのも大事な作業だと思います。

 

そして、このことが、今回の記事のタイトルに含まれる「イスラエル」という文字と、「陰謀」という文字と、どう関係するのか?

 

この点については、今回の記事も少し長くなりましたので、続きは次回また書きたいと思います。

 

それと、今回の記事のカバー画像に使った写真を、最後にもう一度貼って、本投稿を終わりにしたいと思いますが、一体、この中のどの本が陰謀論なのでしょうか?

 

そして、自分は、どの本を、三個目の「ゴリアテの石」に選ぶべきでしょうか?

 

やはり、ロン・チャーナウ著「ウォーバーグ-ユダヤ財閥の興亡」が、この話の流れの中では、最適でしょうか?

 

この本を読めば、連邦準備制度の原案の原案は、ポール・ウォーバーグ氏の机の引き出しの中にあったことが分かるでしょう。

 

そして、一個目のゴリアテの石であるカーチス・B・ドール著「操られたルーズベルト」を読めば、彼が1928年の夏にフェリックス・ウォーバーグ夫人が日曜の午後に開く大きな集まりに招かれ、そこでポール・ウォーバーグ氏と出会い、彼の印象を「非常に厳格な人物に見え、いつも超然としていた」と書き残してくれているのが分かるでしょう。

 

そして、彼こそが「連邦準備法として知られる銀行法の立案者代表だった」とあるのも読めるでしょう。


ついでに書けば、そのフェリックス・ウォーバーグ夫人が開いた集まりに、「ラプソディ・イン・ブルー」を作曲したばかりのジョージ・ガーシュインも招かれており、夫人のリクエストによって、ドール氏の言では「彼の弾きたくない様子が私にはありありと分かった」中、その新曲を皆の前で演奏したそうです。

 

さて、本当に長くなりました。

 

では、また来週の木曜日にお会いしましょう。

 

ごきげんよう。

 

 

 

陰謀論と陰謀とイスラエル