転職を決意した理由 

 

 

 皆様、こんにちは。昨日ぶりですね。

 早速ですが、昨日お話しした予定通り、なぜ転職を決意したかについてお話しします。

 

 結論、自分に仕事があっていなかったからです。今思うともっと就活をしっかりと、行っておけばよかったと感じています。

ちなみに、某住宅メーカーの営業をやってました。

 今回はその辺も込みでお話しできればと思います。

 

 時系列順に並べます。

 

 4月 1週目 入社

 4月 3週目 配属先での仕事開始

 5月 2週目 雑草取りスタート

 7月 1週目 管理者変わる 雑草取り業務終了

 8月 3週目 先輩同行の上、現場に出る

 9月 1週目 一人で現場に出る

10月 1週目 契約見込み(契約ならず)

11月 3週目 初契約

12月 2週目 適応障害と診断、休職申請

 

適応障害の症状が出たのは、6月手前。GWが過ぎると東北とて暑くなります。

毎日のように朝晩、時には仕事で外出中に嘔吐を繰り返してました。

「暑くて体が本調子じゃないだけ」「社会人生活に慣れていないだけ」ずっと言い聞かせてました。6月末まで自社の持っている土地、建売住宅、モデルルームの草取りをずっと繰り返してました。ちなみに休憩中はポスティングをしていました。

 定例的に開催される、研修では同期からの話を聞いて羨ましく思っていました。

同期A「俺契約見込みできた」

同期B「先輩の商談まじでかっこいい」

同期C「ポスティング?4月で終わったよ。草取りなんてそもそもやった事ない」

同期D「草取りするときは草刈機ですぐ終わらせているよ」

全同期「てか、痩せた?いや、痩けた?」

こんな会話を聞いて「自分は何しているんだろう」と思っていました。

ただ、同時にここから這い上がろうとも思いました。

 

転機が来たのは7月。マネージャーが変わりました。理由は、詳しくはわかりませんが、管理者が変わった事で、自分の業務は180度変わりました。草取りの廃止、ポスティング軽減、ロープレスタート、先輩の商談見学。やっと業務が営業職らしくなってきました。

無事ロープレも合格し、先輩の同行付きであれば商談可能になりました。ただお客様は自分で見つけることが条件でした。

 

早速私は過去に来場したお客様の電話リストに片っ端から電話をかけました。入社当初から私を可愛がってくれる、超売れっ子の営業担当A先輩に「電話営業のやり方を教えてください」と懇願しました。忙しいのにもかかわらず、承諾してくれました。

 

朝から晩まで電話をかけ、ポスティングに行き、商談のための資料作成、勉強。一切欠かさずやりました。8月の3週目、電話営業で一人のお客様を展示場に案内することに成功しました。そして、商談には例のA先輩に同行をお願いしました。その結果、商談はスムーズに行き、かなり早い段階で契約見込みになりました。自分も勉強し、資料を作った分、拙いながらも説明をし、何とか信頼を気付き上げていきました。

 

ただまたしてもここで、ショックな出来事が・・・。例のA先輩が辞めることになりました。「辞めます。もう次は決まってます。引き抜きです。私には家族がいるので少しでもストイックで稼げる環境に身をおきたいです。今までありがとうございました。」

と言ったそうです。かっこいい。

 

それから、先輩が辞めるまで期間、「営業とは?」という莫大なテーマについてその先輩から、たくさんのことを教えてもらいました。「服装は正しいの上のおしゃれを目指す」「契約書にサインさせるときは高いペンを使う。間違ってもその辺に売ってる数百円のペンでサインさせるなよ。」ここに書ききれないくらいたくさんのお話を聞きました。

この先輩のかっこいいところはそこだけじゃないです。

「わかりました。お金貯めたら、良いボールペン買って、おしゃれなビジネスカジュアル揃えますね。」

私はこう話しました。

後日先輩から連絡がありました。

「次の職場、スーツで仕事が絶対だから、俺の使ってたジャケットとか全部あげるよ。」

そして受け取りに行ったら、胸ポケットからペンを取り出し、「これもやるよ。サインさせるときはこれ使えよ」と数万円するボールペンまでプレゼントしてくれました。

 

そして、人員不足ゆえ、A先輩が辞めてからは一人で接客、商談をしなければならなくなりました。

 

※ちなみに電話営業でご来場し、契約見込みになったお客様は流れました。(泣)

 

ですが、新規でお問い合わせいただいたお客様を割り振っていただけるようにもなりました。

そして、3組目のお客様が、またしても契約見込みになりました。融資が通らず流れてしまいましたが、そのほかのお客様まで含め、新人とは思えないほどのアポ率で驚異の80%の数字が出ました。これにより、たくさんの業務がさらに回ってきました。「期待の表れなのかな?」

当時はこんな風に思っていました。

ただ、私にとってはあまりにもこなせない量でした。昼休憩なし。20時半には消灯されるので、自宅に持ち込み12時まで残業。朝は、営業の誰よりも早く行き、鍵を開け仕事をする毎日。休日も役所での手続きや自宅での仕事。そもそも自宅で仕事をした分は残業代が出ないので、月給は変わらず・・・。結果、私は休日過労で倒れてしましました。

何度も上司に少し業務量を減らせないかと懇願。現状を話しても「俺の若い頃は、ほぼ寝てなかった。辛いかもしれないががんばれ」としか言われず。

 

結局、自分は使えない社員なんだと実感しつつ、目の前の仕事に向き合うことしかできませんでした。

不幸中の幸いなのか、こんな日々のなか、なんとか初契約をいただきました。ただ、これが最後の糸をぷつんと切りました。休日、いつものように家で仕事をしていると、倒れてしまいました。急いで病院に行くと、やはり過労。問診の結果、適応障害であるとの診断でした。

 

診断書を発行していただき、休職申請、受理されました。

当時は、「事故に遭えば休めるかな、いっそのこと前の車に突っ込もうかな」とか「普通に死にたい」とか考えていました。今思うと異常だとは感じますが、当時は社会人ケンケンが浅いだけと考えていました。

 

休めるってなったら、体が全く動かなくなりました。ベッドから起き上がれない。食事はおいしいものを食べたいとかではなく、とにかく生きるための補給に過ぎなかったです。

 

そんな状況下で絶望的でしたが、彼女のおかげで少しずつ、というか驚異的な早さで復活しました。

本当に感謝の一言では表しきれないですね。一生かけてでも恩返しをしたいです。

まずは4月までに転職を完了させて、彼女を安心させたいですし、今はそれが目標です。

 

ちなみに今更ですが、私の会社では1〜2年は決まって先輩がついて接客、商談をするのがルールとしてありましたが、人員不足もありすぐに独り立ちしてしまいました。同期は今でも手厚いサポートの元仕事をしています。大切な同期には自分と同じ思いをして欲しくないと考えています。

 

明日は、休職期間に彼女にしてもらったことを書こうかと思います。

 

私と同じ状況に陥って苦しんでいる方も多くいると思うので、少しでも参考になればと思います。

 

明日もぜひ、私のブログ(?)を読んでいただけたらとても嬉しいです!

ぜひよろしくお願いします!