昔の彼が結婚して、子供が出来たという噂を耳にした。

少しさびしさと、大きな安堵を感じた。

愛し合って喜びを分かち合い、未来を一緒に夢見ていたけれど壊れてしまった恋愛の相手が幸せであることは、自分の果たせなかった義務からの解放のように思えた。

彼もまた、私のことをどこかで聞いて、安堵しているかも知れない。

修羅を生きる (幻冬舎アウトロー文庫)/梁 石日

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ヤン・ソギルの『修羅を生きる』を読んだ。
以前、『血と骨』を読んでいたから、この人の生い立ちはわかっていたつもりだけど、やはり凄まじい。
貧困の中、戦後の日本で外国人として生きるだけでも大変だったはずなのに、あの父親の元で生きるのは地獄を見る毎日だったと思う。

妻も子も全く愛さず、それどころか近しいほど憎さが増すように暴力を振るい、金貸しをするほど金銭的には豊かなのに、家に全くお金を入れない。
ヤン・ソギルはその暴力の中で生まれ、育つ。

けれど、私の体験から思うと、戦っているときは我武者羅だから、まだ精神を保てる。
こうして本を出版し、社会的にも認められるようになって、落ち着いた環境でヤン・ソギルが自分を見つめれる環境を手にして、まともでいれることが何より凄まじいと思う。

「一人の人間の内面には多くの隠された暗部がある」と彼はいう。
私も少しは暗部がある。
きっと私の周りの人にもあるのだろう。
それでも、それを抱えながら生きる。
生き抜くことが大切だ。
そんなことを思いながら読んだ。

わが子の口に乳を含ませて、テキストを読む。

寸秒も目を離したくない存在を胸に抱きながら、未来に向かって勉強ができる。

私の血は乳となり、その乳を飲んで娘は生きる。


この瞬間の私ほど、幸せな人間がこの世にいるのだろうか。

こんなに幸福な人生なのだから、充実させなければならない。


問題を解き、テキストを見返す。

今の一瞬の幸せに流されず、力を蓄え、再度雄雄しく立ち上がれるように。