「人は人に知られる為に生きる
その為に
名前をつけ、カテゴライズもする
たくさんの人に知られる事は、喜びがある反面さまざまな弊害が生まれる
そこに紐づくのはいつの時代も
お金であります」
青春+パンク=青春パンク
パワー&ホットワードが合わさったわけですから、当然若者の間では流行
その真っ只中に運良くいた僕達は
カテゴライズされる事が、認知の第一歩だと考えており、
ラッキーだと感じてました。
要はその後どうするかなので。
鹿島はJ-POPの延長だと思って今でもやってます。
ジャンルというのが、長期的に流行るのは、情報の桁と速度が違う今では有り得ないですが、
その青春パンクという「ジャンルが流行った」バンドブームバブルの中、
ジャパハリネットは最後の世代としてデビューするのでした。
CDが売れる時代のメジャーなレコード会社からのデビューは今と違う意味合いがありました。
契約金や年俸は甲子園で優勝し、ドラフト1位で入団したものと同等でした(メンバーには入らず)
青春パンクブームという事もあり10社以上からのオファーがありました。
広告らしい広告を打たず、
1枚目のアルバムだけで10万枚以上=3億という売り上げがあったのですから当然なのかもしれません。
状況は一変しました。
大きく変わったのは、動くお金の額と、人に知られる範囲です。
周りの反応や、中の人も含めて浮き足立ってくるのが、よくわかりました。
関わる人の数も変わりました。
PV撮影、レコード会社、レコーディング・・・だけか・・・・・・・笑
でも、僕達の基本環境は変わらず・・・・・・・。
恐らく、事務所にとっては、
日本一コストのかからないメジャーバンドだったと思います。
レコーディングなんて、だいたい2週間でとってましたので・・・・。
東京単発日帰り、運転&機材物販運搬
1500人のワンマンをやろうが変わりません。
もちろん給料もさほど変わりません。
ただ、印税はぐんっと増えました。
今となってはありがたい事ですが、
ジャパハリネットの小規模活動ができるのは、この頃の過酷な活動状況あっての事だと思います。
個人的には、メジャーに上がるに時期尚早だと感じてました
バンドの体力というか器がまだ備わってないと思えたからです。
ただ、鹿島だけが決める事ではないので、流れには逆らわずという感じでしたが、
これらの状況を見て鹿島はどんどん不安になってきました。
メジャーデビューはあくまでも通過点で、何十年先も音楽で生活するのが目的だったからです。
あの頃は不安をかき消すように曲作りに没頭しました。
鹿島ができる事もそれくらいしかなかったですから。
同じようにプレッシャーが多くかかったのは、けんじろではなかったでしょうか。
彼は僕とはまったく違ったタイプですが、
見た目と違って、
自分に対して細かい事を気にするタイプの割には人に対して大らか。
人との観点がずれているが、社会の調和を重んじる。
優柔不断すぎるが、局所的すぎるこだわりを持ち
自立心がないからこその寛容
小学生のままで育った大人
悪いように聞こえると思いますが、これらの条件はボーカリストとしては、非常に才能に優れています。
今では爆笑のネタでしかないものがほとんどですが、
言える事も言えない事もエピソードの数では群を抜いて一番です。
それだけ、色々な事を起こせる可能性をもっているんです。
それから、
鹿島と質は違いますが、自分というものがあまりないというか、確立されてなかったので、表現したい事があるという事。
さらに、素晴らしい事は「調子に乗ってくれた」という言い方が正しい。
バンドなど人前に立つには、
多くの場合、まずは調子に乗らないと、はじまらないからです。
調子に乗る事はひとまず、楽しく正しい事なんです。
Mステにでた時のタモリさんとの会話なんて、真似できない芸当でした。
順風満帆に見えたジャパハリネットですが、
思い返せば、この頃からすでに歪みの種は蒔かれ
警笛の金は小さな音で鳴り響いていたのでありました。
「お金というのは、誰かが作り出している無限の紙切れ
そのお金があらゆる対価として機能し、有限を支配する社会
お金とは対極に位置するバンド活動
僕達はたくさんの人に知ってもらい
認めてもらいたかった我儘な生き物にすぎなかった
知られて 認められた今は
感謝と慈悲に変化する