鹿児島まち歩きの達人と楽しんだ薩摩・大隅2泊3日の旅

鹿児島街歩きの達人とは東川隆太郎氏のことで、少し履歴に触れます。 1972年鹿児島市生まれ、鹿児島大学理学部地学科を卒業後、県内の地理・歴史を基軸にした地域観光資源の開発活動を展開。 観光ボランティアガイドの育成・講演活動・コーディネート等を通じて、幾つものNPO”まちづくり”団体の活動に係わっている。

東川隆太郎氏

 

今回の旅のコースは東川氏が監修し同行する。 通常の観光旅行とは一風変わった内容で、少人数で募集され催行された。 奥さん(女房)と参加した今回の2泊3日のツアーを、「薩摩・大隅の旅」として幾つかのテーマ毎に分け、シリーズで少しづつ報告・紹介したいと思う。

 

 一日目 鹿児島中央駅ー指宿、 二日目 指宿ー鹿屋、 三日目 鹿屋ー鹿児島中央駅

 

一日目、鹿児島中央駅午前11時20分着の新幹線を降りて、改札を出ると東川氏が待っていた。 早速、マイクロバスに乗って、鹿児島一の繁華街・歓楽街と呼ばれる天文館に向かう。 福岡市だと天神と中州を合わせたような・・・。 日程表では、天文館で「昼食」となっているが、何処で何を食べるのかは書かれていない。 こんなところが通常の募集旅行とは異なっている。

 

天文館街の”いづろ通”近くでバスを降りた。 徒歩で「まち歩き」をしながら昼食会場へ向かう。 

 交差点の角に、「坂本竜馬とおりょうの新婚旅行碑」があった。

 

 この交差点から100m歩くと「山形屋(百貨店)」に着く。    (画像:Wikipediaより)

 

東川氏の話によると、この百貨店のレストランで昼食をとるそうだ。

 

 壁に大正5年当時のルネッサンス建築様式の「山形屋」が、レリーフで埋め込まれてあった。

前身は江戸時代中期の宝暦元年(1751年)、山形県庄内地方から来た呉服商人による創業と言われる。 「山形屋」の屋号の由来が、初めて分かった。 しかし、読みは「やまかたや」と言う。 大正時代の建物のイメージを残しながら、増改築を繰り返して現在の7階建に至っているようだ。

 

 エレベーターで7階に上る。 そこに、大正浪漫が漂うレストランがあった。  

入り口     (画像:H/P ”かごぶら”より)

 

レストランの名称は「山形屋食堂」・・・・なるほど、食堂のほうが大正浪漫に似合っている。

 

 座席に着いた。 天井の造形にも趣を感じる。

 

 大正時代~昭和初期の当時の雰囲気を模したそうだ。   (昭和7年撮影の山形屋食堂)

 

食堂なので、メニューは「かけうどん」から「ビーフシチュー」まで豊富に揃っている。 しかし今回は、我々に選択権は無かった。 東川氏が既に注文していたのは「焼きそば」であった。 お値段は下から数えたほうが早いような単品メニュー。

 

 席に着いて、「焼きそば」が届くまでが早い。 しかも、普通盛りなのに、デカーい。 

 

ここは百貨店内の食堂なので、大型の団体や募集型のツアー客は入ってこない。 街歩きの達人・東川氏によると、個人または小グループ観光客へは一番のお薦めらしい。 

 

 硬麺なので、我々が一見すると「長崎皿うどん」を思わせるが、山形屋食堂と鹿児島県民にとっては、これが「焼きそば」なのです。 美味しかです。 

 

野菜・豚肉・蒲鉾などのたっぷり具材をチキンスープでしっかり煮込んだ中華あんが食欲をそそる。 その中華あんを太めの揚げ麺に絡めて、口に運ぶ。 ひとくちふた口噛むと、凝縮された旨味が口の中に広がる。 

 

廻りのテーブルを見渡すと、多くのお客が単品の「焼きそば」を食している。 現在、年間で20万皿も提供される主力メニューとなり、「焼きそば」だけで山形屋食堂の売り上げの半分を占めていると言う。

皿が運ばれて来た時は、その量に驚いたが、気が付けばペロッと食べていた。

 

東川氏に案内いただいた「山形屋食堂」、気にいりました。 日程表では、これからの食事も何を食べるのかが分からない。 指宿では老舗旅館「吟松」に泊まるのに、夕食は居酒屋をハシゴするらしい。 何とも不思議なツアーに申し込んだものだ・・・。 

 

それにしても東川隆太郎とは何者だろう? 天文館街を歩いているだけで、何人かの人が彼に挨拶していた・・・不思議な人物だと思う。

 

薩摩・大隅の旅 ②」に続く。

 

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