徳川幕府唯一の外国大使館を任された対馬藩

対馬の旅① 福岡空港~対馬やまねこ空港

対馬の旅② 鰐浦の韓国展望所         の続きです。

 

 

豊臣秀吉の無謀な朝鮮・明国進出(文禄・慶長の役)は双方に多くの犠牲を払って終了した。 関ヶ原の戦い後、日本の統治を引き継いだ徳川家康は国内安定を優先させたいので、李氏朝鮮国とは早く和平を回復したい。 一方の朝鮮国も中国東北部から勢力を伸ばして来た女真族(後に明を滅ぼしてを建国)に悩んでいて、早く日本と講和を結んでおいた方が良いと考えていた。 双方の思惑を上手に結び付けたのが対馬藩初代藩主・宗 義智(そう よしとし)だった。  義智は戦後処理と国交回復に努力を重ね、慶長14年(1609年)、両国間の「和平条約」成立の労をとった。

 

以後、両国間相互に使節団の派遣が続いた。 特に朝鮮使節団は「朝鮮通信使」として数百名の通信使団が江戸時代をとおして12回来日し、対馬藩はその都度江戸まで随行し、善隣外交に徹した。 徳川幕府朝鮮国の双方からその功績を認められた対馬藩は、相互貿易取り扱いの権利を得て、また、朝鮮国に対する幕府外交業務の一部に係わることになった。

 

 

 対馬藩厳原の御船江

 対馬藩主・宗氏の居城は厳原にあって金石城と言う。  島国である対馬藩にとって船舶は大切な移動手段で、古来より造船技術や船の操舵技術は高かった。 和平条約の成立後、厳原港南の久田川河口付近に新しい港の造営に取り掛かった。 江戸時代、船の留め(格納)のために築造した船着場を船江(ふなえ)又は船入(ふないり)と言う。 藩所有の船の場合は御船江(おふなえ)または御船入(おふないり)となる。

厳原町の金石城址と御船江跡の場所

                                             (厳原市対馬博物館)

 

江戸時代に築造された御船入(御船江)が現存しているのは、対馬藩の厳原だけらしい。 

 

 現地に着いて驚いた。 当時、入江に築かれた堤の石垣はそのままを保っていた。 4基の突堤と両側の堤の間に五つのドック(船渠=せんきょ)が設けられている。 潮の満ち引きを利用して船の出し入れを行う。

 

対馬藩の藩船が5隻ということはないので、この五つのドックは船留所と言うより、船の建造・修理・保全チェックのための施設だったろうと思う。 入江の近くには同じく当時の石積みの築堤が続いていたので、ここが壮大な規模の船留所だったことが想像出来た。 

 

対馬藩の船は、ここ厳原から釜山博多を結ぶ航路で大活躍する。

 

 釜山の倭館

 対馬藩李氏朝鮮国から、釜山に藩士滞在のための倭館と貿易施設の建設を認められた。 草梁(チョリアン)倭館と呼ばれた。 約10万坪(青線範囲)の敷地を持ち、現在の龍頭山公園の海側辺りにあった。

釜山草梁倭館のジオラマ      (対馬朝鮮通信使歴史館)

常に数百人以上の対馬藩士が駐在していたという。 幕府に代わって情報交換・情報伝達を行っていたそうだから、或る意味、江戸時代における唯一の海外日本大使館とも言える。

倭館敷地の東側に専用の港が見える・・・対馬藩専用の船着き場であるから、ここも対馬藩の「御船江(おふなえ)」となるのかな。

 

釜山で船積みされた貿易品は厳原を経由して日本の何処で陸揚げされたか? 幕府は黒田藩に命じて対馬藩専用の交易品積み上げ地を確保させ、そこに対馬藩の屋敷、倉庫の建設を認めた。 現在の対馬小路(つましょうじ)の辺りになる。

 

 福岡藩の御船入と対馬小路

三奈木黒田家に伝わる江戸時代後期(1800年頃)の「福博古図」。 

 

 対馬小路対馬藩の屋敷・倉庫群があった。 海に面した印に福岡藩の「新御船入」が見える。  中洲の先端印に「古御船入」と書かれた船着場がある。 江戸時代中期まで、幕府から命じられた長崎警備に向かう藩船が繋がれていた。 ところが時が経つにつれ、博多川那珂川の砂が堆積して使用出来なくなったので、須崎の印の場所に新しく「船入」を築造した。 長崎警備の藩船や軍船は西公園下の波奈港(はなみなと)の御船入に移動させた。 公用船である対馬の藩船がこの須崎の岸壁に舫ったこと、そして福岡藩の御用米を乗せた博多商人の千石船がここから関西・北陸方面へ出港したことからして、この船入(ふないり)は「藩=御」の船入・・・つまり「御船入(おふないり)」になるのだろう。 対馬藩倉庫群の前に築かれたので、対馬藩の「御船江」と言えなくもない。 博多商人の船は、使われない時には、絵図中のように砂浜に並べ置かれていたのだと思う。 印の「新御船入」は埋め立てられ、現在は「博多中学校」の敷地となっている。

 

対馬藩は朝鮮国との独占貿易によって大きな利益を得たようだ。 しかし、260年間の江戸時代を通して両国の関係を戦の無い善隣外交で保った対馬藩の功績は大きい。

 

 今回は「旅」よりも「歴史内容」の比率が高いので、ブログ書庫(テーマ)は「歴史散歩」に収めています。

 

 海鳥社発行の「古地図 福岡・博多」から画像利用しました。

 

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