7月28日の日曜日、朝日新聞の好きなコラム「折々のことば」で、「そういうことあるよなあ・・・」と思わされた言葉に久しぶりに出会った。

 

 

 

 

 

 

( 7月28日付け朝日新聞コラム「折々のことば」)

 

 

さみしいものが見たくなるのは何故だろう』 穂村弘

 

 朽ちかけた家の褪せた表札やひしゃげた牛乳箱、地方の商店街の店先に佇む昭和っぽい寝間着を着たマネキン。見向きもされずに放置されたモノたちに出くわすと思わず見入り、立ち去れなくなると歌人は言う。人には明るさや楽しさ、豊かさや温かさだけでは埋められない「隙間みたいな領域」があって、そこを埋められるのはさみしさだけだと。随筆集『迷子手帳』から。

 

 

 

 このコラムを書いている鷲田清一さんは「歌人」とだけ紹介しているが、この言葉の主・穂村弘さんを私は知らなかったので調べてみた。

 

 穂村さんは1962年(昭和37年)生れの62歳。私より15歳年下だ。歌誌「かばん」に所属し現代短歌を代表する歌人の一人。批評家、エッセイスト、絵本の翻訳家としても活動している。

 

 

 

 私は62歳という穂村さんの年齢を確認して、ギリギリ私と同じ時代を生きてきた方と無理やり思うことにした。

 

 

 穂村さんが随筆集「迷子手帳」に書いた、この短い言葉のなかの ”さみしいもの” とは何を指すのか、この随筆集を読んでいないのでよくわからない。コラムによると ”見向きもされずに放置されたモノたち” もそのひとつらしい。

 

 

 ただ、例示されている ・・・朽ちかけた家の褪せた表札やひしゃげた牛乳箱・・・地方の商店街の店先に佇むマネキン・・・と聞けば何となく伝わってくる。

 


 

 リタイアしてから私は昔住んだいくつかの街を再訪しゆっくり歩いた。

 


 その街を離れてから数十年も経過し、街が大きく変わっている中に、昔のままの古い店や建物、看板等に出会う時がある。


 物質的には必ずしも豊かではなかったものの、当時の人との交流の豊かさ、温かさがよみがえる・・・おそらくそれらのものは、今の社会では ”見向きもされずに放置されたモノたち” なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 また・・・明るさや楽しさ、豊かさや温かさだけでは埋められない「隙間みたいな領域」を埋められるのはさみしさだけだ・・・というくだりは、年齢を重ねれば重ねるほどなんとなく同意できる。

 

 

 

 今日は穂村さんの言葉に気づかされた「さみしさの役割」というか「さみしさの良さ、深さ」を77歳の視点で書いてみたい。

 


 

 

 

 

 ところで、スマホで「さみしい」と検索すると「さびしい」に置き換えて表示され、「心が満たされず物足りない気持ちである・仲間や相手になる人がいなくて心細い・人の気配がなくてひっそりとしている・・・」といった意味だと教えてくれる。

 

 

 

 この「さみしい」という言葉には、少なくとも心を明るくし温かくする要素は普通はない。むしろ「さみしい」と感じた人の気持ちをさらに落ち込ませる言葉だ。

 

 

 

 高齢者は時間の経過とともに、友人や仲間、相手になる人が一人また一人と亡くなり、自分の回りの人の気配がだんだん小さくなっていく。だから高齢者が「さみしい」という感情になるのは当然の流れだ。

 

 

 

 大切な人に先に逝かれ、なかなか精神的に立ち直れない人を見るのは心が痛む。


 しかし、「さみしい」という感情につながるはずの自分の周辺にいた人が亡くなったりする変化は、年を取ってくるとようやく素直に受け入れられるようになる。

 

 

 

 だから、年を重ねて自分の周辺で訃報を聞いたり施設入所といった出来事を耳にするようになっても、「さみしい」ということが不幸なことだとか、自分だけが不運だとか思わなくなる。

 

 

 

 

 

 

 私もここ数年の間に、若い頃から心を許して兄弟のように付き合ってきた親友が3人も先に逝き、身内では若い頃から世話になった長兄と義姉を亡くした。こうした悲しい出来事は間違いなく ”さみしい” ことだ。

 

 

 

 さてこの年になると、時々古いアルバムを取り出して昔の写真を眺めたくなる時がある。


 今回このブログを書きながら、昔の写真もその持ち主以外からみれば ”見向きもされずに放置されたモノたち” だと教えられた。

 

 

 ふた月ほど前、私は「Googleフォト」機能を使ってスマホの中に古い懐かしい写真のライブラリを作った。

 

 

 私は戸棚からアルバムを取り出し、眺めながらゆっくり選んだ写真を何十枚もスマホで撮影し、スマホ内の写真も加えて8つのアルバムに整理した。

 

 

 アルバムのタイトルは、私の家族写真を収めた「香椎はやと家」、祖母や両親、兄弟らとの古い写真だけの「香椎家」、小学校以降一緒に学んだ仲間との「同級生」、学生時代から交流の続く「教会の仲間」、社会人になってから「共に働いた仲間」に加え、故郷・鹿児島の風景を「桜島」「霧島」「その他」の3つに分けた。

 

 

 

 今では、ウォーキングの途中のカフェでも電車のなかでも、懐かしい人々や昔からの仲間の笑顔、真面目な顔をスマホ画面で眺められるようになった。


 また、いつでもどこでも数々の思い出が詰まっている故郷の山や川、海を手元で眺めることもできる。

 

 

 スマホの中のアルバムを開きながら、今の時代には見つけられないあの時代の豊かさや温かさ、楽しさが満ち溢れる空気の中にひとり浸っている・・・

 

 

 

 だから、「さみしい」という感情の裏側には、若い頃や幼い頃に触れた豊かさや温かさが隠れていることを私は知っている。

 

 

 

 最初に転記したコラム「折々のことば」によると ”人には明るさや楽しさ、豊かさや温かさだけでは埋められない「隙間みたいな領域」がある” と歌人・穂村さんは書いている。この部分には100%同意する。

 

 

 

 

 

 

 若い頃は ”人生は明るさ・楽しさ・豊かさ・温かささえあれば十分やっていけるだろう” と思うのが普通だろう。



 しかし年齢を重ね40歳、50歳になってくると、そうしたモノはそう簡単には手に入らないということを痛感させられる出来事が次から次に起きてくる・・・

 

 

 62歳の穂村さんもそのような経験を何回も経て、そうしたことだけでは埋めきれない隙間のような領域があることを感じられたのだろうか。

 

 

 

 豊かさ・温かさ・楽しさといったモノはそう簡単には手に入らないと書いた。

 

 

 逆に ”貧しさ・冷たさ・苦しさ” に加え、”さみしさ” も増えていくその裏で、そうしたモノが時間をかけてじっくり発酵してできるもうひとつの 「豊かさ・温かさ」 が少しずつ蓄えられていくような気がする・・・

 

 

 そして高齢になって、苦しみ悩んだ若い頃を思い返す時、その “貧しさ” や ”さみしさ” 等が発酵し蓄えたもうひとつの 「豊かさ・温かさ」 が沁み出してきて、若い頃の風景をいい思い出、いい色に変えてくれるのだろう。

 

 

 

 猛暑の続く今週は、鷲田さんが紹介してくれた穂村弘さんの素朴で平易な言葉のおかげで、温かい穏やかな気持ちでスタートできた。

 

 

 

 

(注)コラム記事以外の写真は、ネットよりお借りしました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 ・・・7月29日夕方5時前の故郷・桜島の噴火。噴煙は4400mの高さまで上がったとあった。facebookの友人Kさんの投稿写真をお借りしました。この写真もアルバムに収めさせてもらおう。