我が家が転勤で関西から首都圏に転居してきたのは、1978年(昭和53年)だった。今年で46年になる訳だからまもなく半世紀だ。

 

 

 

 その間、暮らした町は、朝霞市(埼玉県)、川崎市中原区武蔵小杉(神奈川県)、柏市(千葉県)、杉並区高円寺(東京都)そして、再び柏市に戻りようやく定住した。それから約30年・・・

 

 

 

 ついでにその間、私が勤務した街を上げてみよう。

 

 平成の始め単身赴任した広島を除きいずれも首都圏だが、まず延べ3回・通算10年勤務した大手町、銀座、阿佐ヶ谷、お茶の水、原宿、浜松町、田町、新橋、市川ということになる。

 

 

 

 ひと口に言ってどこもいい街だった・・・仕事は大変だったが、いい思い出、楽しい思い出がたくさん残っている。

 

 

 

 だから、私は首都圏というか ”東京” という多様な表情を持つこの街が好きになった。

 

 

 

 田舎育ちの私は、上京するまで東京は人が多く街はごみごみしていて空気は汚い・・・といったマイナスのイメージを持っていた。

 

 

 しかし実際住んでみると、1964年(昭和39年)の前々回の東京五輪で大きく街は変貌し、九州に住んでいた頃に抱いていた “雑然・混沌・過密” といったイメージは覆った。

 

 

 

 東京で最初に勤務した大手町のビルからは皇居の大きな緑の向こうに、新宿の高層ビルが建ち始めた頃で、一番右が〇〇ビル、その左が△△ビル・・・と、眺めながら覚えたものだ。

 

 

 

 その後バブル期に入ると、多くの場所でいわゆる「地上げ」が一気に進んだ。次から次に再開発という名の街の大変貌が、海岸エリアを含む首都圏のいたるところで始まった。

 

 

 

 一方その裏では、古い街並みや通りが消えたり、再開発にともない住んでいた場所を追われた方々のつらい話も聞いた。

 

 

 

 しかしそうした犠牲を払いつつ、表面的には東京の街がすっきりしてきたのは間違いない。

 

 

 ”都市美” という言葉でいいのか知らないが、人工的ではあるが高層ビル群や大規模施設、その周辺に施された緑の植栽エリア・・・さらにそうした “新しい街” をつなぐ交通網の整備もあわせて進んだ。

 

 

 

 さて、そうした街のひとつ「六本木一丁目」駅界隈に出掛けることが最近多くなった。目的は駅のすぐ近くにある「泉屋博古館」での美術鑑賞だ。

 

 

 5月12日(日曜日)に出掛けた今回の目的は「ライトアップ木島櫻谷(このしまおうこく)」展だった。

 

 

 

 

 

 休日で最終日だったこともあり、入場客は思ったより多かった。

 

 

 

 

(ご参考)「泉屋博古館」をHPから簡単に紹介しておきます。

 当初は住友家旧蔵の美術品を保存公開するために設立された。1970年(昭和45年)京都市左京区鹿ケ谷に京都本館が竣工し、2002年(平成14年)東京の旧・住友家麻布別邸跡地に分館が建てられた。住友コレクションとしては3,500点ほどあるそうだが東京では常設展示はないとあった。

 

 次女の旦那さんが同グループの企業に勤務している関係で時々招待券を届けてくれる。これまで日本画家・木島櫻谷展、陶芸家・板谷波山展、漆器展などを鑑賞に行った。

 

 

 

 昨年7月にも訪れ「木島櫻谷」展を見たが、西洋画の技法や感覚を取り込んだ彼は、日本画の知識をほとんど持たない私のような素人にも、すっーと入ってくる水彩画のような山水画があることを教えてくれた。

 

 

 ・・・近代の京都画壇を代表する存在として近年再評価が進む日本画家・木島櫻谷(1877~1938)。動物画で名を馳せた彼ですが、生涯山水画を描き続けたことも見逃すことはできません。なによりも写生を重んじた彼は、日々大原や貴船など京都近郊に足を運び、また毎年数週間にわたる旅行で山海の景勝の写生を重ねました・・・その成果は、西洋画の空間感覚も取り入れた近代的で明澄な山水画を切り拓くこととなりました・・・(昨年7月の展覧会のパンフより)

 

 

 

 今回は多くのコレクションの中から 《「四季連作大屏風」と沁みる「生写し」》 と題して四季を描いた大屏風と動物画が展示してあった。その中からいくつかをご覧ください。

 

 

 

 ポスターにデザインされた四季。下から「柳桜図」「燕子花(カキツバタ)図」「菊花図」「雪中梅花」。

 

 

 

 

 ・・・絵葉書の「雪中梅花」。枝に積もる雪は絵の具が盛り上がり、まるで油絵と見間違う描き方だった。秋の「菊花図」の花びらも同様だった。

 

 

 

 

 

  ・・・唯一撮影が許されていた「燕子花(カキツバタ)図」の大屏風。

 

 

 

 

 ・・・9点あった動物画から「秋野孤鹿」の絵葉書を購入した。

 

 

 

 

 ところで、この日の目的はもう一つあった。鑑賞した後、帰りは駅の反対側にあたる東側の神谷町方面に出て散策することだった。

 

 

 

 ・・・ガラスに覆われたエレベーター数台に乗って上がってきた西側の六本木一丁目駅方面を見下ろす。下の写真は逆に駅側から見上げた階段状の泉ガーデン。旧・住友家麻布別邸跡地を再開発してできた街だ。

 

 

 

 

 

 

 ・・・泉屋博古館前にあるスウェーデン大使館脇から「泉ガーデン」をのぞむ。左右に伸びるこの道は江戸時代から ”尾根道” と呼ばれ、一帯には武家屋敷が広がり明治以降は緑豊かな大邸宅街だったらしい。

 

 

 

 

 ・・・神谷町方面にゆるやかに下る「城山ガーデン」脇の緑道。桜田通り近くまで約300m続いていた。

 

 

 

 

 

 ・・・新緑の中をブラブラ歩き、桜田通りにある地下鉄「神谷町」駅に着いた。すぐ北側には10年前に複合施設「虎ノ門ヒルズ」がオープンし、地下鉄日比谷線の駅も新設されている。

 

 

 神谷町から南側の東京タワー方面にゆっくり歩いた・・・観光客と思しき外国人が多い。すると右側に3棟の高層ビルが現れた。これが「麻布台ヒルズ」だった。

 

 

24日開業 「麻布台ヒルズ」 内覧レポ。東京タワーが見下ろせる超高層ビルやチームラボのミュージアムなどで構成される複合施設

 

 

 

 ・・・そういえば、ここも昔から話題になっていた再開発エリアで、確か長い時間をかけて昨年秋にオフィスビル・マンション・ホテル・店舗等の複合施設としてオープンした新しい街だ。

 

 

 

 実は先日、この「麻布台ヒルズ」の店舗が早くも苦戦しているといった内容の記事があった。

 


 現役の頃と違い、最近できたこうした洒落た新しい街が苦手になってきた私は「虎ノ門ヒルズ」にも行ったことはない。

 


 一人だったこともあり、この日も「麻布台ヒルズ」の中に入って散策する気分にはならなかった。

 

 

 

 20年位前にオープンした新橋の「汐留シオサイト」がビルテナントの流出で昼間人口が減り、その影響もあって店舗も苦戦していると伝えられて久しい。

 

 

 

 コロナ禍を契機にテレワーク等の普及で働き方や暮らし方も大きく変わり、加えて再開発された新しい街同士の競争もあって、今後の街作りは大変だなあ・・・と考えながら駅に引き返した私は、帰路につくことにした。

 

 

 「神谷町」駅から自宅のある柏への乗換駅である「上野」「北千住」に向かう日比谷線に乗った。

 

 

 路線図を見た。

 

 

 ・・・築地、八丁堀、茅場町、人形町、小伝馬町、仲御徒町、上野、入谷、三ノ輪、北千住

 

 

 なぜか、その下町エリアの駅名を眺めながら私はどこかホッとしていた。

 

 

 そして、途中の駅で降りて遅い昼めしに蕎麦でも食べようかと考えていた・・・

 

 

 

 ・・・今回立ち寄った蕎麦屋ではないがよく行く日暮里の蕎麦屋「川むら」。暑くなるとミョウガや大葉を細く刻んで載せた「香り蕎麦」が美味い。

 

 

 

 


 

 ・・・新しくできた街もあれば古い町も元気な東京


 ・・・新しいストリートもあれば懐かしい通りも残る東京


 ・・・上から見ると平らにみえても表情豊かな坂道の多い東京


 ・・・そして思ったより公園や緑の多い東京

 

 

 ・・・だから、もう50年近くウロウロしている私にとって、東京は飽きのこない好きな街なのだろう。