4月30日、ひとつの訃報が流れた。

 

 

詩画作家の星野富弘さん死去 78歳

 

 

 

 

 ここは星野さんの地元の地方紙「上毛新聞」の記事を転記しよう。

 

 

 ・・・群馬県みどり市出身の詩画作家、星野富弘さんが28日、死去した。78歳。手足の自由を失いながら、口に絵筆をくわえて詩画を描いた。四季の草花を題材とした絵に、命や人生、母子の絆などへの思いを添えた作品を多く生み出し、人々の感動を呼んだ。

 

 

 

 日々の生活はもちろん、詩画を描く時も奥様の力を借りて、あの美しい色合いが出るまで絵具を混ぜあわせながら制作をつづけた。

 

 

 

 

 星野さんは中学校の体育の新任教師として指導していた時、脊椎損傷の事故にあう。入院中にキリスト教の信仰を与えられる。奥様とも教会を通じて知り合い結婚した。

 

 

 

 私が彼のことを知ったのは1981年頃だった。東京・お茶の水のキリスト教書店で、彼の最初の作品集を手にした時だった。その美しい色の花の絵と、やわらかい温かい詩に惹きこまれ、それが絵筆を口にくわえて描かれたものと知りさらに驚いた。

 

 

 

 星野さんと私は同学年だから、同じ時代を生きてきた。

 

 

 私が民間企業のサラリーマンとして、気持ちに余裕のない生活をしている中で、時々開く彼の作品集には、私の慌ただしい生き方や行動、浅い考え方を少し引き戻し修正してくれる不思議な力があった。

 

 

 

( 私の本棚にあって、時々私を励まし慰め、導いてくれた星野さんの詩画集の数々。)

 

 

 

 ところで私はリタイアしてからこのブログで、2回星野さんのことを取り上げている。

 

 

 

 今日はその内、2016年4月23日に投稿した『タンポポの綿毛を見ると思い出す・・・「星野富弘さんの詩と絵」』を再投稿させてもらいました。よろしかったらぜひお読みください。

 

 

 

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『 タンポポの綿毛を見ると思い出す・・・「星野富弘さんの詩と絵」

 

 

 春も深まり初夏に近くなると、タンポポの花と、まん丸い白い綿毛が一緒に見られます。

 

 

 早めに咲いたタンポポは次の世代を残すために、種を飛ばす準備の真っ最中です。

 

 

 じっと見ていたら、吹いてきた暖かい春の風に乗って、綿毛が一本に一つずつぶら下げた種を持って巣立っていきました。

 

 


 


 


 

 この時期のこうしたタンポポの様子を見ていると、毎年思い出す詩と絵があります。


 

『 いつだったか きみたちが 空をとんでゆくのを見たよ

 

風に吹かれて ただひとつのものを持って旅する姿がうれしくてならなかったよ

 

人間だって どうしても必要なものはただひとつ

 

私も余分なものを捨てれば空がとべるような気がしたよ 』

 

 



 

 ご存じの方も多いと思いますが、これは星野富弘さんの絵と詩です。

 

 

 私が彼のことを知ったのはかなり早い時期でした。彼の最初の詩画集が出版された頃だったと思います。

 

 

 後記の略歴にある通り、中学校の体育教師になった彼は、不慮の事故で手足の自由を失います。10年近い入院生活の後、結婚し奥様はじめご家族の支援のもと、彼は筆を口にくわえて字の練習を始めました。そしてさらに花の絵を書き始め、それに詩が添えられていきます。


 

 入院中にキリスト教の信仰を持った彼に関する本や詩画集は、最初キリスト教書店に並びました。その頃私ははじめて彼の絵と詩に接し、大きな驚きを覚え励ましをもらった覚えがあります。30数年前でしょうか。


 

 その後、一般の書店にも並ぶようになり、これまで彼の絵と詩は多くの人を慰め励ましてきました。


 

 私は車の免許を48歳で取りましたが、免許を取ってすぐ一番行きたかった星野さんの故郷である群馬県の東村(現・みどり市)に向かいました。

 

 

 そこには星野さんの詩画を展示した美術館があったからです。現在は建て替えられましたが、当時はまだ古い建物だったと記憶しています。緑豊かな彼の故郷の景色に包まれてその美術館はありました。

 

 

 その中で、彼が口にくわえて運んだ筆の動きと、絵の具の香りが届きそうな絵と詩の原画に接し、大きな恵みと励ましをいただいたのを覚えています。

 



『 ・・・私も余分なものを捨てれば 空が飛べるような気がしたよ 』

 

 

 「あれも、これも・・・」 「あの人にも、この人にも・・・」「ここにも、あそこにも・・・」 よかれと思って、いろいろなものを追い掛け多くの人と接してきた69歳の自分をいま振り返ると、本当に大事なもの、どうしても必要なものはそんなに多くはなかったなあ・・・と教えられます。

 

 

 

 星野富弘さんとは同じ学年です。明日24日は彼の誕生日です。略歴を見ながら知りました。70歳、古希です。おめでとうございます。


 

 私は最後の職場だった社会福祉法人で、介護職員向けの「ストレスケア研修」資料を作成した時、この星野さんの「タンポポの詩画」を使わせてもらい、表紙にこう書きました。

 

・・・あなたのこころが、タンポポの綿毛のように、ふんわりと軽く解き放たれますように・・・

 

 

 

 

 

 

 平成18年には富弘美術館の姉妹館として、熊本県芦北町に「芦北町立・星野富弘美術館」ができました。芦北町は、先日震度5強を記録した八代市よりさらに南、鹿児島県寄りになりますが、これ以上熊本地震の被害が広がらないことを祈っています。



(星野富弘さんの紹介)

 

 昭和21年4月24日生まれ 県立桐生高校、さらに群馬大学教育学部を卒業後、高崎市内の中学校に体育教師として赴任。わずか2か月後、クラブ活動の指導中誤って墜落。以後手足の自由を失う。10年近い入院生活ののち不治のまま退院。昭和56年結婚。現在も詩人、画家として執筆中。

 

 星野さんの作品は外国でも展覧会が開催されています。最近は花だけでなく故郷の風景も多く描いておられます。

 

 

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( ご参考:2024年5月1日付け朝日新聞朝刊)

 

 

 

 

 最後に、私が大好きな作品のひとつである「日日草」の絵と詩を貼っておきます。

 

 

 

 

 

 ・・・星野富弘さん、長い間本当にありがとうございました。

 

 

 

 

(注)星野さんと奥さんの写真2枚は、ネットよりお借りしました。ありがとうございました。