3月22日(金)の朝7時50分、スマホにLINEが入った。

 

 

だた だつ! 

まくの

そはそ、そ

 

 

 私は、???マークとともに、「何かあったの?」と返信した。数分後、次の返信があった。

 

 

そ、なよおぁ!

 

 

 その8分後、上記LINEの相手から電話があったが、私がスマホから離れていて出られず “不在着信” となってしまった。直後、私は架け直したが出ない。すぐLINEトークに切り替えた。

 

 

 

先ほどは電話に出られずごめん。LINEの文字が乱れ、意味不明のひらがなが2回届きました。スマホの故障かと思いましたが、何かの原因で操作する指先か、どこかに支障が出ているのではと心配しています。倒れて動けないのではと・・・

 

 

 

 そして再び電話を架けた。

 

 

 出た!

 

 

 しかし、こちらの呼びかけに、「ううう、ううう・・・ と唸るような絞り出したような声しか届かない。何か一生懸命伝えようとしているのはわかるのだが、まったく聞き取れない。

 

 

 

 

 

 

 ・・・まだ、LINEと電話の相手のことを書いていなかった。

 

 

 

 その相手は、東京都内のK市に住む高校時代からの親友M君で、前日の21日、私は彼に下記LINEを送信していた。

 

 

 

M君、Fさん、その後いかがお過ごしですか。『3年4組花見会』明日12時開催です。お店集合でよろしくお願いします。満開の桜🌸🌸🌸には早すぎましたが、楽しく話に花🌷🌺🌹を咲かせましょう。Fさんお手数ですが、T君にも転送してください。楽しみにしています

 

 

 高校時代の仲間を誘った花見会の最終案内を前日送ったのだ。返信をお願いした訳ではなかったが、いつもならすぐ返信をくれるM君から夜になっても反応がない。

 

 

 

 何かおかしい・・・と思った私は、夜10時にもう一度LINEを送った。

 

 

返信をお願いした訳ではありませんが、明日、大丈夫ですか? 体調でも崩されたかな? と気になっています

 

 

 

 そして翌朝、M君から送られてきたのが、冒頭の意味不明のひらがなが並んだ文面だった。

 

 

 

 LINEの文面、そしてなによりあの絞り出すような電話口での声・・・私は、M君が自宅で倒れ苦しんでいるのだと思った。

 

 

 

 一昨年奥様に先立たれたM君は、長女さんと一緒に暮らしている。働いている娘さんが出勤された後、倒れたのでは・・・と、私は勝手に考えてしまった。

 

 

 

 日中、彼はいわゆる ”独居老人” だったのだ。

 

 

 

 ところで、ゴルフ好きのM君はまだ月一でプレーしているし、先月は自分で運転し浜松市に住む次女さん家族を訪ねている。日頃の暮らしぶりをみていると私よりも元気で活発だった。

 

 

 しかし我々の年齢はともに77歳。見た目は元気でも、突然体調に何か変化があっても不思議ではない齢になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、私は110番して警察に彼の自宅を訪問してもらおう!! とバタバタし始めた。

 

 

 しかし、彼の住所が手元になかった。今年の年賀状を取り出してきたが、K市としか書いていない。過去の年賀状を取り出してきて探したら、奥様を亡くした年の「喪中欠礼はがき」が出てきた。住所が載っていた。

 

 

 

 彼の住む東京の警視庁に電話しないといけないのか・・・と一瞬迷ったが、すぐただの「110番」にかけた。千葉県警察が「事故ですか? 事件ですか?」とすぐ出てくれて、冷静に話を聞いてくれた。私は自分の住所氏名を名乗り、M君との関係、110番した事情と経緯を伝え、M君の様子を話した。

 

 

 

 担当者の反応は早かった。「警視庁にこのままつなぎますので、もう一度説明してあげてください」

 

 

 

 しばらくそのまま待っていると、M君が住むK市の警察署につながった。事情と経緯を説明した。K市の警察署の担当者も簡潔に対応してくれた。

 

 

 

 「わかりました。自宅を訪問してみます。結果は改めて電話を差し上げます。しばらくお待ちください。」

 

 

 

 私は、M君に警察に依頼して自宅を訪問してくれることになった旨、LINEで伝えたが、玄関が施錠されていたらどうなるのだろう・・・と気をもんでいた。M君は動かない方がいい状態かもしれないし・・・

 

 

 

 40分ほど経って、K市の警察署から電話があった。

 

 

 「Mさんは市内のK病院に入院されています。玄関が施錠されて反応が無かったので、届け出ておられた『緊急連絡先』に電話を差し上げました。そちらからその旨説明がありました。ご了解を得て連絡をしました

 

 

 

 私は、その説明を聞いて、ただただ「よかった!」と思った。肩の力が抜けた。

 

 

 M君は病院のベッドの上で、必死にLINEを送るために文面を作っていたのだ。

 

 

 

 私は彼にさっそくLINEを送った。

 

 

 「先ほどK市の警察署から連絡がありました。K病院に入院されていたとのこと。ひとまず安心しました。大変でしたね・・・・

 

 

 

 22日の花見会は当然のことながら中止した。私はその後、彼の異変を伝えていた花見会の参加予定者や共通の友人たちに、M君は入院していたことを知らせた。喜んだ仲間から「よかった! ひとまず安心したよ」と返信があった。

 

 

 

 しかし、彼の病状について私は何もわかっていなかった。

 

 

 スマホを操作しようとしているのだから重い症状ではないだろう・・・と前向きに考えたかった。しかし、私たちはもう77歳の立派な後期高齢者、そうした楽観的な観測はすぐに消え、気になって仕方がなかった。

 

 

 

 すると翌23日の夕方、スマホの発信者名にM君の名前が表示され、女性の声で「香椎さんですか? 父がいつもお世話になっています」と電話があった。すぐ娘さんだとわかった。

 

 

 

 娘さんは、3月18日(月)に脳内出血で入院したこと、命に別条はないこと、出血した血液が言語機能の部分を圧縮した影響で今は言葉を話せないこと、しかし出血した血液が排除されていけば徐々に機能が回復すること、そして今でもLINEを読んだりすることはできること・・・を教えてくれた。

 

 

 

 娘さんは「父に代わります」といった。

 

 

 

 M君が電話口に出た。


 私はただ「よかった! よかった!」と繰り返すだけであとは言葉にならなかった。私の耳にはM君が「うん、うん」といっているのが聞こえた。間違いなく「うん、うん」とM君は言った。

 

 

 

 私は最後に「先生と娘さんの言うことをよく聞いて、リハビリ頑張ってね」と伝えたが、返事は聞き取れなかった。

 

 

 

 娘さんから質問があった。

 

 

 「どうしてK病院に入院していることをお知りになったのですか?」 

 

 

 「私の勝手な早とちりで警察署にお願いし、自宅を訪問してもらいました。その後、警察署から入院されていることを伺いました」と、お詫びかたがた昨日からの経緯を説明した。

 

 

 娘さんから「やはり、そうでしたか。22日は皆さんで花見会が予定されていたのですね。知りませんでした。クラスの皆さんになにとぞよろしくお伝えください」と伝言があった。

 

 

 

( 私たちの母校・鹿児島県立加治木高校の正門 )

 

 

 

 ・・・今回、22日から翌日にかけてのM君に関する出来事を通して、いろいろ考えさせられた。

 

 

 ・・・昔は友人知人の住所は手帳等の住所録で管理していたが、はがきや手紙を出すことも少なくなり、住所を必要とするシーンが本当に減ってきた。住所が知りたい時にはその都度聞けば済むといえば済むのだが、今回のような場面では本人に聞くこともできない。

 

 

 ・・・実は22日の夜、病状をお伺いしたくM君の自宅電話にかけてみたが、娘さんは出なかった。まだ帰宅前だったのか、病院だったのかわからなかったが仕方がない。我が家でも固定電話にかかってくる電話は、詐欺や勧誘、不在確認などを想定し警戒して出る。すでに私も友人知人との連絡はスマホだけだ。難しいイヤな時代になってきた。

 

 

 ・・・私は、今回人生でおそらく初めて110番した。警察署の対応の冷静さ、素早さ、そして丁寧さを初めて実感し、こころから感謝した。

 

 

 ・・・加えてそんな制度があるのかと思ったのが、高齢者の「緊急連絡先」の登録制度だ。市に登録するのか警察署に登録するのか知らないが、緊急連絡を必要とするリスクが多い高齢者にとってはありがたい仕組みだ。ちなみに、私は市役所や警察などの行政に登録した覚えはない。

 

 

 

( 母校のグランド。後方の特徴ある尖った山は蔵王岳 )

 

 

 

 

 ところで、この2日間のやり取りの中で、ホッとするような出来事があった。

 

 

 花見会を一緒に楽しむはずだったFさんが、M君が入院した病院の名前を聞いて、「もしかしたら、私たちの先輩でK病院というのを東京の郊外でやっている方がいらっしゃる。その方の病院かも・・・」と、LINEをしてきた。

 

 

 Fさんは高校の同窓会幹事を長い間やっていたので、名簿作業などもしていたのか記憶にあったようだ。

 

 

 しばらくして同窓会名簿の写真を送ってきた。なんと昭和24年卒のところに、K病院のKさんの名前が掲載されていた。私たちの16年先輩だった。すでに90歳を超えておられるから現役ではないかもしれない。

 

 

 M君は同じK市在住だから、もともと ”掛かりつけ” の病院で、面識があったのかもしれない。今後彼は、高校の大先輩が開院された病院で治療とリハビリに励む訳だ。

 

 

 どこかホッとするFさんからの情報だった。

 

 

 

 M君が倒れたことを知ってから、1週間が過ぎようとしている。

 


 

 私は、M君の早い回復を祈りながら、やり直しの「花見会」を夏か秋ごろやれるかなあ・・・とボンヤリ考えていた。

 

 

 

 最後に、数か月前のこのブログで、この年齢になるといつどんなことが身体に起きても受け入れざるを得ない・・・と書いたが、自分の大切な人、親しい人がそういう状況になったと聞くと、なかなか素直に受け入れられない。

 

 

 やはり、倒れる前の状態に完全に戻るのは無理かもしれないが、また一緒に少しだけの酒を酌み交わしながら昔話をしたり、若い頃流行った歌を一緒に楽しむことができるかなあ・・・と考えていたこの1週間だった。

 

 

 

( M君の実家近くにある鹿児島県霧島市の城山公園の桜。霧島市国分の街にはM君とよく行った居酒屋がある。焼き鳥も鳥刺しもうまい店だ。もう一度その店で、M君との時間を持ちたい・・・)

 

 

 

 

(ご参考)今日のブログに登場したM君の53年前の思い出を、昨年11月の下記ブログで紹介しました。枠内をクリックすれば開いてお読みいただけます。

 

 

 

 

(注)母校の写真以外はすべて、ネットよりお借りしました。ありがとうございました。

 

 

 

( 私たちの故郷・鹿児島県霧島市にある霧島神宮の桜 )