2月9日付けの朝日新聞「耕論」に取り上げられたテーマ『「世代論」を問い直す』が面白かった。

 

 

 

 この「耕論」は、最近論争になっているテーマを取り上げ、複数の識者の意見や対談を紹介している。今回のテーマでは、文筆家・長山靖生さんの意見が分かりやすく面白かったので紹介したい。

 

 

 “・・・その後、「大正生まれ世代」「昭和一桁世代」「焼け跡世代」「団塊の世代」「シラケ世代」「バブル世代」「氷河期世代」「ゆとり世代」「Z世代」といった呼び方とともに、世代が区切られました”

 

 

 (注)以下、文字サイズ「S」の茶色の文章は、長山さんの意見からの転記です・・・いつも思うのだが、この「世代」の名付け方は切り口がバラバラで統一性が全く無い。時代そのものの名前だったり、外見上の名前をそのまま被せたり、はたまた海外で呼ばれていた名前の変形だったり・・・名付け親がバラバラだから仕方ないのだが・・

 

 

 

 

 

 

 ところで、長山さんは歯科医の傍ら文筆活動をしている方である。そうした彼の著書に「『世代』の正体 なぜ日本人は世代論が好きなのか」がある。

 

 

 あなたは「世代論」は好きですか?

 

 

 

 確かに長山さんが指摘しているように、「世代」という言葉は、表面的には若い方にとってはあまり快い響きではない。

 

 

 ”・・・常に先行世代から「今どきの若者は・・・」という指摘の形で顕在化し、世代論は若者論の形で現れます。一方で、当事者からは先輩世代からの「決めつけ」に対しての反発もでる・・・”

 

 

 

 自分が生まれた当時の社会情勢や生活環境、そして義務教育の教育方針等自分ではコントロールできない要因で、自分たちの世代を勝手に評価され、ある一定の色付けをされる・・・そして、その色の付いたメガネを通してジロジロ見られる・・・この「〇〇世代」という考え方は、当事者にとってはあまり気分のいいものではない。

 

 

 

( 2024年2月9日付け 朝日新聞「耕論」より)

 

 

 

 さて、私は1947年(昭和22年)生れだから、世代論でいえばまさに「団塊の世代」の初年度にあたる。

 

 

 この「団塊の世代」は、第2次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)の3年間に生まれた世代で合計806万人にも上る。

 

 

 2020年(令和2年)~2022年(令和4年)の3年間の出生数合計が240万人くらいだから、直近の3年分の出生数合計が当時の1年分だったということだ。その塊りがいかに大きかったかよく分かる。

 

 

( 2020年の我が国の人口ピラミッド。4年前のデータだから私は73歳の中のひとりだ。)

 

 

 

 “塊り”というくらいだから、とにかく同世代の人数が多かった。その真っ只中にいた若い頃はほとんど感じなかったが、人生をほぼ歩き終えようとする今、同世代が多かったことを振り返ると間違いなく「良かった」と思えることの方が多い。

 

 

 まず同じ時代の空気を吸って一緒に成長してきた仲間が多いということは、楽しいことだったし、なんとなく安心感があった。

 

 

 人数が多いということは、長山さんが書いているように様々な商品やサービスが追っかけてくれるから、時代の中心から外れることが無かった。

 

 

 それは高齢者になってからも続いており、音楽や映画などのエンターテインメント分野、旅行商品などでは我々世代向けのCMが今も溢れている。いつまでも追っかけてくれているのだ。

 

 

 “・・・戦後は特に「若さ」に価値が置かれる時代になりました。テレビの普及を背景に、流行を作り出し、それが商品の購買にもつながる。そのため、商業的、マーケティング的に「世代」が重宝され、若者の研究も盛んになりました”

 

 

 

 もちろん人数が多いということは、“競争” が激しいということでもある。しかし進学、就職、結婚、出世・・・といった場面でも、時代が高度成長期に重なり、世の中が拡大の一途をたどっていたから受け皿やチャンスも多かった。だからそれほど “競争” ということは私は意識しなかった。

 

 

 

 時代は変わり、「団塊の世代」である私たち夫婦の娘2人は「氷河期世代」である。そしてその子どもたち、すなわち私たちの孫たちは「Z世代」と呼ばれる世代である。

 

 

 

 娘たちは、自分の親たちやその上の世代が起こしたバブル崩壊の余波を受けて就職で大苦戦した。そして、孫たちは生まれた時からインターネット環境があって、新聞やテレビではなくWebメディアからの情報収集が当たり前となっている。

 

 

 だから我が家が全員集まる新年会などでは、なかなか興味深いやり取りが見られる。

 

 

( 「世代」の分け方や名付け方はいろいろある。今日はそれぞれの意味については触れない。)

 

 

 

 ところで、長山さんの話の中に次のような下りがある。

 

 

 “・・・身分や信仰、人種などが年齢以上に人々を断絶している社会では、世代は大きな意味を持ちません”

 

 

 確かに身分、信仰、人種といった要素だけで人々が区別されている社会では世代は意味はなく、大人も子どもも、どの身分か・どの信仰か・どの人種かで一括りにされ扱われてきたし、今もそうした社会や国家はある。

 

 

 

 あまり「世代論」に大きな関心のなかった私は、この部分を読んで実はハッとした。

 

 

 私が「世代論」に関心があまりなかったのは、若い頃から聖書を読み教会に通っていたこともあり、人間を世代で見るのではなく、時代や空間を越えて人類を一括りにして、「罪人」「救いの対象」として扱う聖書の人間観を自分の人間観にしているからだと今回気付かされた。

 

 

 

 ところで、この「耕論」の担当者は、記事の冒頭でこう問いかけています。

 

 

 “ネット社会で育った「Z世代」が注目される一方、好みや価値観における世代間の差が消えつつあるとの調査結果も発表された。多様化が叫ばれる時代、「世代論」を問い直したい”

 

 

 

 その調査結果とは、「消齢化(しょうれいか)」というキーワードで昨年発表された博報堂の調査です。

 

 

 ご関心のある方は少しまとめてみましたのでご覧ください。

 

 

 「消齢化」とは、生活者の意識や好み、価値観の年齢による違いが小さくなっている現象に付けられた名前です。

 

 博報堂生活総合研究所が1992年から行ってきた30年に及ぶ長期時系列調査「生活定点」の膨大なデータから発見され、集英社の新書『消齢化社会 年齢による違いが消えていく! 生き方、社会、ビジネスの未来予測』にまめられている。30年に及ぶ調査というのは説得力がある。

 

 今、ビジネスの場でも年代ごとにターゲットを設定したものの効果が見えづらくなっているという。具体的には、好みの食事が年代ごとにそれほど違いがなくなりつつある、ワークライフバランスやジェンダー平等といった考え方でも若年層と高齢層の意識の差が縮まっている・・・若い人には、ファッションやカラオケで選ぶ歌、映像・映画でも上の年代のモノだといった感覚はなく、いいモノ、面白いモノと感じたら受け入れる傾向があるらしい。

 

 また、人口減少の流れの中で総量は減っても、年齢で価値観に違いが小さくなれば大きな需要の塊りになるので、大ヒット商品が生まれる可能性があるという。

 

 背景には、次のようなものがあげられている。

 ①戦前生まれの人口が減り戦後生まれの割合が増えることで、古い価値観が薄らいできた。 

 ②シンプルにバイタリティのある元気な高齢者が増えてきた。

 ③かつて世代ごとに趣味が分断されていた時代から、何歳になってもどんな趣味を持っていてもいいという時代になってきた・・・

 

 ・・・結果として人を年齢で縛っていた “いい年をして” とか ”年相応の” とか ”適齢期” といった言葉が死語になっていく・・・

 

 

 

 

 

 この調査結果を受けて、長山さんは「大変な世の中になってしまった・・・」と懸念する。その部分を読んでもらいましょう。

 

 

 “・・・けれど、平成以降は経済が停滞。「親ガチャ」という言葉に象徴されるように、世代による違いより、それぞれが生まれた環境による差の方が大きくなったのではないでしょうか”

 

 “趣味も含め、知識や興味の持ちようが世代ではなく価値観で分かれ、それが経済的な格差と絡んでいるとしたら、危険でもある。違う価値観が交わらないと社会が進むチャンスを失いかねない。大変な世の中になってしまったと感じています”

 

 

 

 確かに、年齢による価値観の違いが小さくなるということはいいことだと思いますが、経済的な格差が理由で ”価値観が交わらない、分断される” ことは残念なことです。

 

 

 

 読者の皆さんも、「世代論」の好き嫌いにかかわらず、商業的にあるいはマーケティング的に誰かが勝手に名付けた「世代」のどこかに位置付けられています。

 

 

 

 新聞記事の短い紹介でしたが、どのように感じられましたか?

 

 

 

 ところで、あまりこの「世代論」に関心がなかった私が、ひとつだけ気になっている世代がある。

 

 

 それは「氷河期世代」だ。

 

 

 自分の子どもたちがその世代にあたること、その世代にあって苦しみいろいろな夢を諦めた部下と一緒に仕事をしたことがある・・・等がその理由だ。

 

 

 

 そうした中、私の次女と同じ1976年(昭和51年)生れのある「氷河期世代」の男性が書いた文庫本を先日読んだ。この本を送ってくれた次女の旦那さんも、おなじ「氷河期世代」だ。

 

 

 その本の名は 『あしたから出版社』 著者 島田潤一郎。

 

 

 ・・・島田さんは就職活動8か月の間に、50社から断りのメールをもらったと本の中に書いている。

 

 

 

 

 

 

 いつになるか分かりませんが、この島田さんの本の感想も投稿したいと思っています。

 

 

 

(注)本の表紙と新聞記事以外の写真は、ネットよりお借りしました。ありがとうございました。

 

 

 

 ・・・2月14日(水曜日)18時33分頃に、故郷・鹿児島の桜島が噴火し5000メートルまで噴煙が上がった。ちなみに桜島の高さは1117m。ここまで噴煙の上がる噴火は2020年8月以来とのこと。写真はKさんが姶良市加治木港で撮影しfacebookに投稿されたもの。