先週から今週にかけて、「あの頃の喫茶店だ・・・ああ、懐かしいなあ」と思わせる出来事がふたつあった。

 

 

 

 まず、先週Amazonから届いた石垣りんさんのエッセイ集「朝のあかり」の短編「雨と言葉」の最後に次の描写があった。

 

 

 ・・・いちにちの勤めを終え、立ち寄った喫茶店で、たたんだ傘をテーブルに立てかけ、コーヒーをくださいとたのんだら、ウェートレスに「もう雨はやみましたか?」とたずねられた。この人は朝来たまま空を見ていないのだ。私の耳の中で、言葉がやさしく濡れてきた。

 

 

 

 おそらく今から60年ほど昔の昭和40年前後の描写だろう。

 

 

 東京・丸の内にあったN銀行本店の事務職員として、14歳だった1934年(昭和9年)から1975年(昭和50年)まで働いた石垣さん。このエッセイ集にはときどき「喫茶店」が登場する。彼女の場合、「喫茶店」は一日の仕事を終えてホッと一息つく場であり、今でいうオンからオフに切り替える場所として描かれている。

 

 

 

 まだ銀行が土曜日も半日営業していた頃、土曜の退社後、すぐ近くの旧丸ビルを散歩するのが彼女の習性だったようだ。丸善や冨山房等の書店、和紙店のはいばら、陶器店等を散策した後、「喫茶店・ヴォアラ」でコーヒーを飲みながら本を読む・・・

 

 

 

 彼女が退職して3年後の1978年(昭和53年)に私は東京に転勤になり、彼女が勤務していたN銀行のすぐ近くにあったS銀行東京本部で働き始めた。まだ週休二日制は導入されておらず、たまたま早く帰れた土曜の午後など、ひと駅隣の神保町辺りで似たような時間の過ごし方をした思い出が鮮やかによみがえった。

 

 

 

 

(福岡市中央区六本松の「珈琲 ひいらぎ」 数回しか行ったことはないが、店主との会話が楽しかった。) 

 

 

 

 

 もうひとつは、日曜日だったかテレビの懐メロ番組を聞くともなしにつけていたら、松山千春さんの「ふるさと」という曲が流れていた。

 

 

♪喫茶店でほほづえついて 誰か待つよなふりをして

 タバコの煙目にしみただけ こぼれる涙ぬぐおうともせず

 いなか者とは悟られぬ様 3杯目の珈琲頼んだ・・・

  『ふるさと』歌・松山千春 1981年(昭和56年)松山千春作詞・作曲 

 

 

 彼の代表曲は知っているが、この曲は知らなかった。

 

 

 その歌詞は物語になっていた・・・

 

 数年前だろうか、田舎から出てきたもののなかなか夢に近づけない若者が、郷愁にかられつつ珈琲を飲んでいる・・・喫茶店を出て電車に乗りアパートに帰る道すがら、窓から漏れてくる一家だんらんの笑い声を聞いた。故郷の両親の声を聞きたくなって公衆電話を探す・・・両親に「帰りたい」ともいえず、「それじゃ、また」と言って電話を切る・・・

 

 

 

 同じ田舎者ながら私には上記の歌詞のような経験はない。学生時代は「喫茶店」に行く経済的余裕すらなかった。全国チェーンのカフェがまだなかった時代、個人経営の「喫茶店」が登場するヒット曲はたくさんあった。その中では店主やマスター、親友、あるいは声を掛けることすらできず遠くから見ていただけの憧れの人との出会いがあった・・・

 

 

 

♪古くから学生の街だった 数々の青春を知っていた・・・・・

 そんな話をしてくれる コーヒーショップのマスターも

 今はフォークのギターを弾いて 時の流れを見つめてる・・・

  『コーヒーショップで』歌・あべ静江 1973年(昭和48年)阿久悠作詞・三木たかし作曲

 

 

♪君とよくこの店に来たものさ 訳もなくお茶を飲み話したよ

 学生でにぎやかなこの店の 片隅で聴いていたボブ・ディラン・・・

  『学生街の喫茶店』歌・GARO 1972年(昭和47年)山上路夫作詞・すぎやまこういち作曲

 

 

 

( 現在の福岡市博多区綱場町にあった音楽喫茶「シャコンヌ」。結婚前に妻とよく通ったが、今はもうない。)

 

 

 

 私は特に「喫茶店」や「珈琲」について詳しい訳でもないが、5年前に自身の50年間の喫茶店遍歴をこのブログに投稿している。

 

 

 いま読み返してみると、転勤・転居が多かったせいもあり、全国各地の行く先々で訪れた喫茶店やコーヒーショップの思い出が、人生の節々のエピソードと強く結びついていることを改めて教えられる。

 

 

 

 そのブログを下に添付しましたのでよろしかったらお読みください。(枠内をクリックしたら開いてお読みいただけます。上記の「ひいらぎ」「シャコンヌ」も登場します。) 

 

( 2019年2月14日付け投稿 『香椎はやと、50年間の「喫茶店」遍歴を振り返る。』)

 

 

 

 

 さて、2週間ほど風邪気味でウォーキングも中止していたが、ようやく症状も無くなってきたので近くの公園に出掛けた。そして、その足で歩いて数分の「星乃珈琲店」に向かった。2週間くらい街中に出掛けていなかったので、外の空気を吸いたくなっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 月曜日の午後ということもあり店は空いていた。ペット同伴でも座れる広いスペースの席を選んだ。

 

 

 

 私は遅いランチとしてパスタとコーヒーを頼んで食べ、持ってきた本を読み始めた。

 

 

 

 前方の席では、同年配と思われるご夫婦がランチをとっていた。ご主人はスポーツ新聞を読みながら奥さんの食事が終わるのを待っている。しばらくして店員を呼び、お替りのコーヒーとパンケーキを二つずつ注文する声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 同年配のご夫婦に旺盛な食欲を見せられたことで、私も刺激を受けた。

 

 

 

 甘いものも好きな私は、メニューを再び手に取ってデザートのページを開いた。前の席のご夫婦に ”負けじ” と、私はお替りのコーヒーとケーキを注文した。2週間ぶりの喫茶店だった私は、少し欲張ってパスタとケーキとコーヒー2杯をいただいた訳だ。

 

 

 

 

 

 

 「星乃珈琲店」は、昔の個人経営の「喫茶店」とは異なる全国チェーンの店だ。ただセルフサービスではなく、水も珈琲も席まで運んでくれる・・・新聞は全国紙やスポーツ新聞を、そして週刊誌も2誌置いてある。昔の「喫茶店」の雰囲気を少しだけ味わえる。

 

 

 

 ところで、私のウォーキングコースには昔ながらの「喫茶店」が2、3店あるのだが、なぜか一店を除き利用したことはない。あまり繁盛していないので入りにくいのだ。

 

 

 

 私がウォーキング中に一番多く利用するのは、このブログでも時々取り上げる障がい児・者支援の社会福祉法人が運営する「ブルーム・カフェ」だ。ここは営利目的の店ではない。本格的な珈琲等飲み物の単価は安く、就労支援事業所で作られ販売しているクッキーも美味しい。

 

 

(地域の交流スペースでもある「ブルーム・カフェ」には、小さな図書館も併設されている。)

 

 

 

 ここの一番の売りは、店を仕切る職員のHさんの存在だろう。

 

 

 ”店主” でも ”マスター” でもない彼が、昔のそうした役回りを見事に果たし、このカフェを居心地の良い空間にしている。

 

 

 

 

 

 

 ・・・76歳のじいさんが、昔の「喫茶店」という空間への郷愁を書いてきたが、今の若い人たちも、彼らなりにお洒落なカフェや全国チェーンのコーヒーショップ、ファミレス等への思いや郷愁を持っているのだろう。

 

 

 

 そうした店を、私も時々利用するのだが、大半の店のスタッフは忙しそうに働いていて、店のスタッフと客の間のさり気ない会話などはほとんど聞こえない。

 

 

 

 飲食店で働く人の採用難が言われて久しいが、昔はなぜ、あれだけのスタッフをそろえて心地よい穏やかな接客ができていたのだろう・・・と、ふと考えることがある。

 

 

 

 人件費や諸経費を抑えて儲けを拡大しようとはせず、多店舗展開や大きな店舗にすることなど考えもせず・・・ひたすら目の前の客が豊かな珈琲の香りの中で、ゆっくり過ごせる時間と空間を提供しようとしていただけだったのだろうか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

(注)「星乃珈琲店」内部と「ブルーム・カフェ」の写真以外は、ネットよりお借りしました。ありがとうございました。