「せつない」という言葉がある。
辞書を見ると「悲しみや孤独に胸を締めつけられるような気持である」とある。
他の解説には「悲しさや恋しさで胸がしめつけられるようである・やりきれない・やるせない」とある。
私自身はほとんど使うことのなかった言葉である。
それは ”悲しみ・孤独・恋しさ” といった「せつない」という感情を引き起こす状況に追い込まれた経験が少なかった・・・ということかもしれない。
その状況が私にとって必ずしも幸福だったという訳ではなく、そうした状況への感度が鈍かった、あるいは「せつない」という繊細な言葉を自分のものとして使い慣れていなかったということかもしれない。
そうしたなか、12月26日付け朝日新聞朝刊コラムの「折々のことば」の中で、「せつない」という言葉の使い方を、ある詩人に教えてもらった。
(石垣りんさん)
・・・それではその言葉が掲載された「折々のことば」を転記しよう。
せつない、ということばの重みは、心の中のどの部分に寄りかかろうとするのでしょうか。 石垣りん
私は、この言葉を書かれた詩人「石垣りん」さんのお名前だけは存じていたが、詳しい経歴は知らなかった。Wikipediaによると・・・
石垣りんさん(1920年・大正9年~2004年・平成16年 84歳没)は、日本の詩人。東京生れ。1934年赤坂高等小学校を卒業し、14歳で日本興業銀行に事務見習いとして就職。以来1975年の定年まで勤務し家族の生活を支えた。はじめ、少女雑誌に詩を投稿し1938年仲間と同人誌「断層」を創刊。銀行員として働きながら詩を次々と発表。第19回H氏賞、第12回田村俊子賞、第4回地球賞受賞。
家族6人の生活を銀行員として独り支えてきた詩人。入院中の叔父を見舞い心ばかりの金を手渡した時、「せつないのぉ」と叔母が言った・・・
ここまで読んで、私は「せつない」という言葉の意味をスマホで検索した。私がこの言葉の真の意味や使い方、使う場面を知らなかったということだ。「ああ、こういう場面で使うのか・・・」と教えられた。
その時の石垣さんの年齢は分からないが、家族6人の生活を支えて頑張っている姪から、心ばかりとはいえ病気の見舞金をもらう・・・
その姪の境遇や気持ちへなのか、はたまた、そうした姪の気持ちやお金を受け取る自分の境遇への思いなのか・・・それが「せつないのぉ」という言葉になって叔母の口から出てきたのだろう。
それだけになお「せつなさ」が伝わってくる。
わずかこれだけの文字の中から、石垣さんと叔父さん夫婦とのやり取りやその場の雰囲気が手に取るように伝わってくる。
・・・いろいろな感情が押し寄せ、錯綜する中、「納められる税金を『せつなく』受け取って、大事に使ってくれる施政者はいないのでしょうねえ」と呟く。随想「せつなさ」(『朝のあかり』所収)から
( この言葉が書かれた随想『せつなさ』が所収された、石垣りんエッセイ集「朝のあかり」)
この部分を読み、この言葉の紹介者でありコラムを書いている哲学者・鷲田清一さんが、このタイミングで石垣りんさんの言葉「せつなさ」を取り上げたのはなぜだろうと思った。
このタイミングとは、現在の岸田内閣のもとで物価上昇を含む国民負担の急増などにより、国民の生活が逼迫している今である。
石垣さんが叔父さんを見舞ったのは何年頃か分からないが、1975年(昭和50年)に銀行を定年退職しているから、昭和30年、40年代のことだろうか。そうすると今から50年、60年前も、国民は国からの重税等の負担を強いられ、苦しい生活の中にあったということだろう。
加えて今、政府や国会を牛耳る与党・自民党、いわば広義の ”施政者” のカネまみれの現状は悲しいことである。
国民は1円たりとも税金の未納を見逃されることはないのに、まるで無法地帯のように隠匿、課税逃れ、訴追逃れがまかり通る国会議員という特権階級・・・
『納められる税金を『せつなく』受け取って・・・』くれる施政者なら大事に使うはずである。
”悲しみに胸を締めつけられるような、やるせない、やりきれない気持” で、国民が働いた代価として稼いだ限りある収入の中から、国に納めるおカネ、すなわち税金を受け取る ”施政者” は出てこないのか。
言いかえれば、石垣さんの叔母さんが絞り出した「せつないのぉ」といった気持で、国民が納める税金を受け取る ”施政者” はいないのか。
それを、石垣りんさんも、鷲田清一さんも、今、問うているのではないだろうか。
(注)新聞記事以外の写真はネットよりお借りしました。ありがとうございました。
・・・鹿児島県の開聞岳とその麓に咲く菜の花。facebookへの最近の投稿よりお借りしました。