(私の故郷・鹿児島の錦江湾に昇る朝日。)

 

 

・・・今年最初の投稿は1月6日に読んだある言葉と、元旦から10日間の出来事を並べながら感じた思いを書きました。

 

 

 

光は快く、太陽を見るのは目に心地よい。

 

 

 元旦の朝、天気の良かった地方では初日の出をご覧になった方も多いことでしょう。私の自宅のすぐ近くにある柏市立の公園でも、多くの人が初日の出を見るために集まっていた・・・とfacebookに投稿がありました。

 

 確かに太陽を見上げたり、その光、とりわけ朝日を浴びることは心地よいものです。

 

 

 

人が多くの年月を生きるなら これらすべてを喜ぶがよい。

 

 

 前年は大変なこともいろいろあったけれども、新しい年を迎えられたことを喜び、また新しい一年も元気で暮せるように正月には願うものです。

 

 

 

しかし、闇の日が多いことも思い起こすがよい。

やって来るものはすべて空である。

 

 

 この言葉の書き手が書いていることが、元旦の夕方4時6分、能登半島を中心とした日本海側での地震で現実になりました。

 

 そして、それから丸1日経った1月2日の夕方6時前には、今度は羽田空港で戦慄の走る航空機事故が発生しました。

 

 

 

若者よ、あなたの若さを喜べ。

若き日にあなたの心を楽しませよ。

心に適う道を あなたの目に映るとおりに歩め。

だが、これらすべてについて 神があなたを裁かれると知っておけ。

 

 

 今年の新成人のうち20歳は117万人らしい。戦後すぐに生まれ「団塊世代」と呼ばれた私たち世代のほぼ半分の人数になったが、自身の若さを喜び楽しみつつも、自分で選んだ道を責任を持って邁進してほしい。

 

 

 

あなたの心から悩みを取り去り あなたの体から痛みを取り除け。

若さも青春も空だからである。

 

若き日に、あなたの造り主を心に刻め。

災いの日々がやって来て 「私には喜びがない」というよわいに近づかないうちに。

 

 

 

 さらに私には1月2日、個人的な悲しいことがあった。

 

 夕方4時46分に姪からLINEで「・・・先ほど母は静かに息を引き取りました」と連絡があった。私たち夫婦は、羽田空港の事故のニュースが車内に流れ続けるタクシーに乗って市川市に急いだ。 

 

 姪のいう母とは市川市に住む次兄の妻、すなわち私たちの義姉だ。79歳だった。病気が見つかってからわずか2か月で逝ってしまった。

 

 45年前の1978年(昭和53年)、私たち家族が初めて東京に転居してきた時から、いろいろお世話になった明るくて元気な義姉だった。私たちの子どもたちもまだ小さく、初めての東京で何かと不安な中で支えてもらった。

 

 

 

太陽と光、月と星が闇にならないうちに。

雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。

 

 

 

 ・・・さて、今年最初の投稿だったが、私はわざと言葉の詳しい出典を明かさずにここまで書いてきた。

 

 

 青色で表示した上の言葉は、じつは旧約聖書にある「コへレトの言葉」11章7節~12章2節からの引用だ。

 

 

 私が長年利用している日本聖書協会の「愛読こよみ」が、1月6日に掲載していた言葉だ。

 

 

 

 

 

 

 加えて6日の言葉は、18歳の頃読んでいた聖書の裏表紙に、好きな聖句として書いていた言葉を含む箇所だったからよけい心に残った。

 

 

 

 私が若い頃、聖書に書き込んだその聖句とは次の短い言葉です。 

 

 

 『汝の少き日に 汝の造り主をおぼえよ(伝道の書12章1節)

 

 注:「コヘレトの言葉」は以前、「伝道の書」あるいは「伝道者の書」という書名で聖書に掲載されていた。

 

 

(私が58年前に聖書の裏表紙の余白に書き込んだ聖句。)

 

 

 

 

 当時は文語体の聖書を使っていて、現在の若い方々には馴染みのない文体ですので、現在使っている口語体の「新改訳聖書」のその部分も転載しておきます。

 

 

『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に』(伝道者の書12章1節)

 

 

 

 

 

 

 18歳の時、聖書の余白に聖句「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」を文語体で書き留めた私にも、それから60年近くの時間が経過した。

 

 

 “「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に・・・” どころか、すでに一般的にそうした世代だと言われる年齢層のど真ん中で生かされている。

 

 

 今日取り上げたこの言葉への感想は、ひとそれぞれだろうと思います。皆さんはどう感じられましたか。

 

 

 

 ・・・私たち人間は、いくら科学を発展させ物質的に豊かになったように見えても、自然災害や自分たちに起因する大事故などに翻弄され、また国と国、民族間で絶えず争いごとを続けている・・・

 

 

 そうした中でも、聖書はなんの躊躇いもなく、「私たちには創造者がいる」と断言しています。

 

 

 

 

 

 ところで、この言葉が書かれている「コへレトの言葉」という書物は、旧・新約聖書あわせて66巻の書物の中でも、すこし異質にみえる書物です。

 

 

 また、例えばその中によく出てくる言葉「空」の意味ひとつとっても、原語は様々な広がりのある言葉で、なかなか解釈に苦労する書物ではあります。

 

 

 そういったことも含めこの書物にご関心のある方に、ちょうど3年前の正月に投稿した「コへレトの言葉」に関するブログを紹介します。ぜひご覧ください。

 

 

 投稿した時期はコロナ禍が始まって1年が経過した頃で、不気味な感染症はいつ終息するのかまったく見通せない暗く苦しい時期でした。 

 

 

2021年1月3日投稿 『混沌とした”今”だから響いてくる「コヘレトの言葉』(枠内をクリックすれば開いてお読み頂けます)

 

 

 

 

 新年最初の投稿にしては、少し深刻な話になってしまいました。申し訳ありません。

 

 

 今年3月には、このブログのタイトルを「77歳のつぶやき・ざれ言・ひとり言」に変えることになりますが、今年も引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

(注:聖書を除き、写真はネットやfacebookからお借りしました。ありがとうございました。)