100周年にして99回目の大学ラグビー伝統の一戦、早稲田対明治戦いわゆる ”早明戦” が、12月3日国立競技場で行われた。昨年に引き続き今年も明治が 58対38 で早稲田を倒した。

 

 

 早明戦を昔から観戦してきたオールドファンには、やや緊張感の薄い大味な試合でガッカリした方も多かっただろう。

 

 

 

 その翌日、ネット上で『早大ラグビー部 幻の寄せ書きが残っていた 1987年度大学日本一メンバー藤掛さん 寄付を検討』という見出しの産経新聞の記事を見つけた。

 

 

( 36年前の寄せ書きを掲げる藤掛三男さん。彼の学生時代の思い出を書いたブログをこの投稿の最後に添付しています。ご覧ください。)

 

 

 

 寄せ書きを見た。

 

 

 懐かしいメンバーが力強い黒々とした筆でその決意を書いている。

 

 

 1987年度の大学選手権決勝が行われた1988年(昭和63年)1月10日の前夜に書かれた寄せ書きである。

 

 

 早稲田はそのひと月前の12月6日、63回目の対抗戦となったあの ”雪の早明戦” で 10対7 で明治を下し、大学選手権に進んだ。専修、京都産業、大阪体育を下し、決勝は 19対10 で同志社に勝って11年ぶりの大学日本一となった。早稲田はその5日後に行われた日本選手権で 22対16 で社会人No.1の東芝府中をも下し日本一となっている。

 

 

 この日本一は、学生が日本一を勝ち取った最後である。

 

 

( 1987年12月6日 ”雪の早明戦”。ボールを捌く早稲田SH・1年生の堀越選手。)

 

 

 

 

  さて、寄せ書きには私のような古くからの早稲田ラグビーファンの方々には懐かしい名前が並ぶ。

 

 

 ここはしばらく郷愁に浸らせてもらおう。

 

 

( このブログのタイトル通り、今日はまさに「76歳のつぶやき・ざれ言・ひとり言」です。)

 

 

 寄せ書きの右上からその頃の選手たちの顔を思い浮かべながら、36年前の文字をなぞっていこう。(敬称略・カッコ内は学年と出身高校)

 

「かつ」PR永田隆憲主将(4・筑紫)、「スクラム」PR頓所明彦(4・巻)、「勝つ」LO篠原太郎(3・筑紫)、「殺す」No.8清宮克幸(2・茨田)、「タックル」WTB今泉清(1・大分舞鶴)、「死力」CTB今駒憲二(4・生田)、「激しく」CTB藤掛三男(1・佐野)、「平常心」FB加藤進一郎(4・久我山)、「頼む」HO? マチこと町島祐一(4・早大学院)、「気力」? 尾郷淳(4・福岡)、「集中」HO森島弘光(2・日川)、「勝つ」LO弘田知巳(4・早実)、「空」FL識こと神田識二朗(4・福岡)、「タックル」FL清田真央(4神戸)、「勝負」SO前田夏洋(2・修猷館)、「捨身」WTB桑島靖明(4・石神井)、「必勝」PR?神野勲(4・保谷)、「闘魂」PR?戸澤孝幸(3・清水南)、「気合」FB吉村恒(2・成城)、「撃破」CTB?清野健一(4・小石川)・・・そして中央の「必勝」は木本建治監督(1962年度卒・新田)。

 

 

 今泉、藤掛と共に当時 “ルーキー三羽烏” と呼ばれ決勝戦にも先発しているSH堀越正巳(1・熊谷工)の名前が見えない。寄せ書きの左端が破れたように見えるが、ここにもう少し余白があったのかもしれない。

 

 

(注)12月10日追記:このブログをお読みいただいた私が尊敬するブロガー「道楽者」さんから教えていただきました。堀越さんの名前がみえない・・・と書きましたが、「モグ」とあるのが堀越さんの寄せ書きとのことです。おそらく「モグ パス」が堀越さんのものかと思われます。「道楽者」さん、ご指摘ありがとうございました。

 

 

 

 この寄せ書きを眺めながら、大学ラグビーも随分変わってきたなあと思った。

 

 

 36年前の早稲田のメンバーを見て感じることは、地方の高校出身者が多く当時のラグビー強豪校の出身者が少ないということだ。この頃の早稲田は、明治などに比べてラグビー経験が浅く、相対的に体格も小さい選手を鍛えに鍛えて戦っていた。

 

 

 1987年度大学選手権決勝・同志社戦の先発メンバーの出身高校を県別にみると、福岡県4人、東京都3人、新潟県・栃木県・埼玉県・山梨県・神奈川県・大阪府・兵庫県・大分県各1人と地方出身者が目立つ。

 

 

 ちなみに今年の早明戦の先発メンバーを見ると、神奈川県4人、福岡県3人、東京都2人、大阪府2人、栃木県・愛知県・島根県・長崎県各1人。うち栃木・島根出身者は中学までは東京のラグビースクール所属で、高校はラグビー留学である。

 

 

 昨今の高校におけるラグビー活動が、少子化やラグビー部の減少もあって大都市圏に集中しているため、他の大学も同様の傾向がある。

 

 

 

 さらに私が2000年代に入ってから感じるのは、大学で籍を置き勉強している学部の偏りだ。

 

 

 それまでの早稲田をみると、多様な学部で学ぶ学生の集まりだった。それが今ではそうした傾向が残っているのは慶応くらいである。

 

 

 ラグビーマガジン社の大学ラグビー選手名鑑を見ると、強豪大学のほとんどの部員はスポーツ系の1つの学部生で70〜80%占められている。

 

 

 帝京は医療技術学部、早稲田はスポーツ科学部、東海は体育学部、筑波は体育専門学群、流通経済はスポーツ健康科学部・・・といった具合だ。


 
 「スポーツ推薦」といった入学コースもある。スポーツという分野で技量や知識、人格を高め、卒業後、教育機関やスポーツ関連施設で社会に貢献することが期待されているのだろう。

 

 

 大学への進学環境が大きく変わってきたことで、大学が “高校まで育ってきた地域や家庭環境、志(こころざし)や学びたい分野などの異なる様々な学友たちと一緒に過ごし、互いに刺激し合う空間” ではなくなってきたのだろうか。

 

 

 自分の学生時代への郷愁で「昔はよかった・・・」と言っている訳ではない。ただ、もし「学部も部活動も、ほぼ同じメンバーで4年間過ごす」のであれば、もったいないなあ・・・と、76歳は思って呟いているだけである。

 

 

 

( 1981年12月6日の”早明戦”。観客数は62,000人。旧国立競技場の上空に広がる大きな空が好きだった。)

 

 

 

 さて、強豪大学はラグビー部専用のグランドや寮があり、体力強化の設備機器も充実、加えて専属の栄養士がいて栄養サポートも万全だ。

 

 

 練習環境も整い、ラグビーに専念できる時間もさらに増えただろうから、今のチームは明らかに昔より強く上手くなっている。

 

 

 身体の大きなFWの選手もよく走るしパスも上手い。また走力のあるBKの選手もFWの選手に負けないフィジカルを身に付けて逞しい。

 

 

 要するに全ての選手が屈強な身体能力を維持しながら ”走れる” ”パスやランニングのスキルも高い” ”キックもできる” チームが勝ち進んでいく。

 

 

 その代表格が帝京だ。一時は外国人留学生の力を借りてそうした強いチームを作っていたが、今では彼らの力を借りなくても他の大学を圧倒する。

 

 

( 2023年度関東大学ラグビー・対抗戦グループで3連覇を果たした帝京大学。)

 

 

 

 先日3日の早明戦の翌日、毎日新聞が「縦の明治と横の早稲田 ”これぞ早明戦” の熱戦」と書いたら、次のような厳しいコメントが寄せられた。

 

 「これぞ早明戦」って、両校OBのオールドファンが聞いたら怒り心頭ですよ。こんな大味な試合は早明戦ではありません。こんな試合をしていては帝京には100年経っても追いつかないよ。

 

 「縦の明治と横の早稲田」こんな古くからの凝り固まった思考が進化を妨げる。タックルの慶応は低迷し、自由の同志社はリーグ戦全敗で入れ替え戦です。そりゃ現代ラグビーの先端を行く帝京に圧倒されるわ。

 

 

 

 確かに、大学ラグビーは変わり続けている・・・

 

 

 例えば、2000年頃までは早稲田と明治のFWの体重は、一人当たり10kg近く開きがあり、8人で組むスクラムでは一人分くらい明治が総重量で上回ることもあった。しかし最近は早稲田も大型になりそれほどの差は無くなり、戦い方も昔とはだいぶ変わってきた・・・

 

 

 

 ところで、今の早稲田大学ラグビー部が大学選手権決勝に進んだら寄せ書きをする伝統が残っているのか私は知らない。ひょっとしたらネットで書き込みをする時代かもしれない。

 

 

  ただ、私は思っている。

 

 

 「もし今の部員たちに、墨をたっぷり含んだ筆を持たせて寄せ書きをしてもらえば、36年前とほとんど変わらない言葉が並ぶのではないか」と。

 

 

 

 ラグビー部の外見、外観は大きく変化しているように見えても、部員たちのラグビーへの思い、プレーの原点や試合前に涙するその心情は、100年前とおそらく変わっていないように見えるからだ。

 

 

 

 だからこそ、大学ごとに入試難度や推薦入学制度、学部運営や大学側からのスポーツ競技への支援体制が違うにもかかわらず、一切の言い訳もせずにただ仲間を信じて相手にぶつかっていく学生ラグビーは魅力があるのだろう。

 

 

 

 W杯やリーグワンと同じラグビーという種目なのだが、卒業と入学を繰り返しつつ守るべき伝統を引き継ぎながら、ひとつのチームを毎年毎年創り上げる学生ラグビーは、私には違う競技のように見えている。

 

 

 

 私はそうした学生ラグビーを楽しみながら、これからも応援するつもりだ。

 

 

( 2023年11月23日の”早慶戦” ノーサイド後のエール交換風景。)

 

 

 

(ご参考)36年前の寄せ書きを保管していた藤掛さんの早稲田大学時代のプレー等を紹介したブログです。よろしかったらお読みください。(2018年5月10日投稿「佐野日大高校ラグビー部・藤掛三男先生」・・・枠内をクリックすれば開いてお読みいただけます。)

 

 

 

 

(注・写真はすべてネットやテレビからお借りしました。ありがとうございました。)