来年は大学時代の仲間の大半が77歳になる。「喜寿」と呼ばれるひとつの節目だ。

 

 

 関東在住の大学時代のクラス仲間が3年ぶりに集まった先日のクラス会で、「元気なうちにもう一度、博多で ”七組会” をやりたいなあ・・・」と誰かがつぶやいた。博多(福岡)は学んだ大学があった街、”七組会”はクラス会の名前だ。

 

 

( 水彩画は旧・箱崎キャンパスにあった大学正門。大学は移転したが、この門を含むいくつかの建物は保存されると聞いている。)

 

 

 

 それから1ヶ月経過して、J君から幹事に届いたメールがメンバーに転送されてきた。

 

 

 『 博多での七組会開催を福岡在住のH君に打診したら、「任せんしゃい!」と快諾の返事が来た 』との内容だった。

 

 

 

 それから一気に開催に向けて動き出した。

 

 

 さっそく幹事から「まず、住所録の整備をするので、年賀状などを交換しているクラス仲間の住所を送ってくれ」との依頼メールが来た。

 

 

 事務局を引き受けてくれた幹事は、パソコンやスマホを使っていないクラス仲間のことを思いやり、「往復はがき」で開催案内と出欠確認をするという。おそらく最後になるであろう博多でのクラス会の案内が、「俺には来なかった・・・」という仲間が出ないように全員にはがきを出したいという。仲間ではIT技術に最も詳しい幹事の優しい心遣いだ。

 

 

 私はメーリングリストの仲間全員に「元気だったら必ず参加します」と返信した上で、「だれか福岡県立田川高校出身のY君の消息を知りませんか?」と書き添えた。

 

 

 Y君とは家庭教師のアルバイトを紹介してもらったりして親しくしていた友人だ。お互い社会に出て連絡が全く取れず、53年間消息がつかめていなかった。どうしても会いたい友人の一人だ。

 

 

 幹事からアドバイスがあった。「高校の同窓会に問い合わせてみたら。住所や電話番号は個人情報だからあまり期待はできないけど・・・」と、彼の母校HPのURLが添えてあった。

 

 

 私はさっそく検索した。

 

 

( 福岡県立田川高校の正門。)

 

 

 

 福岡県立田川高校は1917年(大正6年)創立で、旧制田川中学校の流れをくむ歴史ある高校だ。だから卒業生も多く同窓会も「岳陽同窓会」という名称で、HPを見てもその歴史と活発な活動を感じさせるものだった。

 

 

 私は「お問い合わせ」の見出しを開いて、「ご質問内容」の欄に次のように打ち込み送信した。

 

 

 『 千葉県在住の香椎はやと(75歳)と申します。貴校を昭和40年3月に卒業されK大学法学部に進学されたYさんの友人です。K大学では同じクラスで4年間一緒に学びました。来年、大学時代の仲間で「喜寿クラス会」を博多でやることになり、Yさんと連絡を取りたいと願っています。もし田川高校様の同窓会名簿に彼の名前があれば、お手数をおかけしますが、私宛にメールを送信してもらうようご手配いただけないものかお問い合わせしました。もちろん彼の了承が大前提です。Yさんの大学入学は現役だったと記憶していますが、一浪であれば貴校卒業は昭和39年になります。ぶしつけなご依頼をして誠に申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

 

 

 

 送信してから2日も経たない12月7日の朝9時、次の返信があった。私は半年ぶりの眼科検診に行く途中のカフェでそのメールを開いた。

 

 

 『 香椎はやと様  メールを拝見させていただきました。岳陽会名簿を確認しましたがY様の住所は不明となっています。住所登録があればY様に了解を得て、香椎様に連絡をと思いましたが連絡が取れません。期待に添えず申し訳ありません。 岳陽同窓会事務局 〇〇〇〇 

 

 

 

 個人情報の取り扱いに関し、その保護の観点からこうした問い合わせには回答しづらい風潮の中、迅速に確認いただき回答を送って下さった彼の母校の同窓会事務局に感謝するとともに、「ダメもと」で依頼した私は、その誠意ある対応にある種の驚きを覚えた。

 

 

 

( 田川市市街地。後の山は筑豊のシンボル・香春岳。石灰岩でできた山だ。一番手前の山は石灰石採掘で平らになっている。)

 

 

 

 彼の消息に関する手掛かりは得られなかったものの、私はどこか温かい気持ちになり、この日の冬晴れのように爽やかな気分になっていた。

 

 

 感謝の思いからすぐ次のように返信した。

 

 

 『 おはようございます。そうでしたか。卒業生でもない者からの問い合わせにも、丁寧にご対応いただき本当にありがとうございました。感謝しております。別のルートでYさんを探してみます。貴同窓会のますますの隆盛を祈っております。御礼まで。

 

 

 

 私は御礼の返信を送った後、「いい同窓会だなあ。おそらく事務局の方から見れば大先輩にあたるであろうY君に、何とか大学時代の喜寿クラス会の開催通知が届けられないか・・・と考え、同窓会名簿を開いて下さったのだろうな・・・」と、私はほのぼのとした空気に包まれていた。

 

 

 

 お茶の水にある眼科クリニックでの定期検診を終えた私は、Y君の母校同窓会の温かい対応と、この日の風のない暖かい陽気に誘われ、お茶の水から上野駅まで歩いた。気持ちの良い30分だった。

 

 

( 神田川をまたぐ昌平橋から、お茶の水のシンボル・アーチ形の聖橋を望む。上をJR総武線、左をJR中央線が走る。)

 

 


 

 7日は朝早く出たので帰宅してから新聞を読んでいたら、もうひとつ小さなプレゼントがあった。

 

 

 テレビ番組欄のNHK・BS1にあった「九州沖縄推し!」という番組の中に「延岡高校かるた部」とあった。

 

 

( 宮崎県立延岡高校。)

 

 

 

 宮崎県立延岡高校は、今回の「喜寿クラス会」開催を博多の仲間に最初に打診してくれたJ君の母校だ。私はさっそく彼に番組表の写真を撮りLINEで送った。

 

 

 私は24時からの放送でその番組を見た。「延岡高校かるた部」が県大会での優勝と全国大会出場に向けて頑張る様子が放映された。県大会は決勝で宮崎西高校に負け連覇はならなかったが、2位まで行ける全国大会への出場権は勝ち取った。

 

 

(この写真は昨年県大会で優勝した時の様子。)

 

 

 今朝さっそくJ君から感想が届いた。

 

 

 『 延高の風景、訛り、懐かしいでした。今の高校生活は我々の時代と違って明るいですね。ありがとうございました。

 

 

 男子女子隔てなく目標に向かって取り組む生徒たちの表情や部活の風景は、先輩のJ君が感じたように本当に明るく自然だった。そして ”畳の上の格闘技” と呼ばれる「かるた」は、集中力と瞬発力が必要な競技だとよくわかった。

 

 

 共学ながら3年間ほとんど女子と言葉を交わすことのなかった私の高校時代とは、校内に流れる空気が異なっていた。

 

 

( 延岡市の遠景。九州山地から日向灘に向かって流れてくる清流に囲まれた明るい街だ。)

 

 

 

 我々世代と現在の生徒の間には、60年近い時間の流れがあるのだが、Y君の母校・田川高校、J君の母校・延岡高校、そして私の母校・鹿児島県立加治木高校も、その校風・気質というものは今もどこかに引き継がれているはずだ・・・と信じながら、いい心持ちにさせてもらった1日を終えた。

 

 

 

( 近くの公園の落葉風景。落ちた枯葉が雨で飛ばされず、そのまま美しいグラデーション模様を残していた。)

 

 

 

 

(注)大学正門水彩画、秋葉原・昌平橋、公園の落葉以外の写真は、ネットよりお借りしました。ありがとうございました。)