最近、プロ野球を中心に「審判」に関するざわめきが続いている。

 

 

 

( 4月24日のオリックス対ロッテ戦、ロッテの佐々木投手が判定に抗議した・・・と判断した白井球審が詰め寄った。間に入った松川捕手はまだ18歳の新人だ。)

 

 

 

 下の写真の新書は、先日友人がスポーツ観戦好きの私に「こんな本が出ていますよ」とLINEで教えてくれた本だ。ご丁寧に新聞の推薦記事も貼ってあった。しかもその推薦者は、なんと私が大好きなラグビー評論家・作家の藤島大さん。大さんが野球も好きだったとは知らなかった・・・

 

 

 

 

 

 

 その推薦記事のタイトルは 『「特等席」でみた名選手』。

 

  ・・・特等席で野球を見ませんか。審判員募集の昔ながらの口説き文句である・・・と、その記事にあった。

 

 

 

 なるほど、審判は給料を貰いながら、一流選手のプレーをグランド目線どころか、一番近い場所で観戦できる?・・・しかし、この本を読むと当たり前のことだが、審判という仕事はそう簡単な仕事ではなさそうだ。

 

 

 

 2414試合で審判(主審や塁審)をした佐々木昌信さんのこの本では、70のエピソードが取り上げられている。一番多いのは ”さすがプロ!” と審判をも唸らせたプレー技術を持った選手の紹介だが、名監督たちの名言やクセ、チームを率いる大将としての振る舞い、そして ”今だから言える” 裏話などが満載だ。

 

 

 

 この本に書かれているのは、審判が見た素晴らしいプレーや微笑ましいエピソードだから深刻になる必要はないが、最近「審判」の周辺が騒々しい原因は、判定そのものへの不信や判定への多様な意見だ。

 

 

 

 最初に掲載した写真は、4月24日のオリックス対ロッテ戦で、「ボール判定に佐々木朗希投手が不満を表した」として、白井主審が詰め寄った場面だ。相手が4月10日に完全試合を達成していた弱冠20歳の佐々木投手だっただけに、この ”詰め寄り事件” はよけい反響を呼んだ。

 

 

 

 私はこの2試合ともテレビ観戦していたが、確かに外角低めのストレートの判定が2試合の中で微妙に分かれた。ただ、佐々木投手は判定に不快感を示したというより、私には「あれっ、ボールか・・・」と悔しがる表情に見えた。数歩マウンドから下りてきたとはいえ、あの程度の表情や仕草で注意を与えたり詰め寄るのなら、審判の判定に都度表情を変え、ジェスチャーを交え ”不服な表情” をするバッターにも同様の対応を取るべきである。

 

 

 

 ただ、審判も生身の人間だから、審判によって判定に微妙な違いがあり、それぞれの傾向があるのは仕方がない。だからその試合の主審の傾向やクセ、例えば高めに厳しいとか、外角はストライクに取ってくれる・・・とかを頭に入れた配球や作戦を取るのは、ある意味常識である。

 

 

 もうひとつ審判の判定で最近議論を呼んだ話。現在開催されている大相撲夏場所の8日目での一番、正代対豊昇龍戦。これもTV観戦していた。ご覧になった方は多いと思うが、まず写真を見てもらおう。

 

 

 

 

 

 

 行司の軍配は、手前の黒のまわしの正代に上がり、朱色のまわしの豊昇龍の負けだった。写真で見る限り、豊昇龍の左足は俵の上に残っており、一方正代の左足の甲は返り膝も付いているように見える。TVで見ていた素人の私にも豊昇龍に分があるように見えたが、土俵下の審判(昔の検査役)からは ”物言い” すら付かなかった。一瞬、「大関陥落の瀬戸際にある正代を、そうまでして勝たせたいのか・・・」と思ったほどだった。

 

 

 案の定、取り組み直後からネットでは軍配への疑問の書き込みが溢れ、理事長も「物言いは付けるべきだった」とコメントを出さざるを得なかった。

 

 

ところで、プロの試合や国際試合等の判定に「ビデオ判定」を取り入れるスポーツ競技が多くなってきた。

 

 

 例えば、大相撲も物言いが付けば、ビデオ室の親方が土俵上の協議に参加している。皆さんご存じの通り、プロ野球でも2018年からビデオ判定を要求できるリクエスト制度を導入した。サッカーではVAR(ビデオアシスタントレフェリー)が導入され、テニスにはホークアイ(Hawk-Eye)と呼ばれる技術を使ったビデオ(CG画像)での確認を要求できるチャレンジシステムがある。またバレーボールでもワンタッチやタッチネットがあったかどうか、あるいはインかアウトかを巡り、ビデオ判定を要求できる。

 

 

( テニスの「ホークアイ」によるCG画像。このシステムを導入した試合では線審を配置していない。)

 

 

 

 

 私がよく観戦するラグビーも同様である。我が国の最高峰リーグである「リーグワン」では「TMO」と呼ばれるビデオ判定を導入している。テレビジョン・マッチ・オフィシャルの略だ。

 

 

 「リーグワン」では1人のレフェリー(主審)と2人のアシスタントレフェリー、それにTMO担当の4人で試合をさばいていく。

 

 

 しかしビデオ判定を導入した後、残念なことにこのTMOの判断を仰ぐシーンが増え、試合が途中で止まってしまうことが多くなった。

 

 

 

 4月24日に秩父宮ラグビー場で行われた 東京SG(旧・サントリー)対BR東京(旧・リコー)戦の後、東京SGのミルトン・ヘイグ監督は次のように苦言を呈した。

 

ファンのみなさんにとっても、雨の中で連続して試合が止まって、楽しめない後半になってしまったのでは・・・

 

 

 

 その背景には、インゴールでトライかと思われた東京SG側のプレーが、4度もTMOで取り消されたことがあった。得点に換算したら最大可能性28点が取り消されたのだ。

 

 

 

 確かに素人目には ”トライ!” と思われるプレーだったが、レフェリーがトライ(相手のゴールラインを越えてボールをインゴールの地面に着けた)と目視、確認できなかったと判断したもの、トライの直前にボールを前に落とした(ノックオンという反則)もの、そしてトライの直前のプレーで他の味方選手がペナルティを犯していたもの・・・等だった。

 

 

 

 昨年4月に明治大から加わった期待の若手・箸本龍雅選手の初トライか・・・と思わせたプレーもそのひとつだった。ゴールラインは越えていたものの、地面への接地が確認できずトライは認められなかった。

 

 

 

 

 

 

 上の写真のようなトライシーンなら、レフェリーも確信を持って ”トライ” と宣言できる。

 

 

 しかし、次の2枚のシーン等ではなかなか難しい。これはゴールライン付近でよく展開されるモールと呼ばれるプレーだ。両チームの選手が折り重なった塊となってゴールラインになだれ込む。そうなると攻める側はゴールラインを越えた地面にボールを着けようとし、守る側はボールの下に手を差し込んだり、体を入れたりしてそれを阻む・・・だから大男たちの塊りの下で何が起きているのかが見えにくくなり、”トライ”が成功したのかどうかの判定は難しくなる。

 

 

 

 

 

 

 こうした場合は、レフェリーはよく見えるポジション取りに苦労する。自分で目視できなかった場合、違う角度から見ていたアシスタントレフェリーに「反則なしにボールを地面に着けたかどうか」をまず確認する。もしアシスタントレフェリーも確認できていなかったら、TMOを要請し、ビデオ判定のレフェリーにも意見を聞き、最終判定をレフェリーが下す・・・・・

 

 

 

 4回もトライが取り消された東京SG対BR東京戦のレフェリーは川原佑さんだった。よく選手たちとコミュニケーションを取って反則を事前に抑制したり、試合が中断せず継続して展開されるように一生懸命コントロールするレフェリーの一人だ。

 

 

 しかし、ラグビーは団体競技の中では、同時にプレーする選手の数が一番多いスポーツだ。両チーム合わせて30人の選手が、入り乱れてボールを奪い合い、またスピーディなパスで展開する試合をさばくラグビーのレフェリーは大変だ。

 

 

( サントリー対東芝戦。東芝の小川選手のトライを確認し、左手をあげトライを宣告する麻生彰久レフェリー。)

 

 

 

 

 少し余談になるが、審判の判定でもめた思い出はいくつかある。今回この原稿を書きながら、ふたつの古い思い出が頭によみがえった。

 

 ひとつは1969年(昭和44年)大相撲春場所2日目、横綱大鵬が平幕の戸田に敗れて連勝が45でストップした一番だ。行司は大鵬に軍配を上げたが、物言いが付き差し違えで戸田の勝ちとなった。しかし後でビデオで見ると、戸田の右足が先に土俵の外の土を掃いていたことがハッキリしていた。物言い後の判定は誤審だった。大相撲にビデオが導入されるきっかけとなった一番だった。

 

 もうひとつはプロ野球だ。1978年(昭和53年)の日本シリーズ・阪急対ヤクルトの第7戦6回裏。ヤクルトの大杉勝男選手が打った左翼ポール際への打球を巡り、ホームランと判断された阪急の上田利夫監督が猛抗議。1時間19分の中断を経てコミッショナーまで出て収拾し、ようやく再開した ”事件” だった。

 

 

 

 

 確かにたまには、誤審や判定を巡るトラブルはドラマを生むこともある。またプロ野球のリクエストによるビデオ映像を見ていると、次の塁を狙う走者のスライディング技術やタッチにいった野手のグラブさばき、また地面すれすれで捕球する技術など、今までしっかり見ることの無かったプレーも目にできるようになった。スポーツ観戦の新しいステージが開きつつあるのも確かだ。

 

 

 今後、さまざまな映像技術を駆使した機器による判定領域は広がっていくだろうが、生身の人間である審判・レフェリーが主審をつとめることだけは残してほしい。

 

 

 

”何ごともなく無事に終わった試合”

”監督に抗議を受けても、ルール通りに解決できたとき”

 

・・・「プロ野球 元審判は知っている」を書いた佐々木昌信さんが、「審判冥利に尽きる」としてあげた言葉である。

 

 

 

( 最近は、審判の声が聞こえない遠い観客席から見ていてもよく分かるように、派手なゼスチャーを入れた判定スタイルが多くなった。)

 

 

 

(注)新書以外の写真はすべてネットからお借りしました。ありがとうございました。