映像作家の「保山耕一」さんをご存じですか?

 

 

 

( 保山耕一さんの映像の一シーンです。 「秋の奈良公園・飛火野、紅葉と鹿」。

 

 

 

私は、11月3日の朝日新聞土曜版「beの、「フロントランナー」の欄で初めて知りました。

 

”ほざん こういち” さんと読みます。

 

 

 

 

 

ここ2、3年、新聞やテレビなどで紹介されていますから、ご存じの方も多いと思います。1963年東大阪市生まれの55歳。30年以上フリーカメラマンとしてテレビ番組作りに携わってきた保山さん。TBS系列の「情熱大陸」、「THE世界遺産」等で人物や風景、行事等の多様な被写体にカメラを向けてきた。関西にお住まいになったことのある方々には馴染みの、紀行番組「真珠の小箱」の仕事をしたいと若い頃から思っておられ最終回を担当されている。この番組は近鉄提供で、1959年から45年間放映された長寿番組。奈良、大阪、三重といった近鉄沿線の景色を紹介していた。

 

 

 

しかし、5年前大腸がんが見つかり直腸を全摘出、5年生存率は10%と言われ、テレビの仕事はなくなったと記事にあった。2年後には肺に転移する。

 

 

 

『大好きだった奈良にさよならするつもりで、風景を撮り始めた。最初は桜を撮っても悲しかったけれど、桜は来年も再来年も咲くと気づいて、あと1年頑張ってみようと言い聞かせるようになりました。』

 

 

 

( 吉野山の桜 )   (注)以下「入江泰吉」さんの写真と個人的写真を除き、すべて保山さんのYoutubeの動画から切り取ってお借りしました。

 

 

 

( 秋の當麻寺 )      注:「たいまでら」は「当麻寺」と書かれることがほとんどですが、ここでは保山さんの使用されている「當麻寺」を使っています。

 

 

 

 

直腸を全摘出しているため、保山さんは厳しい苦しい排泄障害があるなかで、映像を撮り続けている。障害により車の運転もできず、重い機材を抱えながら電車やバスを使って撮影場所に出掛ける。動画を見ていると、雲の流れ、風のそよぎ、光の輝き・・・・・・等を絶好のタイミングで撮るために、長時間撮影場所で待機していることがよくわかる。

 

 

 

( 明日香村の彼岸花 )

 

 

 

( 明日香村のコスモス。背景の山は”大和三山”のひとつ畝傍山。 )

 

 

 

( 奈良公園・春日大社周辺の紅葉。京都もいいが奈良の紅葉も素晴らしい。)

 

 

 

 

私が「フロントランナー」の記事を読んで、鹿を撮影する保山さんの写真と、『 古都の「365の季節」を活写 』 という見出しに、反応したのには理由がある。

 

 

 

それは、九州育ちの私たちは結婚してすぐ奈良に住み、1972年から1978年までの6年半を奈良県で過ごしたからだった。

 

 

 

2回転居したが、最初は「法隆寺」、「法輪寺」、「中宮寺」等のある斑鳩の近くに住んだ。次は葛城山系の二上山の麓に引っ越したが、2キロほど離れたところに「石光寺」、「當麻寺」があった。東京に引っ越す前に住んでいたのは大和郡山駅のすぐ前の公団(現UR)住宅だった。郡山からは当時の国鉄・関西線で、奈良観光の中心・奈良駅までひと駅5分、また近鉄郡山駅からは、「薬師寺」や大好きな「唐招提寺」のある西ノ京駅までふた駅4分という立地だったこともあり、休日にはまだ幼かった2人の娘を連れて家族でよく出掛けていた。

 

 

 

( 西ノ京「薬師寺」の東塔前の長女。1975年頃だから40年前の写真だ。次女が生まれる前後だ。)

 

 

 

 

( 奈良の代表的風景。東大寺の大仏殿と向こうに見えるのは興福寺の五重塔 )

 

 

 

( 奈良県と大阪府を分ける葛城山系にある二上山の紅葉。ドローンで撮影した動画だろうか。自宅から近かったこともあり、この山には数回登った。 )

 

 

 

保山さんの映像(動画)をYoutubeで観賞しながら、思い出した写真家がいた。

 

 

「入江泰吉」さんだ。

 

 

私たちが住んでいた当時、奈良を写した写真家といえば入江泰吉さんだった。入江泰吉さん(1905年~1992年)は主に大和路の風景、仏像を撮り、数々の賞を受けている。確か1冊写真集があったと思い、本棚から捜しだしてきた。

 

 

 

( 1977年発行の「太陽・臨時増刊号」だ。菊池寛賞受賞記念で発行されているが、40年前で1800円とある。結構な値段だ。表紙写真は談山神社十三重塔。)

 

 

( 入江泰吉さん撮影。薬師寺西塔址と東塔。西塔は1981年に復興されている。)

 

 

( 入江泰吉さん撮影。ススキの向こうに見えるのは晩秋の法隆寺の五重塔。)

 

 

 

 

保山さんの映像(動画)を見ていたら、その中で「映像詩・入江泰吉の気配 大和路篇」というタイトルの動画が出てきた。

 

 

 

 

 

 

一緒に観賞しながら、私たち夫婦の40年前の奈良の思い出話は弾んだ。

 

 

夕方出掛けた奈良公園で、春日大社への道が薄暗くなり恐くなってきたこと・・・・・東大寺・二月堂の脇から講堂跡、正倉院につながる静かな石畳の裏道を初めて歩いた時の感動・・・・・まだ幼く”こわい”ということを知らず、鹿に近づいていく娘たちにヒヤヒヤしたこと・・・・・春の當麻寺で出会った、一陣の風が起こした見事な桜吹雪等・・・・・

 

 

 

そういえば「奈良に行ってみたいなあ」と最初に思ったのは、学生時代だったか、堀辰雄「浄瑠璃寺の春」を読んだ時だった。浄瑠璃寺は京都府の木津川にあり行政上は奈良県ではないが、堀辰雄も「大和路」の中で取り上げている。現在はJR奈良駅や近鉄奈良駅から門前までバスがあるらしいが、私たちが初めて行った時は、最寄りのバス停からかなり歩いた覚えがある。その田舎道がのどかで美しく、堀辰雄が歩いた昭和18年頃と変わらないのだろうなと思わせるに十分な風景だったのを覚えている。

 

 

 

 

見終わってから、入江さんの写真と保山さんの映像(動画)を数か所比較してみた。

 

 

( 東大寺講堂跡。上が入江さんの写真、下が保山さんの映像から。)

 

 

 

( 東大寺の裏の小道?  上が入江さんの写真、下が保山さんの映像から。)

 

 

 

2つの映像の間には、50年前後の長い時間の経過がある。木々が経年や台風等で倒れたり、土壁が朽ち修理されるのは仕方がない。しかし、保山さんの映像を見る限り、私たちが住んでいた頃とあまり風景に変化がないのは嬉しい。この裏には景観条例を作って、奈良県と県民の皆さんが、歴史文化遺産、歴史的風土、豊かな自然環境を長い間守ってこられたことを忘れてはならない。

 

 

 

( 奈良公園・飛火野の鹿 )

 

 

( 當麻寺の紅葉 )

 

 

 

 

保山さんの映像(動画)を鑑賞していると、その美しさに引き込まれる。

 

 

30年以上フリーカメラマンとして活躍してきた、その撮影技術が高いのは当然として、その美しさを超えてさらに、映像に流れる霧の中に自分がいるような・・・・・映像の中に吹く風に自分が吹かれているような・・・・・映像の中の1枚の紅葉が自分の目の前に落ちてきたような・・・・・そんな気持になるのは、なぜだろうかと思わされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その理由を地元紙「奈良新聞」のコラム、「國原譜(くにはらふ)」に見つけた。

 

 

 

ここではそのコラムにある、保山さんが「私の視聴者第1号」という、春日大社の権宮司だった岡本さんの言葉を借りる。

 

 

 

・・・・・『病や老いによって何かを失ってはじめて見える世界、たどり着ける境地がこの世にあるに違いない」とし、『ただただ一途に道を追求した人にしか到らぬ境地』と記す』・・・・・

 

 

 

( 平成30年5月29日付け・奈良新聞・コラム「國原譜」 )

 

 

 

確かに私の経験から見ても、あれもこれも手に入れたい、もっと注目されたい、何を食べたい、あそこに行きたい、あの人と知り合いになりたい・・・・・と考えていた間は、見逃してきたこと、気付かなかったこと、失ったことが多くあった。

 

 

 

しかし、子供たちもすでに独立し、仕事も終わり年を取ると、そういった「・・・・・したい」といったものから解放される。そうすると、今まで気付かなかったものに気付いたり、今まで見逃していたものの中に、美しいものや心温まるものを発見したりする。

 

 

 

 

ただ老いてきただけの私には、余命宣告を受けた保山さんの気持ちにぴったり寄り添うことはできない。

 

産経新聞によると、がんの発症により余命宣告を受けた保山さんは、仕事と収入の道を失い、「社会とのつながりを失い、生きている実感がなかった」とある。そして「極限の精神状態に陥る中でふと浮かんだのは、駆け出しの頃から紀行番組の撮影でたびたび巡り、季節の変化が繊細な奈良の風景だった」とあった。

 

 

 

『 奈良の風景を撮りたい! 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はひとりでも多くの方に保山耕一さんを知って、その美しい映像(動画)を観ていただきたいという気持ちから、紹介させていただきました。

 

 

 

保山さんの映像(動画)を見ていただくと、奈良に行ってみようかなと思われると思います。京都も素晴らしいですが、近鉄特急で京都・奈良間はわずか35分。ぜひ入江泰吉さんや保山耕一さんの映像の風景を訪ねてみてください。

 

 

 

 

保山耕一さんの新聞記事を読み、このブログを書いている間に、懐かしい古いアルバムを取り出してめくったり、入江泰吉さんの写真集を引っ張り出してきて見ていたら、「奈良は私たちのもうひとつの故郷だったのだ」という思いが広がってきた。

 

 

 

 

保山耕一さん、美しい奈良の映像 ありがとうございます。

 

 

 

 

( ご参考~普段Youtubeをあまりご覧にならない方へ )

Youtubeで、「保山耕一」または「koichi  hozan」で検索いただくと鑑賞できます。スマホがなくてもパソコンで「動画」で検索いただくと見れます。私はスマホからテレビにつないで、大きな画面でより美しい映像を見ています。すでに500本を超える映像が投稿されています。