今年のプロ野球、セ・リーグは広島カープの優勝が秒読みに入ったが、パ・リーグは開幕から首位を走ってきた埼玉西武ライオンズに17日、「マジック11」が点灯した。

 

 

 

( マジックとは、「他のチームの試合結果に関わらず、自チームがあと何勝すれば優勝が決定する」といえる勝ち数を意味する。ライオンズは15試合を残してマジック11となったので、11勝4敗でいけば他のチームは残り全勝しても追いつけない。優勝争いの対象チームが負けてもマジックは減っていく。)

 

 

 

 

 

私が自己紹介の挨拶で、時々 「好きなものはのつくものです。”ーメン・グビー・イオンズ”」 というフレーズを使い始めたのは、何年前からだっただろうか。おそらく40年近くになる。

 

 

 

この年になってさすがに「ーメン」は昔ほど食べなくなってきたが、同世代の人に比べればよく食べる方だ。

 

 

 

グビー」はこのブログのテーマにも掲げている通り、相変わらず私の楽しみである。 ”ラグビーは素晴らしい”。

 

 

 

もうひとつの「イオンズ」とは、プロ野球の「埼玉西武ライオンズ」のことだが、前身の「西鉄ライオンズ」の頃から応援している私のファン歴は60年を超す。

 

 

 

いつから前身の「西鉄ライオンズ」を好きになったか覚えていないが、1956年(昭和31年)からの日本シリーズ3連覇の頃だったのだろう。その年、私は小学3年生だった訳だから、野球に関心を持ってすぐの頃になる。

 

 

 

( 埼玉西武ライオンズの前身、西鉄ライオンズのマークと帽子。頭文字のNとLを組み合わせている。私の宝物の一つだ。)

 

 

 

 

71歳の今まで ”ライオンズ一筋” という訳だ。厳密に計算すれば62年のファン歴ということになる。

 

 

 

ライオンズの経営危機は何回かあったが、西日本鉄道(西鉄)から経営母体が太平洋クラブ、クラウンライターと変わった頃が、経営もチームの成績も一番苦しい時期だった。

 

 

 

( すでに身売りした球団だから西鉄ライオンズ時代に関する出版物はあまり出ない。だから出版されると必ず購入していた。)

 

 

 

 

そして1979年(昭和54年)、西武鉄道がライオンズを買収し、それまで長年本拠地を置いていた福岡市から埼玉県所沢市に移ってきた。

 

 

 

前にも書いたが、実はその前年に私たち家族も転勤で、埼玉県朝霞市に転居してきていた。

 

 

 

という訳で、ライオンズが私たち家族を追いかけて、埼玉県に”転居”してきてくれたのだった。離れられない”縁”を感じた。

 

 

 

60年も応援を続けていると、強かった頃も弱かった頃もしっかり記憶にあり、嬉しかった思い出や悔しかった思い出が今でも蘇る。細かい思い出や今年の躍進の要因は今回は割愛するとして、今年10年ぶりの優勝が目前にあるようなポジションにいるのが嬉しい。

 

 

 

( これも西鉄ライオンズ、西武ライオンズに関する出版物や雑誌。「Number」はよくライオンズを取り上げてくれていた。「鉄腕伝説・稲尾和久」は、昨年福岡の友人から頂いたもの。)

 

 

 

 

今年もほぼ全試合をテレビ観戦し応援している。外出中でもスマホで観戦できる。そういう意味では便利ないい時代だ。

 

 

 

 

 

ひと月ほど前、平成元年から2年間一緒に仕事をした、所沢市に住むKさんからメールが入った。

 

 

 

「香椎さんはライオンズファンでしたよね。チケットが手に入りました。一緒に観戦しませんか?」

 

 

 

私は間髪を入れず、「行きましょう!楽しみにしています!」 と返信した。

 

 

 

埼玉県に住んでいた頃は、何回か球場に足を運んだことがあったが、現在住んでいる千葉県柏市の自宅からは、2時間近くかかることもあり足が遠のいていた。10数年ぶりの ”生観戦・生応援” だ。

 

 

 

当日のカードは、対福岡ソフトバンクホークス戦! 首位争いをしているライバルだ。 願ってもない対戦相手だ。

 

 

 

 

 

 

私にとってこの福岡ソフトバンクホークスは、九州・福岡市に本拠地を構えるといっても、その前身である”南海ホークス”という、西鉄ライオンズ時代の好敵手だったという思いがいつまでも消えず、なかなか応援する気になれない。

 

 

 

 

最近はどのチームも、昔の復刻版ユニフォームを着て試合をする時があるが、福岡ソフトバンクホークスが身に着けた、あの南海ホークス時代のユニフォームや帽子、マークを見ると、昭和30年から40年にかけて、しのぎを削りあった頃をどうしても思い出す。

 

 

 

福岡市出身で幼い頃から父に連れられて、当時の西鉄ライオンズの本拠地・平和台球場に観戦に行っていた妻が、半年ほど前 「同級生のU君も、今でもライオンズを応援しているらしいよ」と教えてくれた。妻と同級生だからそのUさんも、今や67、68歳ということになる。

 

 

”同志”がいたことを知り、単純にうれしくなった。

 

 

 

( 西鉄ライオンズの本拠地「平和台球場」は1997年に閉鎖されたが、球場のあった舞鶴公園の入り口には、現在「平和台球場」のレリーフが置かれている。)

 

 

 

 

さあ、所沢に戻って球場でライオンズを応援しよう!

 

 

 

17日(日曜日)昼12時、「西武球場前」駅の改札口で、Kさんと落ち合い球場に向かった。

 

 

( 西武球場前駅に掲示されている、ライオンズの全選手の顔写真。)

 

 

 

( 駅の真ん前にドームの大きな屋根が広がる。現在は命名権により、「メットライフドーム」という名称になっている。)

 

 

 

( この日も3万人を超す超満員だった。屋根付き球場とはいえ、外気が吹きぬける構造のため、周辺の緑がのぞめ美しい球場だ。)

 

 

 

( 無数の旗が打ち振られ、スタンドが波打つのがライオンズの応援風景だ。)

 

 

 

( 7回裏のラッキーセブンには、チームカラーのブルーの風船が舞う。)

 

 

 

 

9月15日からの3連休に行われた福岡ソフトバンクホークスとの3連戦、ライオンズが何と3連勝した。いっきにその差を6.5ゲーム差とし、マジック11が点灯した。

 

 

 

この3連戦のスコアは、15日(土)が11対5、観戦した16日(日)が8対5、17日(敬老の日)が8対1と、今シーズンの”売り”である「獅子脅し打線」が爆発し打ち勝った。3試合とも初回に3点、4点取る見事な先制攻撃だった。

 

 

 

( 第3戦で初回に満塁ホームランを打った左・栗山選手と、7回にダメ押しの3ランを打った右・中村選手。この2人は10年前の前回優勝を知るベテランだ。)

 

 

 

( 昨年から埼玉西武ライオンズを率いる辻監督。現役時代もよく覚えているが、しぶとい打撃・堅実な守備・抜け目のない走塁の好選手だった。)

 

 

 

 

試合が終わって、所沢駅前の居酒屋でKさんと2人で祝杯をあげた。

 

 

 

店に入るとライオンズの応援帰りとみた、見ず知らずの中年グループから、「勝ちましたか?」と声がかかった。

 

 

「なんとか最終回逃げ切って、8対5で勝ちましたよ」と返した。

 

 

そして、帰ろうと精算するためにレジに行ったら、係の女性が「LIONS」のレプリカユニフォームを着たKさんを見て言った。

 

 

「ライオンズの応援の帰りですね。1割引きになります!!」   

 

 

 

ライオンズが所沢にきて40年。 所沢はすっかりライオンズの街だった。

 

 

 

 

 

残り15試合。

 

 

 

 

これからは今まで以上に、「勝った!」 「負けた!」 で一喜一憂する毎日になりそうだ。

 

 

(  西武鉄道の「西武球場前」駅は終点のはずですが、最近次の駅ができたようです。駅名は「優勝へ」 GO! LIONS と添え書きがあります。)